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平等の哲学 新しい福祉思想 備忘録

 竹内章朗・岐阜大学教授(2010/5 大月書店)の著作から、序章、3章、終章の備忘録。
 蔓延する新自由主義イデオロギーを批判し、「平等論」の深化をはかる。
 平等とは同一性でない。平等は反差別・反抑圧・反格差の価値評価の言葉。/自由と平等は対立ではなく、市場主義の狭い平等と広い平等の対立。/最後の差別を克服する道として「能力の個人還元主義把握を超えて能力の共同的な把握」など・・・門外漢なので難解な部分もあるが、興味ある一冊。
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【平等の哲学  新しい福祉思想の扉をひらく】

竹内章朗・岐阜大学教授 2010/5 大月書店

◇序章 平等はなぜ批判されるのか?
(1)自由・平等・友愛(共同)
・封建制度を打破した仏革命を象徴するスローガン。アメリカ独立革命を並ぶ欧米近代の幕開けを告げたもの
→以後、現代まで社会全般の重要な考え方として、古典近代、産業革命以降の多くの国で支持され、政治制度・社会構造として、自由・平等・友愛(共同)は等しく重視されてきた、はずである。

(2)平等だけがなぜ、非難されるのか?
・現代日本では、平等は、自己責任や甘えということばで弱者が切り捨てられ、不平等が当然視された。
・平等を重視すると、個人の個性を台なしにし、画一的でつまらない人間を作り出す。低位平準化社会となり、平等とは悪平等になる ―― こうした論に、私たち庶民も同意してこなかったか?
→ 問題なのは、自由と平等を天秤にかける発想/ なぜ同時に追求できないこととなったのか?/平等を重視すれば自由が軽視・毀損されるとして非難される(この論は、本当はまちがい)

(3)オピニオンリーダーたちの平等批判
・「経済審議会答申」(1999)/ 成功者と失敗者の間で所得格差が拡大する可能性があるが、挑戦とそれにともなうリスクに相応する報酬は正当な評価であり、それによる格差は是認される」
・「平等という価値」は、「人々の多様性、価値の多様性を伴う不平等をいっさい認めない、全員が等しく同一であることを強要する思想」、「多様性や不平等は、むしろ『いかに生きるか』の多様性と発展性の基礎」(盛山2000) 
・これらの論の重大な問題点/差異や個性を不平等と同一視し、差異性を含む平等概念を無視した暴論

(4)平等とは同一性か?
・平等とはそもそも何か /「等しい事柄、または同じということ」という一般的な理解でよいか?
・平等=同一性論が正しい場合もある/ 古典近代以降の市民法(権)に典型的だが、文言上・形式上において、生まれや身分や財産などと無関係に、すべての人は同一に法(市民法)を適用し同一の権利(市民権)を保障すること
・一人一票の参政権、移動や居住の自由の権利、同一の罪への同一刑罰も、法の下の平等=同一性である
→ 17世紀末から市民革命期に成立した市民法は、19世紀末に登場しだした社会法(権)に対置される。(封建制をうちやぶり資本主義を基盤にする思想、権利、その害悪とのたたかいでうまれた社会権)/ 近代の市民権は、一定の財産所有のある男性に限られてきたが、歴史のたたかいの中で、それは形式上から徐々に実質化してきた。

(5)平等は同一性ではない
・平等=同一性だけでは、平等の定義として、まったく不十分 /平等は、反差別・反抑圧の価値評価の言葉
→ 「男と女は平等であるべき」といえても「同一であるべき」とは言えない。/自然上の相違をかんがえれば同一性は想定できない。
→「男女平等」とは、自然上の相違(非同一性)を前提にして、権利上で相互に差別があってはならず、人間関係上で相互に差別・抑圧されるべきではない、という意味 / この「平等」とは、非同一性を前提にした反差別・反抑圧という肯定的な価値を意味する/ 「不平等」とは、なんなる非同一性や差異性ではなく、差別・抑圧といった否定的な価値を意味する。
(単なる違いを、不平等というと、差別・抑圧を表す言葉としての不平等が意味をなさなくなる。単に同じことをのみを平等と言うと、反差別・反抑圧・反格差といった肯定的価値を持つ言葉としての平等が霧散霧消する)

・平等主義者ルソーもくり返し陥った混乱/ 単なる相違を不平等と表現し、平等を同一性と捉えていた面もある 「人間は体力や、精神についても不平等でありうる…」 /本来の反差別・反抑圧としての意味が消える。/ 現代でも、平等という言葉をたんなる同一性に還元する場合がある

(6)反差別・反抑圧としての平等
・平等とは、まず、反差別・反抑圧・反格差を意味する、と理解すべき。
→ 民族・障害者・女性差別など抑圧に反対し、その克服を目指す考え方として平等を位置づける
・逆に、非同一性が、反差別・反抑圧をもたらし、同一性がかえって明白な差別・抑圧となることがある
→ 所得税率が同一なら、その結果は、差別的なものになる(同一性=不平等)/累進課税は、その非同一性ゆえに、平等となる。

