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ケインズ、新自由主義とマルクス(メモ) 

 屋嘉宗彦・法政大学教授(2012.5 「経済」)の「ケインズ、新自由主義とマルクス~ 資本主義批判と社会認識の変革」の備忘録。
 大きな流れがつかめる。

【ケインズ、新自由主義とマルクス  ~ 資本主義批判と社会認識の変革】

                        屋嘉宗彦・法政大学教授 2012.4 経済

 リーマンショック、ギリシャ危機~ 財政赤字と景気対策でのジレンマ。/資本主義世界の矛盾を前に、資本主義への疑念を募らせ、マルクスの思想と経済学批判に関心を寄せはじめている。

1.マルクスの経済学批判と「資本論」

◇19世紀と今日の資本主義との相違点

①独占資本主義が、生産、金融においても市場支配力を発揮していること
②国家の経済的役割の非常な高まり~ 矛盾緩和策、資本の蓄積を助ける政策
 ~ が、マルクスが注目されるのは、基本的な政策は変わってないから。

◇資本主義の根本矛盾を明かに

・資本主義生産の基本矛盾~“生産の無制限的な拡大と消費の制限”との対立ととらえ、それが経済恐慌という多大な犠牲をともなう過程を経て一次的に解消される~ ここに資本主義の病理を見た
    例)リーマンショック後の派遣切り、倒産。矛盾緩和策としての財政出動と財政赤字の拡大

・恐慌の根本的な原因は、他でもない資本の行動に内包する矛盾 ~ 資本の目標「利潤の追求」
①利潤を増やし市場での優位を安定させるために、生産の拡大を追求
②大きな利潤を得るため、賃金コストや労働条件を抑制
  → 個々の資本では当然の行動が、社会全体では大きな問題に
   賃金抑制による消費の増大の抑制。一方で生産は拡大するので、いずれ過剰生産、消費不足となる。
(この基本の上に、現実では、投資需要の大きさ、生産部門間のバランス、信用・金融の問題など絡み合う)
 
◇古典派、アダム・スミスと対比すると

 18世紀には、恐慌は生じてないので、資本が主導する経済発展の性格の把握で対比する

≪スミス≫
・経済発展の原動力  人々が利潤を求め資本を投下。それが雇用の拡大にあてられること。
→経済発展の持続は、人手不足を招き、賃金上昇をもたらす → 生産拡大により生産物が増え、賃金が増えるので、物質的福祉条件は向上する(非常に楽観的な見解)

・ただし「諸国民の富」第五篇で ①労働効率をあげる分業が、労働貧民の人間としての諸能力の全面発達を妨げ、理解力、決断力の低下をもたらす。 ②全般的に豊かになっても貧富の格差は避けられない、と指摘。
→ しかし、この問題を、資本の利潤追求と結びつけず、「全般的に人々は豊かになる」と主張し、
①貧富の格差から生じる犯罪(所有権の侵害)は、司法行政の確立 ②部分労働による拘束による人間能力の低下には、国家による教育で解決できるとした。

・今日、スミスの経済学の特徴として「自由放任」「小さな政府」が持ち出されるが
→ 無制限な自由主義者ではなく、資本が、農業、製造業、卸売・運送業、小売業の順に投じられ、順調に経済が発展することを「ものごとの順序」と呼び、人間の自由な行動を、物事の順序と一致する行為を推奨。

(メモ者 ①生産力の低い段階では、供給に制限されて、需要が決まるので需給は一致する。資本主義の初期の段階/ 旧来の産業を侵食し、市場が拡大し、生産量を増やしても、つくれば売れる。この時代背景が反映している。②特権をもった富者・有力者の保護貿易に対する批判 /国内産業の振興を重視し、新しく勃興しつつあった産業資本家の立場を代弁。③「同感」(他人の感情を自分の中に映して共鳴できる気持ち)のパトスを持つ人間の勤労を唱えている。またスミス自身は「自由放任主義」という言葉を使っていない。)

◇雇用は資本の蓄積に比例しては増大しない ~ ヘーゲルからマルクスへ

・ヘーゲル「法の哲学」~“市民社会は各個人の欲求の充足を第一とし、それは一方で富の蓄積・産業の発展・人口の増加をもたらすが、他方では労働に縛りつけられた階級の隷属と窮乏を増加させる”と指摘。
 → マルクスは、ヘーゲルの認識を受け継ぎ、資本論で、古典派経済学の認識を覆す命題を提示/ 新しい技術を導入し生産手段の比重を拡大し、“雇用は蓄積に比例して増大しないこと”を重視。 

