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原子力基本法成立~「共産党排除」と日本への核配備

 55年に成立した原子力基本法は、自民党、社会党議員全員421人による議員提案で、法案提出に先立ち両党は非公式で内容を詰め、経団連とも打ち合わせをし財界の了承をとっていた。(本日の赤旗より)
 この過程が、共産党排除による「安全神話」の出発点とも言え、またアメリカの核戦略の一環だったということは、現在の政治を、見るうえで大切に視点と言える。
 成立過程の模様は、経団連10年史・下に、こう記載されている。

 両党が作った合同委員会は、経団連に対し、法案は、原子力の研究・開発・利用にあたり「共産党を除いた超党派勢力を結集してこれを民主的に推進することを目的とした」と説明。

 また超党派を結成した理由について、中曽根康弘氏は、国会審議の冒頭で、超党派提案の形をとった理由として「国民の相当数が、日本の原子力政策の推進を冷ややかな目で見るということは悲しむべきこと。絶対に避けなければならない」とのべ、広島、長崎、ビキニと3度の被曝を体験した、国民の核エネルギーへの拒否感を、「回避」することが狙いであったことが述べられている。
 
 前年のビキニ被曝をうけ、核実験に反対する3000万人に達する大規模な署名運動が展開され、55年に、日本母親大会が誕生、 第1回原水爆禁止世界大会が開催されている。そういう情勢である。 

 これだけの国会議員が賛成しているのだから「安全だ」と印象づけ、審議もそこそこに衆参4日で採決。
「安全神話」は、55年体制(自民党、社会党の成立)とともに、法案成立の仮定に組み込まれていたといえる
(法案反対は、衆院で共同会派をくんでいた日本共産党と労農党)。

 このことを、当時、日本への核配備計画と重ね合わせると興味深い。

【米戦略阻止したノーの声/日本への核配備計画 東奥日報8/8】 
 【米、日本への核配備狙う 50年代、公文書に明記 共同 8/4】
 “日本を原子力利用へと導いた1950年代の米国の対日原子力技術協力。その背景に、日本列島への核兵器配備という高度な戦略目的が隠されていたことが、米政府が解禁した公文書から明らかになった。”“「原子力の平和利用」は、核兵器持ち込みとセットだった”

 長崎平和宣言が、脱原発と核兵器廃絶にふれたのは、歴史的に見て、きわめて本質的な提起と言える。


【米戦略阻止したノーの声/日本への核配備計画 東奥日報8/8】

 日本を原子力利用へと導いた1950年代の米国の対日原子力技術協力。その背景に、日本列島への核兵器配備という高度な戦略目的が隠されていたことが、米政府が解禁した公文書から明らかになった。
 核大国である米国が日本に対して声高に叫んだ「原子力の平和利用」は、核兵器持ち込みとセットだった事実があぶり出された格好で、驚きを禁じ得ない。
 米国立公文書館の解禁資料によると、当時のアイゼンハワー政権は核兵器を「安価な兵器」とみなし、通常戦力で優位を誇るソ連軍に対する切り札に位置付けていた。当然のごとく、アジアの最前線である日本への配備が画策された。
 ところが、54年の第五福竜丸事件で構想は難航。そこで思いついたのが「原子力の平和利用」による被爆国ニッポンの懐柔策だった。原子力への理解が深まれば、国民の反核感情を和らげることができ、ひいては核兵器配備も可能になる-との見通しからだった。
 しかし結果的に、日本国内の反核の流れを押し止めることができず、妥協策として生まれたのが「コア」と呼ばれる、核物質部分を含まない核爆弾本体の配備だった。54年から55年にかけてのことである。
 一方、欧州への核配備は計画通りに行われた。ということは、米国の核戦略は日本国民の「核ノー」の声に屈し、方向修正を迫られたと言うことができる。反核感情を過小評価していたとしか言いようがない。
 しかし、コア抜きの核爆弾本体が日本国内の米軍基地に配備されたという事実は残る。本紙は以前、冷戦時の米軍三沢基地にコア抜きの核爆弾本体が保管され、有事の際にはコアを装てんした上で出撃する計画だったことを機密文書から明らかにしたが、あらためて裏づけられた形だ。
 本紙の調査によると、三沢以外の出撃基地は入間(埼玉)、小牧(愛知)、板付(福岡)など。コアは米軍政下にあった沖縄の嘉手納基地に置かれ、開戦が迫ると同時に、日本国内の各空軍基地に運び込まれる手はずになっていた。
 まさに、日本列島は日本国民の知らないうちにソ連、中国に対する核出撃基地と化していたのである。
 核に拒否反応を示す日本国民を強引に、核使用の随伴者にしようとしていた米国。その手法は非難に値するとともに、それを密約という形で黙認していた日本政府もそしりを免れまい。

 米公文書を入手した日米史研究家の新原昭治氏は「原子力の平和利用という宣伝を通じて、日本への核兵器持ち込みをもくろんだ米国には驚く。平和利用がこうした企てと一体化していたことが、安全無視の原発の暴走につながったと思えてならない」と語る。
 現代に目を転じると「核なき世界」を訴えたはずのオバマ政権が臨界前核実験に踏み切り核兵器に執着する姿勢を鮮明にしている。
 核反対の声が無力ではなかったことを歴史が証明している以上、ノーと叫び続けなくてはいけない。


【米、日本への核配備狙う 50年代、公文書に明記 共同 8/4】

 米政府が、日本への原子力技術協力に乗り出した1950年代半ば、原子力の平和利用促進によって日本国民の反核感情を和らげた上で、最終的には日本本土への核兵器配備にこぎ着ける政策を立案していたことが4日、米公文書から分かった。
 米公文書は、当面は核兵器配備に触れずに「平和利用」を強調することで、米核戦略に対する被爆国の「心理的な障壁」を打破できると指摘。米国の原子力協力は54年3月の第五福竜丸事件を機に本格化したが、米側に「日本への核配備」という隠れた思惑があった実態が浮かび上がった。
 日米史研究家の新原昭治氏が米国立公文書館で関連文書を入手した。

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