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沖縄戦から66年 過去でなく現在進行中

 戦没者数20万、半分が民間人・・・本土の捨石にされ、戦後、住民無視でつくられた米軍基地。辺野古の新基地、オスプレイの配備、米軍機の轟音の急増。「過去ではなく現在進行中」「戦後はあったのか」と沖縄の地元紙
この沖縄の姿と被災地の財界主導の復興計画の構図が似ていると、今朝の「潮流」
【慰霊の日/不戦の決意、世界へ未来へ 平和研究の拠点設置を 琉球新報6/23】
【[慰霊の日に]沖縄に戦後はあるのか 沖縄タイムス6/23】

◆共産党沖縄県議団長・嘉陽宗儀さん、「沖縄の県民は、自分たちの体験と今回の震災の惨状を重ね合わせて、心を痛めている」「沖縄は鉄の暴風といわれるすさまじい戦争でたくさんの犠牲を出して焼き尽くされた。その後米軍は、県民を収容所に閉じ込めて奪い尽くした。(津波被害のように)戸籍がない、登記簿謄本がないということを、沖縄は戦争で体験している」

◆宮城県議団長・横田有史さん「津波で“まっさら”になった被災地に財界・ゼネコンのための絵を描こうとする復興計画」

◆嘉陽さん「艦砲射撃で破滅した沖縄を、自由に線引きして占領した米軍と同じではないか」「思いがつながる」
と・・・

 柳沢協二・元防衛省官房長、孫崎亨・元外務省国際情報局長も主張しているが・・・「抑止力」神話からも脱却が必要である。

【慰霊の日/不戦の決意、世界へ未来へ 平和研究の拠点設置を 琉球新報6/23】

 沖縄戦から66年、「慰霊の日」がまた巡ってきた。この日、糸満市摩文仁の平和祈念公園では沖縄全戦没者追悼式が催され、県内各地の慰霊碑でも祈りの香煙が絶えることはない。
 戦没者のみ霊を慰めるとともに、恒久平和を世界に訴え、沖縄戦から得た教訓をあらためて胸に刻む日でもある。今年は5年、10年ごとの節目ではないが、沖縄戦体験者が年々減っていく中で、これからは毎年が節目ともいえる。
 戦争を知る人たちが健在なうちに、戦争体験をさらに掘り起こし、記録し、発信していく地道な作業が求められる。

◆過去でなく現在進行中
 本土決戦までの時間を稼ぐために、沖縄は「捨て石」にされた。その結果、大勢の住民が戦闘に巻き込まれ、島は焦土と化した。
 県によると、全戦没者数は米兵も含めて約20万人。そのうち住民は9万4千人が亡くなった。当時の人口は約50万人で、いかに住民の犠牲が多かったかが分かる。
 ところが、基本的な戦没者数(日本軍と住民)ですら国と県の把握数では違いがある。厚労省は18万6500人、県は18万8136人で約1500人多い。実際に収骨された数は、厚労省のまとめでは18万6523柱に達し、同省の戦没者の把握数を超えている。
 県の推計では約3800柱が未収骨。山野に眠ったままだ。不発弾は残り2200トン。年平均30トンを処理しており、あと70年かかる計算になる。
 沖縄戦は過去の出来事ではない。沖縄戦研究も、戦後処理の作業も道半ばである。
 激しい地上戦が繰り返される極限状況の中で、日本軍によって住民が「集団自決」に追い込まれたり、虐殺されたりする惨事が発生。「軍隊は住民を守らない」という重い教訓を残した。
 こうした沖縄戦の実相をいかに正確に継承していくか。私たち県民は次世代に対し大きな責任を負っている。
 県内5大学の学生を対象にしたアンケート(昨年実施)では、ほぼ全員が沖縄戦を学ぶことは「大切」と答えながら、戦没者数に近い選択肢を選べたのは3割弱にとどまった。
 平和学習の機会は、学校に大きく依存している。問題は小、中、高校の段階に応じて沖縄戦学習を段階的、体系的に積み上げているかどうかだ。学校や教諭の取り組みの濃淡で差が開く。
 その差を埋めるためにも系統立てた学習カリキュラムの充実が必要ではないか。
 平和学習の形骸化も気掛かりだ。沖縄戦をしっかり学んできているはずの修学旅行生が、土産感覚で不発弾を手荷物として飛行機内に持ち込もうとした。平和学習が上滑りしていないか。子どもたちの想像力を働かせる工夫も問われている。

