結局はアメリカの財政都合 辺野古移設の破綻
辺野古移設は「非現実的で、機能せず、費用負担もできない」・・米上院軍事委員会の委員長らが指摘した。
[米上院軍事委提言]辺野古移設は破綻した 沖縄タイムス5/13
【嘉手納統合 理解不能な「非現実的」案だ 琉球新報5/13】
抑止力論が説明つかないことは柳澤協二前官房副長官補や孫崎享元防衛大学校長が指摘している(昨年の産経への寄稿は、下段に再度紹介)。孫崎氏は、沖縄に基地があるのは、アメリカの負担が少なくて済むからだとも指摘している。結局は、アメリカの財政都合と、アメリカ言いなり・思考停止した日本政府がもたらしたということ。東北とともに、米公電や沖縄問題も大いに議論すべき時である。
【「抑止力は方便」発言 2011/2のブログより】
[米上院軍事委提言]辺野古移設は破綻した 沖縄タイムス5/13「こんなずさんな移設計画のために政権を追われたのだろうか」
米軍普天間飛行場の県外移設が実現できず、迷走の末に辞任に追い込まれた鳩山由紀夫前首相の嘆きが聞こえてきそうだ。
米上院軍事委員会のレビン委員長(民主)と共和党のマケイン筆頭委員が、普天間飛行場を名護市辺野古に移設する日米合意について、「現行の米軍再編計画は非現実的で、機能せず、費用負担もできない」と厳しく指摘した。
日米両政府が「あらゆる選択肢を検討し、まとめた最良の案」と説明してきた現行計画に米議会がノーを突き付け、「非現実的」とまでこき下ろしたのである。
普天間飛行場の辺野古への移設計画が明確な根拠に基づくものではなく、いくつもの虚偽で成り立っていたことはすでに明らかになっている。
鳩山前首相は移設の理由に「海兵隊の抑止力」を挙げたが、後になって「抑止力は方便」だったと撤回。本紙が入手し、ウィキリークスが公開した米外交公電では、在沖米海兵隊のグアム移転費や隊員の人数を水増ししていたことが明らかになっている。
レビン氏らの指摘を待つまでもなく、日米両政府に残された選択肢は一つしかない。県知事、県議会、名護市長、名護市議会が反対し、米上院も批判する現行計画の撤回だ。
6月に予定される日米安全保障協議委員会(2プラス2)は、新たに県外移設も含めた移設先の検討を進める絶好の機会になる。現行計画の再合意は決して許されない。
レビン氏らは辺野古移設に反対した上で、普天間の嘉手納基地への統合を中心とする移設案の検討を国防総省に提案したが、あまりに「非現実的」だ。
嘉手納統合案は1996年以降、何度も浮上しそのたびに住民の強い反対運動で頓挫してきた。
早朝から深夜まで住宅地上空を飛行する米軍機の爆音にさらされ、墜落事故の恐怖におびえて生活する周辺住民の受忍限度を超えている。
国を相手に米軍機の飛行差し止めなどを求めた「第3次嘉手納爆音差し止め訴訟」の原告に、過去最多の周辺5市町村の2万2058人(7489世帯)が名を連ねたことは基地被害が増え続けていることを如実に示している。
世界一危険な普天間飛行場の嘉手納基地への統合が到底不可能なことは過去の経緯を見ても明らかだ。
レビン氏らは沖縄の負担軽減に努める必要性を強調し、(1)嘉手納空軍機能の一部をグアムに移転し、同基地を縮小する(2)在沖米海兵隊のグアム移転は進める―などを例示している。
日米両政府内には、辺野古移設が実現しなければ、普天間は固定化するとの見方もあるが、明らかに間違っている。「非現実的」で破綻した辺野古移設計画に代わる案は探せば必ず見つかるはずだ。
レビン氏らの提言は嘉手納基地の縮小や海兵隊のグアム移転、普天間の危険除去を先行させ、ゼロベースで移設先を検討するきっかけになる。
【嘉手納統合 理解不能な「非現実的」案だ 琉球新報5/13】米国は歴史から学ばず、再び過ちを繰り返そうとしている。
米上院軍事委員会のレビン委員長(民主)とウェッブ委員(同)、共和党のマケイン筆頭委員は名護市辺野古で日米合意した米軍普天間飛行場移設は「非現実的」として、嘉手納基地への統合案の検討をゲーツ国防長官に求めた。
レビン氏とウェッブ氏は先月下旬来県し、仲井真弘多知事と高嶺善伸県議会議長から県外移設の要望を聞いたばかりだ。
