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北アフリカ革命 歴史的意義と試練(備忘録)

  高林敏行・AALA連帯委員会常任理事の論稿(2012/2)より。「アラブの春」とアフリカについて、認識を新たにした点が少なくなかった。
 欧米の目からみた報道、論評が多いだけに、貴重な視点である。
 以下、備忘録(小見出しはメモ者)

【北アフリカ革命 歴史的意義と試練】

  高林敏行・AALA連帯委員会常任理事の論稿(2012/2)より

◇はじめに

・2011年「北アフリカ革命」として歴史に刻まれる/年明け、チュニジア、エジプトの独裁指導者が退陣
/リビア 42年君臨してきたカダフィ政権崩壊~NATO、アラブ諸国の軍事支援を受けた反対勢力の戦闘を経て、カダフィ殺害(10/20)
→ 3つの長期独裁政権が短期間で連鎖的に崩壊したことは劇的な変化。

・「北アフリカ革命」は、一般的に「アラブの春」の一環として語られる。エジプトがアラブの中心であることなどは事実
→ が、北アフリカがアフリカ大陸位置する事実を軽視。“「アラブの春」が独裁体制の多いアフリカに波及する”という言説も/1990年以来、アフリカにおける民主化(少なくても外形的に)の着実な前進を無視。アフリカの「後進性」という誤った固定観念の産物
・「北アフリカ革命」は、むしろ民主化の波を、アフリカからアラブにつなぐもの。

◇アフリカにおける民主化の進展状況

・アフリカ諸国/欧州列強により人為的な植民地分割の中で成立/新興国の大半では、1980年代まで「国民統一」「反部族主義」の名のもので一党独裁体制が正当化された。
→ 実際は、政治腐敗と人権抑圧を蔓延させ、長期執行者が君臨。/反面として武力紛争などが多発。

・1990年代。平和のために民主化が必要との認識が広がり、政治的自由化が急速に進展/多党制に移行。
→ 選挙の自由度による4つの分類
①民主的政権交代 10数カ国/その中にはシエラ・レオネ、コモロも。/AUの努力
②民主的選挙 野党を含む競争的選挙の実施、野党が実効的に選挙に参加(20カ国)
   ギニア、ニジェールでは野党指導者が大統領に。ジンバブエでは野党が第一党に。
③権威主義的選挙体制 形式的には多党制だが実質与党が独占的支配力を発揮 20カ国強
④独裁体制その他 11カ国/国家崩壊状態のソマリア、モロッコの占領と戦う西サハラ亡命政府

・アフリカでは、過半数の国が、多党制、多様な政治的意見を認める自由を前進/特に「西」「南部」
→ クーデターの激減(2000年 OAU「反憲法的政府変革を否定する宣言」)/発生した場合も、AUなどの制裁、調停により、2年以内に憲政復帰が実現。
・同時に、③④の国も多く、民主化は過渡的状態。/選挙の透明性向上、政治的自由の拡大など必要
→ 07ケニア、08ジンバブエの大統領選に起因した激しい抗争(アフリカ主導の国際的仲裁で当面収束)/民主選挙で選ばれた大統領が軍事クーデターで倒された例(ニジェール〔任期延長を画策、モーニタリアなど)
⇒ が、20年前まで独裁体制に覆われていたことから見れば、アフリカの現状は着実な前進をしてきた。

◇アフリカ民主化の波及としての「北アフリカ革命」

(1)立ち遅れてきた北アフリカの民主化

・サハラ以南の大半、多民族・多部族国家/北部、アラブ・イスラム文化が圧倒的主流。均質性が高い⇔サハラ以南ほど「上からの国民統一」の必要性がたかくなかったのに、長期独裁・権威主義的体制が続いた。
・「アラブの春」で最初に火のついたのはアフリカの1部であるチュニジア、エジプト
→両国の軍部は、民主化デモり武装弾圧を回避、独裁者に引導~ 暴力による政権維持は許さないというアフリカの政治文化の広がりとその圧力が強烈だったため

(2)西アジアのアラブ諸国では・・

・西アジアのアラブ諸国のほとんどは「③、④」のカテゴリー/王、首長が支配的権力する君主国
・ 「北アフリカ革命」と同時期。バーレーン王国での多数派シーア派信徒を中心とする民主化要求デモに対し、湾岸協力協議会(専制君主国の集まり)が、合同軍を派遣し鎮圧。
・アラブ連盟 バーレーン軍事介入、モロッコの西サハラ軍事占領をともに容認(AUは亡命政府を承認)。
→ イエメンに対する調停案(大統領辞任、副大統領の昇格など)も、革命状況の沈静化、湾岸君主諸国への民主化運動の波及を抑止しようとする意図がうかがえる。

・北アフリカ革命 AU総予算の3/4を拠出する五大国のうち三カ国の民主化は、アフリカ全土の民主化をさらに促進することになり/ さらにアラブ全体にも民主的変革をもたらし得る/画期的意義を有する

