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原発依存の「経済成長」 誰のため? 毎日コラム

 高度成長政策とその後のゼロ成長路線を支えた理論家・下村治氏が「現実の人間を見ず、人間のいない経済を想定して、いったい、どういう意味があるのだろうか」と述べ、晩年アメリカの強欲資本主義と、日本の卑屈な追随を徹底批判した、ことを紹介しながら、と取り上げ、原発依存の経済成長に固執する論調に釘をさしている。
 あと、国策を問うと言う点で、沖縄タイムスの社説も。
 【風知草:経済成長、誰のため?=山田孝男 8/1】
【[原発と基地]国策を問い直すときだ 沖縄タイムス社説7/29】

石油・石炭もウランも有限の資源であり、とくに原発は核廃棄物という手に負えないものを排出する・・ 「安全な社会、健全な経済を再建するという意志」の明確さ、政策転換の決断が求められている。

 ドイツもスイスも10年、20年などの単位で依存から脱却する方針である。

【風知草:経済成長、誰のため?=山田孝男 8/1】

 「脱原発もいいが、経済成長をどうしてくれる」という声を聞くたびに、思い浮かぶ顔がある。「経済成長の条件がないのに成長を求めるな」と説いたエコノミスト・下村治(89年、78歳で死去)である。
 その生涯は、沢木耕太郎「危機の宰相」(08年文春文庫)や水木楊(よう)「思い邪(よこしま)なし」(92年講談社)にくわしい。
 下村は戦後を代表するエコノミストだ。60年代には自民党の高度成長政策を支える最大の理論家だった。石油ショック(73年)以降は「ゼロ成長」論の旗手。変化を読み、新時代への適応を果敢に論じた。
 原発が次々に止まる現状は石油輸出国機構(OPEC)の生産調整で原油の輸入が止まった70年代に似ている。
 あの時、下村は、成長からゼロ成長へ、アッという間に変身した。「変節」を問われた下村は、「考え方が変わったわけではない。経済に与えられた条件が変化したのだ」と答えた(下村「ゼロ成長/脱出の条件」76年東洋経済新報社)。
 いまはどうか。政官財の指導的な立場の人々も、主流のエコノミストも、引き続き経済成長を求めてやまない。原発の危険は思い知ったものの、成長を妨げる根本的な環境変化とまでは考えない。原発リスクと成長をはかりにかけ、針路を自在に選べると思っている。
 そこがおかしい。私自身、3月11日まで気づかなかったけれども、天変地異が続く今日、原発は急迫の脅威だ。成長が大事だから危険を低めに見ようというわけにいかない。低レベル放射性物質の影響は軽微と強調する向きがあるが、使用済み燃料を含む肝心の高レベル核廃棄物処理は展望ゼロだ。
 もし下村が元気だったら、原発リスクを根本的な条件の変化と受け止め、原発依存の成長論者をたしなめたのではないかと思うゆえんである。
 下村は晩年、「日本は悪くない/悪いのはアメリカだ」(87年ネスコ刊、09年文春文庫)を著し、アメリカの強欲資本主義と、日本の卑屈な追随を徹底批判した。日米協調優先の論壇主流からは黙殺されたが、時間の経過とともに再評価され、文庫版が読まれている。
 「物事が発展し、複雑になると、いつの間にか基本的なことを忘れてしまいがちである」と下村は切り出す。経済活動は何のためにあるか。国民が生きていくためだ。ところが、現実には、国民経済・国民生活よりもグローバル企業の経営効率が優先されがちだ。
 「現実の人間を見ず、人間のいない経済を想定して、いったい、どういう意味があるのだろうか」。下村の憂憤は、24年を経てますます新鮮だ。
 マネーゲームが幅を利かせる強欲資本主義は今日、全地球を席巻している。原発は経済成長の強力な基盤だ。中国は2020年までに100万キロワット換算で70基の原発をつくるという。猛スピードで突き進む経済発展のほころびの一つが中国高速鉄道の事故に違いない。
 原発停止は江戸時代に戻ることを意味しない。5年前、10年前の電力消費水準に戻ったとしても、日本はつぶれまい。立ち止まって原発依存を見直し、安全な社会、健全な経済を再建するという意志さえ明確であれば、「脱原発」でも「減原発」でも同じことだろう。
 集団ヒステリー状態に陥っているのは「脱原発」志向の世論ではない。経済成長に妄執する指導者層である

【[原発と基地]国策を問い直すときだ 沖縄タイムス社説7/29】

 玄海原発の再稼働をめぐって注目を浴びた佐賀県玄海町は、かつて米軍基地の移転問題に直面した時期もあった。
 1968年6月、夜間訓練中の米軍F4Cファントム戦闘機が福岡市の九州大工学部構内に墜落、炎上した。米軍板付基地(のちに返還・現福岡空港)に着陸する際の事故で、地元の反発が一気に高まった。
 この際、板付基地は隣県の佐賀への移転も一時取りざたされた。候補地として浮上したのが、玄海町に隣接する肥前町(現唐津市)で、玄海原発の立地予定地から約10キロの位置だった。
 玄海町の寺の住職で反原発グループ「玄海原発対策住民会議」副会長を務める仲秋喜道さん(81)は著書「玄海原発に異議あり」(光陽出版社)で、その経緯に触れている。
 当時、地元の一部政治家や経済関係者は移設を後押しした。が、町一丸となって誘致した玄海原発1号機とは異なり、米軍基地の移転には玄海町を含む地元住民が強い拒絶反応を示した。原発の真上が米軍機の飛行ルートになる、との懸念から大規模な反対集会が催され、移転は立ち消えになったという。71年に玄海原発1号機が着工される前のことだ。
 基地と原発に向き合った、当時の住民意識について仲秋さんは「米軍基地は反戦運動とも連なり、事件事故への不安も大きいが、原発の場合、『原子力の平和利用』という言葉にだまされた」と振り返る。その後、玄海原発は2、3、4号機となし崩し的に増設されていった。
 原発との共存が長くなるほど、生活の隅々にまで「原発マネー」が浸透し、関係を絶つのは難しくなる。国策に逆らっても仕方がない、という「あきらめ感」が住民を覆う、と仲秋さんは言う。

 脆弱(ぜいじゃく)な地方に「アメ」をばらまき、がんじがらめにしていく構図は沖縄の米軍基地も同じだ。「原子力ムラ」といわれる産官学のエキスパートがスクラムを組み、原発への批判を封じ込める閉鎖的な体制は、日米の安保専門家や主要メディアが一体となって普天間問題を「県内移設ありき」で押し込める姿勢と重なる。
 安全保障もエネルギー政策も本来、すべての国民の暮らしと密接にかかわる課題だが、「特定地域の問題」と受け流すムードが政策的に生み出されてきた。

 だが、福島第1原発事故は、国策に翻弄(ほんろう)される地域が痛みを共有し、無関心の壁を取り払う契機にもなり得る。
 仲秋さんは「沖縄も同じと思ってきたが、昨年以降は沖縄の変化を強く意識するようになった」と打ち明ける。
 変化とは、普天間飛行場の県内移設反対派が勝利した、名護市長選や市議選などを指す。「県外移設要求」で結集した沖縄の地殻変動は、他地域を導くともしびにもなっている。
 国策とどう向き合うかは、自治体の主体性が問われる局面でもある。国と地方の関係が見直されつつある今、同根の問題を抱える地域の連携によって、「国策のゆがみ」を正すことも可能ではないか。


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