・生産手段の私的所有とその上で展開される利潤獲得を目的とする資本の運動が、必然的に労働と敵対せざるを得ないことを明かにした。

◇リカードとマルサス – 資本の矛盾には目を向けず

≪リカード≫
・失業や貧困の原因を、人口の過剰と土地(食料=賃金ファンド)不足にもとめ、資本の行動を免罪
・生産の増大は雇用の増大により可能だが、雇用の増加は食料の増加がなければならず、食料に対して過剰な人口は失業せざるを得ない。よって外国産穀物の輸入、外国の土地の利用を提唱。
→ マルクスは、経済外的な要因による経済発展の限界を言う前に、資本主義的生産が内在的に抱える限界(生産と消費の矛盾)を問題にした。
・リカードは、19世紀初頭の恐慌を経験したが、資本主義の矛盾と認識せず、「生産はそれと同額の需要を生む」というJBセイが提唱した法則を容認。

≪マルサス≫
・リカードの論争相手だったマルサスは、セイ法則を否定。過少消費説を提唱(後世、ケインズが評価)

☆2人とも、資本の内在的な矛盾を認識できず、地主階級と資本家階級の対立に目を奪われていた。

2.新古典派経済学—歴史的な社会認識の欠如

・1870年代、古典派経済学の労働価値説を批判して登場。

・新古典派経済学の目標~ 利潤を追求する企業と、最大限の欲望充足を追求する家計とが、/資源(生産要素)と生産物を市場で売買することによって、/所与の資源(生産要素)を無駄なく効率的に配分・利用し、家計の欲望の最大限に充足させること、を証明すること。

・社会を構成する人は、消費者、資源の所有者として「家計」、生産者としては「企業」と呼ばれる。
→家計は、資源(生産要素)を企業に販売して所得を得る /その所得で企業の生産した生産物を購入する/ 企業は、家計から資源(生産要素)を購入して生産物を生産し、それを家計に打って利潤を得る。
→ ただ、企業は必ず競争者があらわれ生産を増やし価格を引き下げるので、結局、競争化では利潤はゼロとなる。/生産コストは利潤追求と競争の結果、最小諺に引き下げられ、資源の効率的利用が達成される。
→家計と企業が「同一の人間集団」だと考えれば、この結論は不思議ではない。

◇利潤をめぐる新古典派とマルクスの把握 

・新古典派/ 経済が発展する過程で一時的、経過的に存在する。
シュンペーター「イノベーション」利潤が発生し競争相手が参入しても、より高い生産方法を導入したら既存企業の利潤は消滅せずに存続する
→ マルクスが、「特別剰余価値」の発生と消滅として解明した内容を、価値論抜きで模倣したもの。

・新古典派に欠けているもの~ 歴史的な社会認識
この経済学は、社会を構成する人間を完全に対等平等な諸個人と見て、生産手段もすべて彼らによって平等に分割所有されているかのように見ている。
→ 生産手段の所有から排除され生存のために必要な範囲での賃金しか得られない労働者階級がいることが無視され、資本家階級の存在も無視されている。/ 利潤が、本源的に資本と労働との関係から発生するものであることが認識されない。

・新古典派の位置 ~ マルクス「資本論」第三部で批判した「利潤の現象的把握」~「利潤を販売価格マイナス費用価格」としてしかとらえない議論の完成形。

・生産と需要は市場で調整され一致する。供給と需要は一致するというセイの法則を踏襲
→ 生産は、利用可能な資源をすべて使い、資源がなくなるまで拡張することになる。

・利用可能な資源があるのに生産が行われない時は、
→ 市場の調整作用の妨害が原因とされる。/労働力の過剰は、労働組合等の力で賃金が下がらないから、とされる。/すべての生産要素は、市場による価格調整が行えれば完全利用される。

3.30年代不況とケインズ経済学

・新古典派経済学の主張の非現実性~ 1929年恐慌に端を発した世界的大不況によって明確に。
   1933年 アメリカの実質GDPは、29年の7割、失業率25%。
→ 価格メカニズムの不調だけでは説明できず。事態を説明し対策をたてる必要に応えたのがケインズ理論
(メモ者 ケインズは、恐慌の事態を「豊富のなかの貧困」と呼び、新古典派の均衡論の誤りを指摘)