◇リビアの悲劇 / 「理想主義」と「未成熟な市民」の対決

(1)リビアだけが激しい武力紛争に~特殊な歴史的背景

・イタリアの植民地化により現在の枠組み。独立前から地域間の対立が根深い
 独立後、王政、軍政、カダフィ体制と、立憲君主制の経験(一党独裁、多党制であれ)をしていない。
・カダフィ体制/「ジャマ―ヒーリーヤ」(大衆の共同体)という「直接民主主義」を具現した政体、と説明
~“全人民が人民会議に参加し、合議・合意による「直接民主制」でこそ真の民主主義”という非現実なもの
/統制により政党、政治結社、自主的な市民組織も否定。民主的議論などありえなかった。

(2)カダフィによるリビアの経済的前進

・米英の軍事基地撤収、石油産業の国有化、大学までの無償教育、大学の全国的拡充、住宅の整備、無償の医療、大規模な潅漑事業などインフラ整備 /最貧国の1つからアフリカ最高の人間開発指数に
→ 発展を指導者の「恩恵」とし、/その「恩恵」も人口の85%がカダフィ後となり、完全に遊離。/ホワイトカラー志向の強まり。肉体労働・非熟練労働は、150-250万の外国人の出稼ぎに委ねる。

(3)自由なき豊かさの中の「閉塞感」

・法治主義の経験もなく、自発的な行動の機会もうばわれ、市民としての未成熟。/自由なき豊かさの中での「閉塞感」が、反カダフィ蜂起の原動力。/特に王政時代に優遇され、イスラムの影響が強いと、カダフィに繰り返し弾圧されてきた東部キレナイカで蜂起の火の手があがった。
・虚構におぼれた「革命家」が、苛烈な暴力で「反革命」に応じ、未成熟な市民は、諸外国の介入に安易に依存したばかりでなく、日常的に差別対象としてきたアフリカ人労働者を「傭兵」と見なし虐殺、虐待。

◇リビアへの軍事介入が落とす暗い影

(1)NATOとアラブ君主制諸国(カタール、ヨルダン、アラブ首長国連邦)の同盟軍が軍事介入

    国連安保理決議1973(2011/3)の「市民保護」の域を超えた体制打倒のための行動
・「民主化支援」の名で介入した国々・・・
  植民地支配者イタリア、二次大戦後に分割統治したフランスとイギリス、軍事基地を保有した米国。

(2)特に、積極的行動をとったのがフランス。

 反体制派「暫定国民評議会」を世界で初めて承認など、体制打倒に最も前のめりの姿勢(モロッコの西サハラ浅慮も最も積極的に後援)
→ 何故か? /オイルマネーによる経済援助で、カダフィの影響力拡大/「サヘル・サハラ諸国共同体」(カダフィ提唱)に、アフリカの北半分をほぼ包摂する28カ国が参加。
→ その大部分が、旧フランス植民地、「フランス語圏」の中心 /一方、90年以降の駐留仏軍の大幅削減、ユーロ加入にともなう「フラン圏」の動揺/ フランスの覇権を脅かすカダフィ体制の打倒と、リビアの石油利権に対する優先的アクセス、という狙い。

(3)アラブ君主制諸国の思惑

・バーレーン民主化運動粉砕から世界の目をそらせ、民衆主体の民主化の流れを体制側からコントロールする
→ アラブ連盟 リビアの加盟資格停止(2/22)、国連に飛行禁止区域の設定を求める決議(3/12)
・AU 安保理(3/10)で外国の軍事介入反対を主張。首脳級の会議による内政調停に臨もうとしていた。(アラブ君主国らのバーレーンへ軍派遣は3/14)
・NATOとアラブ連盟は、平和的な紛争解決をめざしたAUの調停工作を無視/根拠薄弱な「アフリカ人傭兵」説(アムネスティ・インターナショナル)を流し、AUの調停の信頼性を貶め、体制打倒に驀進。

(4)体制打倒後の混乱

・体制離脱者からイスラム主義者までの勢力の寄せ集め、各地の武装勢力も統制できない暫定国民評議会による無秩序な「統治」

◇むすびに代えて

・チュニジア 11年10月制憲議会選挙 旧体制下が弾圧されていた穏健イスラム運動が第一党に。
・エジプト 11月国政選挙第一段階 自由公正党(ムスリム系)36%超、急進的イスラム政党24%

 これらのイスラム系団体は、貧困層への福祉、災害救援に積極的に活動してきた実績が、独占体制に対する持つ不満を吸収/ 若者の動きが体制打倒に大きな役割。が打倒後は早期の正常化の志向、すでに組織力をもったイスラム勢力が主導権を握ったのは同然

・問題は/ 先進諸国が、イスラム主義勢力を過剰に敵視し、現地の民意を無視して排除(または排除を支持)したことが、情勢の悪化と、真に過激な勢力の台頭を招いただけ
→ イスラム勢力が主要な政治アクターとして認める民意が明確に示されたことが、「北アフリカ革命」による民主化の成果であると、冷静に認めるべき/リビアに対するような恣意的干渉は厳に慎むべき

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