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 「私は貝になりたい」~原作と無関係な「情報操作」的「虚構」

 以前まとめたものだが、複数の論考の一環になっていたので、また放映されたこともあり、林博史・関東学院大学教授「いま戦争責任を問いかける意味」のメモを単独で再論。
 このドラマは、加藤哲太郎(元陸軍中尉)の原作とまったく無関係の虚構。原作は、痛烈な天皇制批判であり、その上で自らの加害責任に向き合っている。その核心部分を切り捨て、BC級戦犯裁判で、二等兵で死刑になったものはいない、という事実も捻じ曲げている。あたかも「事実」のように刷り込むことで、戦争総括をあいまいにすることに「貢献」した情報操作の一種と言える。
 それは、原発を推進してきた構造、基地を押し付けてきた構造、侵略戦争を推進してきた構造――は、無謀・無責任という点で同根であり、なぜそうなつたのか、「1人ひとりの民衆のあり方を考える必要がある。」と指摘している。領土問題をめぐる報道もふくめ、極めて今日的な問題。

【「私は貝になりたい」と日本人の戦争観】
林博史・関東学院大学教授「いま戦争責任を問いかける意味」より 

・ある事実に直面しても都合のいいような解釈でしか受けとめない戦後日本の戦争総括の仕方を変えなくてはならない。~ その例として「私は貝になりたい」の映画、テレビ化

・加藤哲太郎(元陸軍中尉)の原作と映画はまったく無関係。
・原作はこうなっている
 「・・・・天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。・・・天皇陛下よ、なぜ、私を助けてくれなかったのですか。・・・私は死ぬまで陛下の命令を守ったわけです。でから、もう貸し借りはありません。・・・もし私が、こんど日本人に生まれかわったとしても、決してあなたの思うとおりにはなりません。二度と兵隊にはなりません。/けれど、こんど生まれかわるならば、私は日本人にはなりたくありません。いや、私は人間にはなりたくありません。牛や馬にも生まれません。人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にヘバリついて何の心配もありませんから、何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。妻や子を心配することもないし、どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれかわるつもりです。」
→ これは痛烈な天皇制批判。映画ではこの点がない。

・加藤は、捕虜収容所の所長で、死刑判決のあと、禁固刑に減刑され、釈放されている。「本」では、ある陸軍曹長の遺書として書いている。
→ところが「映画」は、二等兵の主人公が死刑になり、「最末端の、命令に抵抗できないものまで死刑になるなんでひどい裁判だ」という話になっている。/BC級戦犯裁判で、二等兵で死刑になったものはいない。

・命令にしたがったものの責任/ 加藤は、先の引用のすぐ後に
 「戦争という人間の概念が無数の人命を奪ったのではない。戦争に従事したあなたが、あなたの手で張三、李四を殺したのだ。山田や鈴木を殺したのだ。あなたとは誰か? それはあなた個人である」
と書いている。/加藤は自らの責任について「命令にしたがっただけ」でいいのかと考え、その結論として“命令するものだけでは戦争はできない。必ず実行するものがいるから戦争はできる。だから実行したものとしての責任をきちんととらなければならない。そのうえで課した上官、天皇にとらせるべき”と考えた。
→ 「映画」は、この加藤の優れた思想、加害責任が完全に切り捨てられている。

・戦後平和意識の問題点~ 根付いた厭戦感、戦争はやってはいけないいう意識は貴重/が、加害責任、侵略戦争の責任を問わないままにきた。それが戦争責任のある勢力が戦後も権力を握るという構造を温存
→ 加藤の加害を認識し、個人責任をみつめた姿勢からまなばないといけない。

(メモ者 その要因として、最大の責任者「天皇」の免罪されたこと。戦争犯罪人の復活では、中国革命を受け、日本を反共の防波堤として復活させる対日支配戦略の変更、それを実践するために、高揚する労働運動などを押さえ込む国内の支配体制強化というアメリカの意図による。~ 命を救ってもらい、支配者として復活させてもらった戦犯勢力・支配層の「対米従属」のルーツがここにある。)

☆国民意識とメディアの責任
・原発を推進してきた構造、基地を押し付けてきた構造、侵略戦争を推進してきた構造の関連
・「原発安全神話」に全面協力したマスコミ。政財官、御用学者と一体となり、反対派を排除、/原発を地方に立地し、都会の「捨石」にする。
→ 沖縄を本土の捨石したこと、米軍基地を押し付けたのと同じ構造/ 使用済み核燃料の後始末の見通しも無いままの原発推進は、太平洋戦争に突き進んだ無謀・無責任と同根。

・在日米軍基地の米本土や諸外国と比べての異常な基地特権も、ほとんど報道しない。

・中韓の領土問題などでナショナリズムを感情的に煽っていることにも注意必要
1930年代「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」と国民を煽り、国民が排外主義、対中強硬論に染まっていく/結果、支配層の選択肢が狭くなったという構図(メモ者 排外主義を煽る新聞の方が拡販が進む、のでより強硬な論調になる、という悪循環を招いた)
→ 情報統制のもとで「戦果」報告により戦争を推進/結果として、引き下がることを国民が許さない状況がつくられた。(情報が統制され、民主主義制度もなかった当時と今とは違う。今日の国民の責任は大きい)
→ 当時の軍部、支配者に責任があるのは当然/同時に、なぜ国民が煽られ、排外主義になったのか、私たち自身がかわるためにも、1人ひとりの民衆のあり方を考える必要がある。

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