「日本防衛に沖縄不要」 米高官発言 外交文書で判明
沖縄返還の対米交渉を本格化させる直前の1967年に、沖縄駐在の米高官が外務省幹部に「日本の防衛ということなら沖縄は要らない。沖縄の基地を必要とするのは極東の安全のためだ」と言明したことが外交文書で判明。NHK記事中の解説は、共同の内容と一致する
この公開された外交文書にかかわりNHKと読売は、岸元総理大臣とアメリカのマクナマラ国防長官の会談で「米軍地撤退に言及」したことを取り上げているが、読売は「『日本は将来アジアで、米国に比べたはるかに大きな役割を果たすべきだ』と、軍事的貢献への強い期待感も示している」部分を紹介している。
【「日本防衛に沖縄不要」 67年、米高官が言明 極東戦略を重視 外交文書で判明 共同7/31】
【沖縄返還前“米軍基地撤退”に言及 NHK 7/31】
【米軍撤退か協力か…沖縄返還前にマクナマラ長官 読売7/31】
なお日米関係は「密約」を知らないと本質がわからない。
【密約関係資料①】
【密約関係資料②】
【「日本防衛に沖縄不要」 67年、米高官が言明 極東戦略を重視 外交文書で判明 共同7/31】佐藤栄作政権が沖縄返還の対米交渉を本格化させる直前の1967年1月、沖縄駐在の米高官が外務省幹部に「日本の防衛ということなら沖縄は要らない。沖縄の基地を必要とするのは極東の安全のためだ」と言明、沖縄を日本防衛ではなく極東戦略の拠点に位置付ける姿勢を明確にしていたことが、31日公開の外交文書で分かった。
日本政府は沖縄駐留米軍を「日本防衛に必要な抑止力」としてきたが、米側はむしろ極東全体をにらんだ安全保障上の地政学的役割を重視していた実態を物語っている。中国や朝鮮半島の動きを念頭に、新型輸送機オスプレイの沖縄配備計画を進める現在の米軍戦略にも 通じており、論争を呼びそうだ。
発言していたのは、米軍統治下の沖縄で強い権限を持った高等弁務官の政治顧問、ジェームズ・マーティン米公使。67年1月22日付の外務省極秘文書によると、東郷文彦・外務省北米局長との会談で言明していた。
マーティン氏は「自由な基地使用が確保されるなら、いつでも全面返還した方がいいと思っている」とも言及。米軍戦闘作戦行動を日米安全保障条約で定めた事前協議の対象外とし、いわゆる「本土並み」を沖縄に適用しないことが返還の前提条件だと強調した。
返還交渉が本格化した直後の同7月19日付の東郷局長とジョンソン駐日米大使の会談記録によると、国内世論を理由に、基地の完全な自由使用化は「困難」とする東郷氏に対し、大使は「(基地の扱いが)『本土並み』なら(沖縄から)引き揚げる」とけん制。
ベトナム戦争遂行中の米軍は沖縄施設を前線基地化しており、戦略機能堅持を主張する大使に、東郷氏は「(基地の)自由使用と『本土並み』の間に、わが方として受諾し得る基地の地位を見いだしたい」と答えた。
最終的に日本は米国に押された形で返還後の基地の自由使用を事実上容認。69年の佐藤・ニクソン首脳会談で72年の沖縄返還合意に至った。マーティン氏は対日政策に携わった知日派外交官。
(共同通信)◎変わらぬ状況、打開を 米の本音浮き彫り
【解説】「日本防衛に沖縄は不要」との1967年の米高官発言は、沖縄を極東戦略の「要石」と位置付ける米側の本音を浮き彫りにした。72年の本土復帰から40年。米軍のアジア太平洋展開の拠点として、核配備の危険性にさらされてきた沖縄を取り巻く状況は今も変わらない。普天間飛行場移設問題や新型輸送機オスプレイ配備に揺れる姿は、返還交渉が本格化した約半世紀前の二重写しだ。
対米配慮と国内世論対策、地元の理解―。その時々で立場を使い分けてきた日本政府の手法はもはや通用しない。今こそ基地問題と真摯(しんし)に向き合い、その場しのぎではない打開策を講じる必要がある。
60年代後半、中国やソ連(現ロシア)を封じ込め、日本を「反共の砦(とりで)」としたい米国にとって、沖縄基地の自由使用は譲れぬ一線であり、日本政府も最後は承諾せざるを得なかった。妥協の産物が、有事における沖縄への核の再持ち込みを可能とした69年の「沖縄核密約」だ。
