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被災地支援が問い直す「公務」と「市民運動」の相補関係 

 「jichiken(全国研)の日記」さんのブログより、下記の表題の論文について紹介文。被災地でボランティアが、住民のニーズが把握できないために、「足りている」という状況を糸口に、基本的ニーズを公的に保障されてこそ、ボランティアなど市民運動が力を発揮できる、として「公」と「市民」を対立させる「構造改革」路線、「新しい公共」の再考をうながすもの。重要な視点である。 
【仁平典宏「被災者支援から問い直す『新しい公共』」について jichiken(全国研)の日記 8/10】

 この「公務」と「市民」の関係では、地方自治研究機構の下記の論文も同様の指摘がある。

【「高齢者の地域生活の現状と地域福祉活動」―ひとり暮らし高齢者の社会的孤立対策における「支えあい」の限界― 菅野道生・東日本国際大学准教授2010/11】 

【仁平典宏「被災者支援から問い直す『新しい公共』」について jichiken(全国研)の日記 8/10】

 雑誌『POSSEvol.11』に標記の論文が所収されています。仁平氏はボランティア論を展開する気鋭の若手社会学者。

 被災者支援においては、NPOも、住居や収入・生計手段や医療・福祉などの社会権に属する分野までは救いようがない、健康と安全と尊厳の基盤を提供できるのは最終的に公的セクターしかないという意味での、NPOの限界を論じつつ、続いてボランティア活動について不全感があったとして、次のように述べています。

 「ボランティアは足りているかと聞く筆者に対し、…新人コーディネーターは『十分足りている』と答えた。すかさず、ベテランのコーディネーターが横から口を挟む。『ボランティアが圧倒的に足りない現状が見えないほど、コーディネートが追いついていない状態なんですよ』。十分量のコーディネーターが丁寧に聞き取れば、無数のニーズが発見されていく。それに応じてボランティアをマッチングさせることができる。だが、ニーズは聴き取られなければ『存在』しない。助けを求める電話を受ける人がいなければ、そのニーズはなかったことになる」

 「各地域の災害ボランティアセンターの設置・運営において、自治体や社会福祉協議会の果たす役割は大きい。

 このことが示すのは、公的セクターと市民セクターの関係は、前者が小さくなれば、その分後者が大きくなるという単純なものではないということである。今回ボランティアが活動できなかったのは、…自治体や社会福祉協議会自体が大規模に損壊し、…十分にコーディネートに手を割くことが出来なかったためである。…だが、その損壊は、津波だけが原因だったのだろうか」

 そして、次のように考察する。

 「今回見えてきたのは、公的セクターと市民セクターの相補的な関係の重要さである。NPOや市民が限界まで活動しても、社会権の十全な回復を通してでないと避難状況から脱却できない。これは政府が―再分配という形の連帯を通して―責任をもって行うべき役割がある。そしてその基本ニーズが公的に保障されてこそ、創意に満ちた市民セクターの活動も輝きを増す」

 「今回ボランティアセンターに不具合が多かったのは、職員が被災して行政機能が損壊していたためだけではない。ゼロ年代(の都市から地方への再分配停滞、地方公共投資削減、地方交付税削減、平成の大合併、社会福祉協議会の統廃合など)を通して既に衰弱させられていたためなのだ」
「(市民セクターの足を引っ張る非効率な公的セクターという政治的文脈)にもかかわらず、苦情や不満を一身に受けながら、不眠不休で働いてきた人たちもまた、構造改革の中でバッシングの対象であった地方の公務員・準公務員たちであった」

 同時に、敷衍して「新しい公共」論について以下のように展開する。

 「ここで一歩踏み込んで問いたいのは、これまでの市民社会論・NPO論は、その相補関係を壊す流れに―結果的に―荷担してこなかったかということである」

 「『新しい公共』が自らを意味ある理念としたいのであれば、ゼロ年代の文脈から十分切断される必要があるだろう。鳩山由起夫は、首相の所信表明演説の中で『市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけ』と説明している。このような発想こそがゼロ年代の文脈である」

 「災害時の社会が逆照射するのは、平時の社会が孕んできた矛盾である。『新しい公共』という理念を再構築するなら、まずは社会的に困難を抱える人々が安心して暮らせることを公的・制度的に保障し、その上に市民の創意工夫や直接民主主義的な参加が花開くような、二層的な公共空間であるべきだろう」

 編集子も、以前埼玉県北本市図書館の指定管理者問題(市が子ども文庫連絡会に指定管理者になるよう要請したが、「私たちは子ども文庫をしたいのであってそれは図書館のカウンターのなかに入ることと違う」として逆に連絡会が制度導入中止の住民運動に取り組んだこと)を取材して、「公共サービスを開放するだけが市民の力を活かすことだろうか。地域社会に子ども文庫活動が大事であるとするならば、負担の大きい図書館運営を任せるのではなく、直営を維持して民主主義的な関係をつくることこそ本筋だろう」(07年6月号編集部ルポ)、「官か民かではない『公務労働あってこそ自治も公共も豊かになるはず』」(07年12月号後記)と、漠然と考えてきましたが、極限状況(例外状態)であるかという違いがあるにせよ、仁平氏が被災地の現実のなかに公的セクターと市民セクターの相補関係を見出していることに、大変励まされました。

 ちなみに同誌には岡田知弘先生のインタビュー記事「『創造的復興』が地域社会を破壊する」も収載されています。ご一読をお薦めします。


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