(7)同一性も差異も区別も重視する平等論
・平等は、同一性か非同一性(差異性)かは、第一義的に重要でない。/反差別・半抑圧・反格差こそが、平等思想や平等主義の中心論点である。
→ 同一性も非同一性も、反差別・反抑圧を担う限りは平等を意味し、差別・抑圧を担えば不平等となる。

(8)「強者」に適合的な新自由主義――新自由主義、リバタニアリズムによる不平等①
・現在の不平等問題の多くは、直接に新自由主義の思想、政策がもたらしたもの。/簡単に概観しておく
・新自由主義は「強者」に適合的な思想。よって「弱者」排除に向かう 
~ ハイエク「血縁や生まれなどの運や先天的特質は個人や家庭の自己責任だから、血縁や体質の不運などには個人的に対処せよ。逆に先天的資質や家庭の恵も個人的に享受すればよい」/市場原理主義にととまらず、排除される弱者は、障害者、高齢者、病者など「能力がおとる人」。さらに、権力から遠いもの、市場経済の敗者、私有財産の少ないもの。したがって大半の庶民は、排除される「弱者」なのである。

(9)国家介入による不平等――新自由主義、リバタニアリズムによる不平等②
・新自由主義が推進する構造改革は、国家介入抜きの民営化・市場化ではない
→ 新自由主義は単純な市場原理主義ではなく、積極的な国家介入を認める(さらに保守主義とも一体化)
・ハイエクも、市場経済・市場秩序の創出・維持・拡大には、国家権力が不可欠の役割を果たせなければならないことを認めている。/「強者」に有利な市場機能を、より「強者」向けに整備する
→ その典型は、アメリカを先頭とする軍事力の世界展開。グローバル市場の維持・拡大 / 「先進国」やその国民と、より不利になる「途上国」とその国民との不平等を拡大する
・「先進国」内の市場開放や民営化にも、国家権力、政府行動の新たな発動が必須 /これにより、「先進国」内で、上層「強者」と、「途上国」との競争を強いられ低賃金労働に追い込まれる「弱者」との格差・不平等が拡大
~ 中小企業を淘汰した不良債権処理制度、雇用規制緩和法制も強力な国家介入/ 介護保険が、介護の市場化を強め、介護認定を国家行政的決定に任せたことは、国家介入を伴う市場主義としての新自由主義政策 /国立大学の独立行政法人化により、教育・サービス産業化をすすめ、教授会から人事・予算権を奪い、権限を学長・役員に集中
→ 市場組織とワンセットとなり、不平等を強化する権力組織が入れ子構造として存在 / 「弱者」をより不利・不平等な状態に貶める、国家介入とセットなった市場主義
・新自由主義とは、「強力な国家権力を内在させた市場至上主義」/ 不平等拡大に向かう支配のために、伝統や前近代的なものを利用する。よって新自由主義は、保守主義でもありうる。

(10)ルール主義による不平等――新自由主義、リバタニアリズムによる不平等③
・「強者」の支配は、正当化され、不平等も強要させるが、それは規則が支配を意味するルール主義
・新自由主義は、国家権力に支えられた市場秩序ルール /基本は①私的所有権 ②等価交換 ③契約の自由 ④他者危害の禁止-- このルールと親和性の高い市民権(法)の遵守の中でのみ人間の自由があると強調
→ 市場価値に従う限りの自由でしかない「自由」を深化拡大する市場秩序とそのルールを通じて、市民権のみの伸長を通じて社会全体を支配するのが新自由主義 /社会保障は認められず、社会権は切って捨てられる
・新自由主義は、社会権が必要な「弱者」の自由は、原理上否定され、自由を重視するとしながら、自由の不平等化を進める
→新自由主義は、「弱者」を排除する不平等な市場秩序によって支配(規則、ルール)の実施を、巧妙にすべての人への同一ルールの同一適用などとして「平等」を装って――平等を同一性に還元して強要する。
*市民法のルールが、スポーツの公平なルールにたとえられるが、一定の時間・空間・人数などの条件という制約をもうけて、その下でレフリーのジャッジを仰ぐスポーツの話を、人間社会全般に適用できるはずがない。