◆証言の勝利
 継承の大切さを強調するのは、連綿とつないできた沖縄戦の証言には説得力があるからだ。「岩波・大江訴訟」でそれが証明された。裁判では慶良間諸島であった「集団自決」(強制集団死)に日本軍の関与があったかどうかが問われた。司法は体験者の証言などに基づき「日本軍の深いかかわりを否定できず、日本軍の強制、命令と評価する見識もあり得る」と判断。最高裁が上告を棄却し、判決は確定した。
 この勝訴はオーラル・ヒストリー(口述証言)としての沖縄戦証言の勝利といえる。戦争体験者からの証言を掘り起こし、継承する重要性をあらためて示した。同時に教育現場で平和学習を続ける意義を県民に再認識させた。
 戦争体験者から証言を直接聞く機会は、やがて失われる。そのとき、どう受け継いでいくか。当事者の思いをしっかり受け止める仕組みづくりが問われてくる。
 沖縄戦の史実に裏打ちされた平和思想の発信拠点として、平和研究センター的な役割を担う機関の設置を真剣に考えるべきだ。調査研究の成果を、積極的に全国、世界に向けて発信する機能が、沖縄には必要だ。悲惨な地上戦を体験した沖縄だからこそ、それができる。
 大震災でがれきと化した街並みは、灰じんに帰した沖縄と二重写しに見えた。天災は人知を超えていたが、戦災という人災は確実に足音が聞こえる。防ぐこともできる。全ての県民、国民と共に「不戦」の決意を新たにしたい。


【[慰霊の日に]沖縄に戦後はあるのか 沖縄タイムス6/23】

 沖縄に本当の戦後はあるのだろうか。ひめゆり学徒の手記を読んでそう思った。
 学徒隊の生き残りのひとり、仲本とみさん(84)=旧姓・島袋=が昨年、書きためていた手記を「ひめゆり看護隊の記録」としてまとめ自費出版した。
 砲撃と機銃掃射に追い立てられ逃げ込んだアダンの茂みが最果てだった。葉のすき間から海が見えた。全県民がここに追い詰められたのではと思えるほど多くの気配を感じたという。
 いよいよ自決を覚悟しようとする場面でこんな記述がある。
 隣に潜む日本兵のひそひそ話を聞いた。
 「港川まで行けば友軍だ。友軍は敵を挟み撃ちして南部に追い詰めた。国頭も中頭も友軍がいて住民も安全だ」
 耳を疑った仲本さんが「兵隊さん。いまの話は本当ですか」と聞くと、「ああ、ほんとうだ。元気な者は敵中突破してゲリラ戦でまたご奉公するさ」と返ってきた。
 この期に、この途方もない妄信が沖縄戦のすべてを物語っているように思える。さらには果てしなく続く沖縄のその後の「闘い」を予言していたようでもある。
 本土決戦を遅らせるために捨て石にされた沖縄は、終戦後も日本独立の人質として米国へ差し出された。復帰してもなお基地沖縄の被害は改善されない。
 苦難の歴史はいまも刻まれている。昨年の米軍普天間飛行場をめぐる民主党の公約違反のことだ。政治の混迷が将来への希望さえ奪う。
 ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長が先月行った講話の中で、東日本大震災に触れながら、こんな趣旨の話をしていた。
 震災の被害も甚大だが、日本政府が主導して復旧・復興の取り組みがすぐに始められた。一方すべてが焼き尽くされた沖縄は終戦直後に米軍統治下に放り込まれ、住民は自らの運命を決める権利さえ奪われた。強制収容所から解放された生存者が郷里に帰るとすでに多くの土地が基地に奪われていた。
 あれから66年が過ぎたが、地元の意向を顧みないまま沖縄政策を決めてしまう構図はまったく変わらない。
 2日前、ワシントンで開かれた日米安全保障協議委員会(2プラス2)は普天間移設で、名護市辺野古にV字形滑走路を置くことを正式に合意した。沖縄を無視し続ける態度はあのころと同じではないか。さらに日本の安全のため、という理由も重なる。
 2プラス2は共通戦略目標を4年ぶりに全面改定した。名指しはしていないが中国を強く意識した内容となった。
 仮想敵を念頭に戦略を練る現実主義は正しいのか。沖縄の基地集中は正しいのか。
 残念ながら議論は深まらない。沖縄の犠牲は昔もいまも日本防衛上、「所与」のものとして片付けられる。そして沖縄の抗議は外交・安保を知らない稚拙な訴えと煙たがられる。
 軍事が民意に優先する構図が変わらないまま今年も戦没者慰霊祭が営まれる。

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