米高官発言は、返還交渉本格化をにらみ、日本側をけん制する狙いもあったとみられる。当時最大の懸案はベトナム戦争だった。その後、米軍の主な関心はイラク戦争やアフガニスタンでのテロとの戦い、そして現在の対中国へと移り変わった。沖縄の戦略的重要性はむしろ高まっている。
【沖縄返還前“米軍基地撤退”に言及 NHK 7/31】沖縄が返還される前の1967年、アメリカ政府の高官が岸元総理大臣に対し、「日本が米軍基地を欲しなくなれば、沖縄に残る考えは全くない」と述べ、沖縄からアメリカ軍基地を撤退させる可能性に言及していたことが分かりました。
岸氏らの自主防衛論をけん制し、日本側に基地の必要性を認識させるねらいがあったものとみられます。
沖縄返還を巡る交渉が本格化する前の1967年に、岸元総理大臣がアメリカのマクナマラ国防長官と行った会談のやり取りが、外務省が31日、公開した外交文書で明らかになりました。
それによりますと、マクナマラ国防長官は「アメリカ政府の公式見解ではない」と断ったうえで、「日本がアメリカの基地保有を欲しなくなった日から、一日といえども長くいるべきではない。不必要なリスクを負うくらいなら、沖縄に残る考えは全くない」と述べ、沖縄返還にあたって沖縄からアメリカ軍基地を撤退させる可能性に言及していました。
これに対し、岸氏は「アメリカが利己的な動機で沖縄を占拠しているのではなく、日本やアジアの安定と安全保障のためにいるということは理解している」と応じています。
沖縄返還を進めた当時の佐藤総理大臣の兄で、政界で影響力を持っていた岸氏は、在日アメリカ軍を可能なかぎり撤退させ、日本の防衛は自衛隊が担う「自主防衛論」を唱えていました。
マクナマラ国防長官の発言について、沖縄返還問題が専門の龍谷大学の中島琢磨准教授は「アメリカは、沖縄の基地がなければベトナム戦争を遂行できなかったので、実際には撤退する考えはなかった。岸元総理大臣の自主防衛論が沖縄の基地の返還問題に結びつかないように、クギを刺す意味合いが大きかった」と指摘しています。◆元外務省事務官“逆説として言ったと思う”
岸元総理大臣とアメリカのマクナマラ国防長官の会談が行われた当時、外務省の北米一課の事務官だった渡辺允さんは、NHKの取材に対し、「当時、アジアでは中国、朝鮮半島の問題だけでなく、ベトナム戦争があったので、アメリカとしては沖縄の軍事的な意味を大きく捉えていた。本当に引き揚げるつもりがあったとは考えられず、むしろマクナマラ長官は逆説として言ったのだと思う」と話しています。
【米軍撤退か協力か…沖縄返還前にマクナマラ長官 読売7/31】外務省は31日午前、沖縄返還などに関する外交文書計76冊を東京・麻布台の外交史料館で公開した。
この中で、沖縄返還に向けた日米交渉が本格化する前の1967年3月、マクナマラ米国防長官が訪米した岸元首相に対し、「純然たる私見」と断ったうえで、日本側から米軍の沖縄駐留継続への協力が得られなければ「引き揚げる」と言及していたことが分かった。同時に「(その場合)日本に防衛の責任を引き継いでもらうべきだ」「日本は将来アジアで、米国に比べたはるかに大きな役割を果たすべきだ」と、軍事的貢献への強い期待感も示している。
マクナマラ氏の発言は、沖縄からの米軍撤退の可能性に言及しつつ、日本防衛やアジアの安全保障のため、駐留継続の重要性を強調したものだ。
在米日本大使館の極秘の公電によると、マクナマラ氏は3月23日の岸氏との会談で、在沖縄米軍について、「日本と東南アジアの前進防衛のためにこそ沖縄にいる」と説いた。そのうえで、「米国と政治的関係で共同しつつ、軍事面にもこれを及ぼすことに日本が賛成なら沖縄にとどまるが、そうでなければ引き揚げる」と述べた。
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