◇ケインズ理論   需要不足、その2つの段階

・セイ法則を否定 ~ 生産は資源の完全利用に行き着く前に、需要の不足により制限される。
→ 需要不足のために生産が少ない水準で需要と均衡する/「不完全雇用均衡」が発生。

◇消費需要と投資需要の不足

①消費需要の伸びの鈍化
・ マルクスと違って、賃金の抑制による消費の制限ではなく、ケインズは心理的傾向に求める

・「消費性向の低下」 /所得が低いとほとんど消費にまわるが、所得が高くなると一部が貯蓄にまわり、消費の割合が低下する
→ 貯蓄分の所得は、購買活動をしないので、生産物に対する需要が不足/ 生産停滞の第一の要因

②企業活動に伴う投資需要の不足

・投資需要をきめる「資本の限界効率」~ ある投資が将来にわたり、どれだけ収益をもたらすかという期待収益の見通しに基づいて算出されたもの。
→ 資本主義の発達、あらゆる分野での競争の激化は、収益見通しを低下させ、投資は次第に困難になる。
→ 生産資源によって規定される可能な生産量に対し、需要全体はそれを下回るだけしか発生せず、生産が停滞する。

・ケインズは、“資本の利潤追求活動そのものがもつ矛盾、資本と労働の対立に起因する困難”を見てない。

◇有効需要の創出政策の提案

・ケインズの提案 ~ 市場の力では解決できない問題を国家の経済政策(需要拡大)で解決する

①消費需要/ 貯蓄をしなくてもよいような政策~ 年金、社会保障制度の充実、医療・教育の無料化
        「消費性向の低下」への対策 ~ 所得再配分による低所得者への所得移転
  ~ これらは長期的変化であり、短期的な政策手段ではないとケインズは考えた。

②投資需要の増加 

・投資を行う企業家は、自ら資本を所有していない。「金利生活者」と呼ぶ利子生み資本家から借り受ける
→ 利子率が、「資本の限界効率」よりも高いと投資は不可能。
/ 限界効率が低くても、利子率がそれ以下なら投資が可能。

・ケインズ 金本位制を排す。金保有量に縛られず自由に貨幣供給が可能に。/人為的に利子率を低下させる。
→ 1つの投資が決定されれば、とれに関連する資材部門等での投資が必要になる、など波及効果(乗数効果)と呼ばれる過程が進行。/結果として、全体として当初の投資の何倍もの生産拡大、雇用拡大が生じる。

・政府が財政を用いて公共投資を行っても同じように波及効果が生じる。

・スタグフレーションの発生 ~ アメリカ60年代後半、「ケインズの有効需要政策」が、景気回復につながらず、インフレのみが進行する事態に。
 → アカデミズムの中に閉じ込められていた新古典派経済学を、ケインズ政策への批判を展開

(メモ者 ケインズの真価は、現代資本主義段階における世界経済の大きな枠組みはどうあるべきかといった問題で、平和主義にたち、抜群の見識と洞察力をあらわし、国際舞台で、その実現のためにつくした面に見られる。一次大戦の処理をめぐってドイツへの過酷な賠償への批判、全ヨーロッパの生活と繁栄の土台のドイツによる破壊をこの条約がさらに徹底しておしすすめることになる。/ドイツのザール地方の石炭とフランスのロレーヌ地方の鉄鉱石との相互供給という今日のEUにつながる提案。/これらの提案をレーニンは高く評価し、彼の提案にしたがい「戦争のために生じた連合国間の債務の帳消し」を実行した。)

4.新自由主義経済学によるケインズ批判

◇理論ではない「理論」

・フリードマンによるケインズの通貨供給政策批判
政府による通貨供給の増大は、短期的には生産の増大を引きおこす/が、その効果は中期的・長期的に打ち消され、結果としては物価の上昇を生じるだけ。

・「公理的期待形勢仮説」派の議論~ 短期的にも効果がなく、国家による経済政策は一切効果がない。

→ これらの主張の根拠/ 無階級社会と超合理的個人の想定にもとづくもの。/人々は実質賃金の増大がなければ働こうとしない。人々は極度に合理的で自分の効用や政府の結果をまったく誤りなく予測し、行動する。

