君が代判決への声明 自由法曹団
簡潔かつ要点がまとめられている。
思想・良心の自由について日本の歴史的意義、職務命令が、その思想・良心の制約となること「否定しがたい」としかなら、歴史的意義を踏まえず最高裁が憲法擁護の職責を放棄した問題、強制が教育の生命力を失わされる「懸念」を示しているが、それは現実に起こっていることであり、自由闊達な教育の回復こそが求められると・・
【「君が代」斉唱時に起立を求める職務命令を合憲と判断した最高裁第2小法廷2011年5月30日判決に抗議するとともに都教委に対して「10・23通達」とこれに基づく処分の撤回を求める
2011年6月1日 自由法曹団】
この判決文と補足意見・・・ここまで認めているのなら「違憲」だろ、と思える内容になっている。それを合憲にする仕掛けは、「卒業式は、厳粛で秩序あるものであるべき」という前提の置き方にあると見える。補足的違憲で「教育は、強制ではなく自由闊達に行われることが望ましい」としながら、教師と生徒が創意工夫した自由で楽しい卒業式を認めていない。また、国旗国家に、多様な態度をとる人がいること、その背景を知ることは、リテラシーを養うために、教育効果がある。そんなことはすぐわかるはずである。
「合憲ありき」で無理やり結論を導いている、としか見えない。
【「君が代」斉唱時に起立を求める職務命令を合憲と判断した最高裁第2小法廷2011年5月30日判決に抗議するとともに都教委に対して「10・23通達」とこれに基づく処分の撤回を求める
2011年6月1日 自由法曹団】1 最高裁判所第2小法廷は、2011年5月30日、公立学校の卒業式で「君が代」斉唱時に教諭を起立斉唱させた「10.23通達」に基づく校長の職務命令は憲法19条に違反しないとし、思想・良心の自由を侵害されたとして損害賠償などを求めていた元教諭の上告を棄却した。
最高裁は、憲法を擁護するその職責を放棄したものと厳しく批判されなければならない。2 思想・良心の自由については、考慮しなければならない日本の歴史的事実がある。すなわち須藤裁判官の補足意見が述べているとおり、「思想及び良心の自由の保障が戦前に歩んだ苦難の歴史を踏まえて、諸外国の憲法とは異なり、独自に日本国憲法に規定された」という事実である。比較憲法的にみて、表現の自由とは別個に思想・良心の自由の保障を定めている憲法は少ない。にもかかわらず、日本国憲法が、精神的自由に関する諸規定の冒頭において、思想・良心の自由を特に保障したのは、わが国では、大日本帝国憲法下において、治安維持法の運用にみられるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかったからである。こうした歴史的事実をふまえれば、思想・良心の自由に関する制約の合憲性判断にあたっては、当然より厳格な基準に基づくことが要請される。
3 思想・良心の自由を侵害されるものにとって、制約が「間接的」であっても、憲法19条の保障が及ぶ。須藤裁判官の補足意見が述べるとおり、「憲法における思想及び良心の自由の保障は、個人の尊厳の観点からして、あるいは、多様な思想、多元的な価値観の併存こそが民主主義社会成立のための前提基盤であるとの観点からして、まずもってその当人の主観を中心にして考えられるものであり、このような憲法的価値の性質からすると、間接的制約や信条の制約の場面でも、憲法19条の保障の趣旨は及ぶ」のである。
今回の判決は、「起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる『日の丸』や『君が代』に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い」というところまで認めた。
そこまで認めながら、「間接的」であるがゆえにゆるやかな基準で合憲性を判断し、本件職務命令を合憲と判断した最高裁に強く抗議する。
思想・良心の自由の重要性、これを踏まえた「二重の基準」、さらにはわが国が内心の自由に対して弾圧を加えてきた歴史的経緯に鑑みれば、思想・良心の自由に対する制約の合憲性判断にあたっては、必要性・合理性の基準ではなく、より厳格な基準で判断すべきであり、そうすれば本件職務命令が憲法19条に違反するものであったことは明らかである。
4 しかし他方で判決は、職務命令を合憲とする結論にも関わらず、随所で都の教育行政のあり方に反省を迫っている。
ちなみに須藤裁判官の補足意見は、教育現場の問題に踏み込んで「最も肝腎なことは、物理的、形式的に画一化された教育ではなく、熱意と意欲に満ちた教師により、しかも生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば、かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。」と懸念を明らかにしている。そして「教育は、強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって、上記の契機を与えるための教育を行う場合においてもそのことは変わらないであろう。その意味で、強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである。」として「思想及び良心の自由の重みに照らし、また、あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも、それ(懲戒処分)に踏み切る前に、教育行政担当者において、寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれるところである。」としている。しかし、これは懸念を言ってすむ問題ではない。現実に東京都においては、強制と処分の連続が教育現場に無用な混乱をもたらしており、生徒と教師そして父母がともに作り上げてきた生き生きとした創造的な卒業式は姿を消し、かつて誇りを持って語られた都立高校の自由で豊かな教育が失われようとしている。今求められているのは、生徒の個性に応じた生き生きとした教育の回復であり、誤った職務命令と懲戒処分を許さず、自由闊達な教育を実現することである。
5 以上のとおり、自由法曹団は、最高裁の役割を放棄し職務命令を合憲とした判決の結論を強く批判するとともに、都の教育行政のあり方に反省を迫る判示の内容をふまえ、あらためて、都教委に対して「10・23通達」とこれに基づく処分の撤回を求める。
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