現行の米軍再編計画を「非現実的で機能せず、費用負担もできない」と批判するのは当然だが、嘉手納統合なら「現実的」なのか。
嘉手納基地は負担軽減と逆行する事態が続いている。米陸軍地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が配備され、外来機飛来は常態化し、パラシュート(落下傘)降下訓練が強行されている。
嘉手納統合となれば、普天間に配備される垂直離着陸輸送機MV22オスプレイも移駐することになる。危険性が指摘されるオスプレイの県内配備は容認できない。
嘉手納統合案はこれまでも模索されてきた。米側は結局、空軍の航空機と海兵隊のヘリコプターを同時に運用するのは困難などとして拒否したはずではないか。
今回のレビン氏らの提案は、これまで日米が「現行案がベスト」と説明してきたことを議会が明確に否定したものだ。
普天間問題に関する日米合同の検討の過程で、県外の自衛隊基地使用案も普天間の代替機能を満たすと評価されていた。選択肢は複数あるのだ。
だが、当時の自民党政権も「最低でも県外」を公約した民主党政権も、県外移設を真剣に検討しなかった。日本の安全のために、一地域に負担を負わせ続けることは国家による差別である。
米国内で在沖海兵隊不要論が台頭している。鳩山由紀夫前首相も海兵隊の「抑止力」を強調したのは、辺野古回帰の方便だったと明かしている。
今回の提案は、1955年に来沖した米下院軍事委員会のプライス調査団の勧告を彷彿(ほうふつ)とさせる。軍用地問題について沖縄側の求めと逆行する一括払いを勧告し、島ぐるみ闘争のきっかけになった。
沖縄の民意をくみ取らない県内移設である限り、問題解決を困難にさせるだけだ。嘉手納統合もまた「非現実的」でしかない。
産経2010/5/30
「普天間問題・・・『海兵隊が沖縄にいる抑止力』を考える」
寄稿 柳澤協二前官房副長官補(安全保障・危機管理担当)鳩山政権の下で普天間移設をめぐる迷走が続いている。私は、それは、前政権の対米約束 と、選挙における県外移設の約束の間で生じた「政治的迷い」、と思っていた。だが、昨年末、鳩山由紀夫首相が初めて抑止力に言及し、「抑止力の観点から、すべてをグアムに移す ことは困難」と発言したのを見て、迷走の原因は、首相の「戦略的無理解」にあると確信した。海兵隊は、いつでも、世界のどこでも出動するもので、予め特定地域の防衛に張り付くような軍種ではない。したがって、「沖縄かグアムか」という問いに軍事的正解はもともと存在しない。それを決めるのは、抑止力をいかにデザインするかという政治の意志にかかっているからだ。
国の安全保障政策に長年携わってきた私自身の自戒を込めて言えば、抑止力とは何かの共通認識がなければ、「普天間」は永久に迷走せざるをえないだろう。<抑止力とは何か>
抑止とは、相手の敵対的軍事行動を拒否し、報復する能力と意志を認識させることによってそれを思いとどまらせることだ。わが国防衛の場合、大きく言って、拒否は日本の役割、報復は米国の役割とされてきた。
冷戦期には、米ソの対峙の中で、小規模な紛争もやがては核報復に至るというエスカレーション・ラダーの中であらゆる紛争が抑止されると考えられていた。わが国は、本格的な侵略には米国の来援があることを前提に、その間を持ちこたえる防衛力を保有するという「基盤的防衛力」に立っていた。その来援兵力は、米本土やハワイから来る。それゆえシーレーン防衛が重要で、同時に、米軍駐留は米国の日本防衛の意志の証と位置付けていた。ここで、2つのことを指摘したい。
(1)まず、防衛白書でわが国周辺の軍事態勢を見ると、日米の地上兵力は、中国に対して圧倒的に少ない。それでも軍事均衡が成立するのは、情報や海空軍力の質・量で優っているからだと認識されている。
(2)つまり、抑止力とは、防衛態勢全体の効果であって、相手が当方の防衛の意志を疑わなければ、個別の部隊配置は2次的問題だということだ。
ただし、速度の速い航空防衛力については、意志とは別に、能力としての東シナ海など、特定の地域におけるパリティが必要になる。ちなみに、抑止力を論じるなら、米軍嘉手納基 地(沖縄県)の戦闘機を米軍三沢基地(青森県)に移転する計画があることや、航空優勢の切り札であるF22の生産中止は、もっと議論されるべきだ。この事情は冷戦期も今も不変と言えよう。では、何が変わったのか。3つの点を指摘したい。