☆彼らの主張は、前提となる社会や個人の認識が、超現実的で、理論の当否を問うことに意味はない。国家の政策の無効を説き、市場万能主義をとなえることに役割がある。

◇ケインズ的赤字政策論への批判

・ブキャナン、ワーグナーの批判 /ケインズ政策は、結局、財政赤字を累積させるもの。

・「不況期の財政出動は、景気回復したら税収増として回収できる」というケインズの主張を批判
 「現代の『民主主義』における政治過程では、政府・政治家は、つねに公共事業など人気取りのばらまき政策に走りがちであり、一方、選挙民大衆もその税負担を明確に意識することがないため、ケインズ的財政政策が、もっぱら財政の悪化という帰結に至る」
→「公共選択論」など、その主張は、新古典派と同様、無階級社会と超合理的個人を想定し、それを政治の世界にあてはめたもの。

・「サプライサイダー」の批判 ~ 需要の不足でなく、供給側にあると主張 

①国家財政が肥大化すれば、資金が国家に移転し、民間企業は投資が難しくなり、設備の更新ができず、生産力が衰退する。②福祉政策が充実すれは、労働者は労働への誘引を失う。
→ よって、政府は福祉政策をやめ、減税によって民間に投資のための資金を残すことが必要。

◇ケインズ、新自由主義、両者の問題点

①新自由主義の共通の特徴~ 新古典派経済学的に社会観にもとづき自由な市場経済を理想化

②ケインズの理論
・新古典派を批判し、市場の機能が完全でない。/ 労働者は、賃金によって得られる効用と労働にともなう苦痛を比較して労働供給を行うかどうかを決定する「ゆとりある個人」ではない。/ 個人の選択はすべてについて同一な合理性を持つものではない。を経済学の基礎におき

・失業は個人の責任(選択)で生じるのではなく、経済活動の社会的結果として生じる、とする

・しかし、ケインズの議論は、不況からの脱出という急を要する短期的な問題に限定。 / 技術条件が変化し生産力が変化していくような中・長期的問題を省いたことから、マルクスが論じたような、投資と経済発展が続く中でも失業が発生するという問題は無視された。
→ それは、金利生活者の利益は社会にとって不利益、企業家の利益は社会にとって利益、とする資本の性質を根本的にとらえていない点に原因の1つがある。

・また、20世紀の巨大企業が、経済だけでなく国家の政策も左右する力を持つようになっていることを理論の中に組み入れていない。
→ 失業解消のための財政・金融政策の実行は、独占資本の蓄積を保証するものでもある。/ケインズは、公共投資を含めた「投資の広範な社会化」の必要性に言及しているが、それは、国策をも左右する独占資本の利益の前にいかに困難か。公共事業の実態が示している。

・財政赤字についての楽観的な見解 → 資本の利益が国家の政策を左右することへの認識の希薄なところに原因
→その点では、ケインズを批判したブキャナンも同様/ 財政赤字が解消できないのは、国民の利己的投票活動のせいではなく、国家が独占資本の蓄積を助けるために赤字も問わないことになる。/ 国家と資本の関係にもとづく政治の実態を無視し、国民を理性のない利己的人間集団に解消し、そこに責任を負わせる資本擁護の主張。

5 今後の経済学に問われているもの

・80年代後半のバブル経済とその破綻、リーマンショック、ギリシャ危機などは、80年代の金融の自由化に根拠を持ち、それを推進した新自由主義経済学の責任は大きい。そのもとで・・・

①国家独占資本主義論の視点
 国家の経済対策は、独占資本の蓄積を助ける諸方策を軸に、部分的に国民の要求への譲歩として宥和政策が一部重なりつつ実行されている。/単純な二元論、福祉国家論ではない。/国家独占資本主義論は、グローバル化し、多様化し、複雑になった現代資本主義を分析する基礎として生かされるべき。
(メモ者 多国籍企業は、自らの蓄積環境をととのえるために、国家を通じた国際的なルールづくりを展開。国民経済と多国籍企業の利益の不一致、即、国家不要ではない。)

②ケインズの理性的国家による市場への介入を前提とした経済学の立場の再検討
・新自由主義経済学の利己的市場原理主義に対する理論的課題として

・同時に、国家を「理想的国家」にするには、経済活動と政治活動の現実の部面で、資本と労働の対決、独占資本と国民一般の利害対立を見据えて、力関係を変えて行く活動が必要。

・そのためにもマルクスの理論とその展開を理解する必要がある。

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