漁師さんと港のかたづけ
娘の震災ボランティア。昨日は、黒崎漁港というところで打ち上げられた瓦礫の撤去作業。午前は撤去、午後は焼却の火の番。かなりバテバテだったとのこと。
様子は、以下のブログが報じてます。
【全国青年ボランティアセンター】 4/30
港のかたづけ 漁師さんと汗を流す 4/3029日は、陸前高田市の広田半島のさきっぽにある黒崎漁港に行きました。この港には、津波で流された大量のがれきがうちあげられています。7人のボランティアで地元の漁師さんらといっしょにがれきの片づけをしました。小さな木片は焼却し、大きな柱は後で回収してもらえるように並べました。
いっしょに汗を流しながら作業をして、地元の漁師さんともすっかり仲良くなりました。20代の男性は「3月に東京から養殖をはじめるために実家に戻ってきたらいきなり地震。ほとんど流された」と話します。60代の男性は津波の「引き波」の様子を話してくれました。「60年前からこの海を見ているけど、こんな引き波は初めて。チリ地震の時の津波も体験しているけど、ここまでではなかった」と言ってケータイで撮った写真を見せてくれました(写真は赤外線通信でゲットしたので、後ほどブログでも紹介します)。
「いつ終わるかと思ったけどみなさんが来てくれて助かった」「また明日も来るんだろ?」と感謝されました。
作業が終わったあと、少し足をのばして近くの展望台に行きました。
まさに絶景。深い海のブルー。空も青くて、水平線に近付くにつれてグラデーション。真下にみえる海の青さがグリーンがかってみえる。ほんとうにきれいな海です。それが真っ黒い濁流になって、人々の生活をすべて奪って行ったというのが、全然信じられません。同時に、避難所ですべてを失った漁師さんが「俺たちは海と生きるしかないんだ」といっていた、その気持ちがわかる気もしました。
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