(1)冷戦期の米ソは明確に敵対していた。だが今日、米・中・日は、その生存のためお互いを必要としている。経済の相互依存の深まりが抑止戦略をどう変化させるのか、検証が必要だ。平たく言えば、米・中・日は相互に相手を滅ぼす潜在的意図があるのかということだ。(2)冷戦終結後、米国は、中東と北東アジアという2つの主要な地域紛争に同時に対応する構想を打ち出していた。だが、今日、イラク、アフガニスタン戦争によってその構想は事実上崩壊している。一方、ポスト・イラクの米軍の海外展開の全体像は見えてこない。より大きく言えば、米国発の金融危機に象徴される米国の力の陰りがある。すでに米国一国では世界の問題に対処できない。能力もさることながら、オバマ政権は、その意志も否定している。
(3)それではわが国は、同盟国として何を引き受けるのかという大きな課題がある。今まで通り基地を提供すればよいのか、自衛隊の兵力を出すのか、カネで貢献するのか。ある いは、そのすべてを出さなければ同盟は維持できないものなのか。
それらを踏まえて、「今なぜ沖縄に海兵隊が必要か」が問われている。それは、日本側だけでなく、米国側の問題でもある。
<沖縄海兵隊は必要か>
「抑止力のために海兵隊がいる」ということは、いざとなったら使うということだ。例えば、考えにくいシナリオだが、中国が台湾に進攻する。その時、台湾防衛に海兵隊を投入すれば、米中は本格的衝突になり、核に至るエスカレーション・ラダーが動き出すかも知れない。米国は、あえてそうする意志があるのか。また、日本政府は事前協議でイエスと言うのか。先日、「中国の一方的ガス田開発には対抗措置をとる」という岡田克也外相の発言が報じられたが、尖閣諸島も含め、東シナ海の問題で日中全面戦争はありえない。だが、お互い軍隊を出せばその危険は否定できない。一方、米国が2国間の領域問題に核戦争覚悟で介入するとも思えない。台湾や東シナ海の問題には、誰でも、「そうならないように政治・外交的 な解決を考える」と言うはずだ。
あるいは、専門家と称する人は、そういう具体的な議論をせずに曖昧にしておくことが抑止力だと言うかもしれない。だが、地元にとって基地は、曖昧では許されない現実の負担だ。そのほか、沖縄と周辺の離島防衛について言えば、それこそ自衛隊本来の役割と言えよう。また、韓半島有事の際の邦人保護なども、基本的には米韓合同軍の役割だ。海兵隊が沖縄にいればこうした作戦に初動から参加できるだろうが、そのニーズがどの程度あるのか、疑問が残る。
ASEAN諸国にも海兵隊のプレゼンスを望む声がある。海兵隊がアジアに居続けることを否定する気はないが、沖縄でなければならない理由は見出せない。<政治の責任>
抑止力は、敵対的軍事行動を抑止するのであって、軍拡や核開発そのものを防ぐことはできない。それゆえ、過度な抑止力はかえって相手の軍拡を促すという「安全保障のジレンマ」を計算しなければならない。相手がいる以上、抑止に100%はありえないのだ。
この観点から、海兵隊を下地島に移駐させる案は、米中間に無用の緊張を招きかねず、成り立ちにくい発想だろう。
それでは、100%でないリスクを誰が負うのか、といえば、言うまでもなく、一国の政治リーダーの責任だ。インド洋の補給部隊をねぎらったり、自衛隊広報を「事業仕分け」するだけでは、シビリアン・コントロール(文民統制)は成り立たない。
日米安保条約改定から半世紀が経過した。戦略的従属性と基地負担という二つの棘の解消が日米同盟における最大の課題であることを否定する人はいないだろう。「普天間」は、その双方を象徴するテーマと言える。
妙な言い方をすれば、鳩山首相の姿勢によって折角「同盟の混乱」が生じたのだから、結論を急がず、米国と「対等な」戦略論を展開してもらいたい。それが、長期的には同盟の利益になるのだから。
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