(11)市場の外を否定する不平等――新自由主義、リバタニアリズムによる不平等④
・市場のルールで不平等を正当化する新自由主義は、市場の外側の社会を一切認めない/ よって市場秩序の中だけでは生きられない人々に、より徹底した不平等を被ることになる。
→ 重度障害者。出生前の診断による排除 / 重度の不可逆的脳不全状態の人(「脳死」)が一律に死者とされる /コミュニケーションも市場化し、「強者」に有利なものが横行する。
・市場以外の価値を認めず、価値の多様化を極度に否定する/ 障害者、高齢者の生活の豊かさなど
・ハイエク的新自由主義が市場の外部の価値を否定することは、能力主義的配分としての比例配分の否定にも至る
 → 価値一切を気まぐれな市場に任せるからで、市場の外部でしか正確な能力・業績の測定や価値相応の価格決定ができないから。市場の決定によらない能力査定などの計画的手法も不可能とするから。
→しかし、能力主義配分を否定する市場至上主義も、結局、能力主義の場合と同じく、能力ある「強者」に有利に働く /例 株式市場における素人投資家と機関投資家の、資金力、情報力の差は「強者」に有利に働く。
・能力主義による不平等の拡大は、新自由主義だけでなく自由主義一般も推進した「能力の個人還元主義」
→ 市場の外部を否定し、市場内部だけに目が向くと、生まれや遺伝性や運なども個人の私有として個人に還元され、これらによる不平等が正当化されやすくなる。
→ それは、生まれはよる決定論としての前近代的な封建遺制とも結託 / 市場の外部を否定と相即する個人還元主義、能力主義により、歴史上の大半の不平等を正当化する不平等主義こそ新自由主義の最大の特徴

(12)新自由主義と自由主義とに共通の不平等――新自由主義、リバタニアリズムによる不平等⑤
・資本主義の基本――階級や貧富といった不平等を大前提とする点で両者と同一

(13)自由主義以上に新自由主義が不平等――新自由主義、リバタニアリズムによる不平等⑤
・スミスの自由主義は、本来の自由はルールを侵さなければ何でもできると、自由を市場ルールの外側に見も止めた / ハイエクは、「神の見えざる手」を発見したスミスを高く評価しながら、市場のルール外での自由の把握を、自由と利己性の同一視する誤りと批判した。
・ミルの自由論も、市場とは別の、真理発見の過程こそ自由のあり方として点で、新自由主義と異なる。
・新自由主義は、不平等に加担する市場を、自由主義以上に強調する
・新自由主義は、社会保障や社会権への攻撃という点を焦眉として、自由主義以上に、不平等を推進/ よって、現代の平等主義は、新自由主義との対決は避けてとおれない課題

(14)平等実現の歴史性
・新自由主義による不平等の蔓延は、多くの人々にあきらめをもって受容されつつあるが…
→ 歴史を見ればおかしなこと /歴史は、男女間の不平等、民族差別、生まれによる不平等を、それなりに克服されつつあり、平等が目指されてきた。/多くの平等化を示す事柄は、憲法14条「法のもとの平等」に集約的に表現されている。(ただし憲法14条は「能力によって差別されない」とは規定してない)
・この事実を前にすれば、平等主義にもっと支持か集まってもいいのだが、新自由主義による平等の非難はあまりにも多い。

第3章 新たな能力的平等論と新たな機会平等論
(1)新たな平等論
・新自由主義による不平等の拡大と対抗するには、ロールズ以降の現代平等論を含め既存の平等論を再検討し、ヴァージョンアップを図る必要がある/ 特に2つの平等概念の根底から問い直して刷新する必要
①「能力にかかわらず平等論」と「能力の平等論」の発展/ 諸個人の能力を同一にするという荒唐無稽なものでなく、現実的なもの、能力主義差別の克服を目指すもの
②「機会と平等と結果の平等」の発展 / 機会を、従来の結果概念により近く、またより主体的で能力と深くかかわるものとして、機会概念の拡張と多様化を図るもの。
・新自由主義の最大の問題は、平等を従来の機会平等に限定し、能力にかかわらず平等などないと決め込み無視すること。ゆえに新能力論的平等論と新機会平等論の2つの平等論の発展が必要。

(2)新自由主義隆盛下における新能力論的平等論と新機会平等論の意味
・機会概念は、一切の人間的な活動に伴う幅広いものであり / 新自由主義も肯定する機会平等を、その狭さを克服し、不平等を強要する新自由主義の機会平等論を更新しなければならない。
・結果の不平等は、能力主義的差別を核心としており、また、平等な市民権、政治権を行使する差異の現実的基盤の1つが、これらの権利を行使しうる能力であることから、新たな能力に関わる平等論が必要。

(3)新機会平等論の必要性
・「機会の平等と結果の平等」を除く平等連関論の大半は、形式的平等にはじまって、徐々にではあれ歴史とともに、実質的な平等を前進させてきた。/伝統的平等論の多くには、平等主義に内在的に継承されるべきものがあった。
・しかし、「機会の平等」は、平等主義に継承されるものというより、結果の不平等を正当化する不平等論となることが多く、機会平等論は、新自由主義者など不平等論者にも称揚されてきた。

・新機会平等論を必要とする3つの相互関連
①機会の多様性 /何が機会かは、活動や行動しだいでかなり違う。
②機会は、人間の外にある契機であるだけでなく、機会自身のうちに、能力など主体的条件も付加できる
③機会概念は、結果概念の一部を含むほどに、その距離か近くなる場合がある。

(4)矮小化されてきた機会平等
・伝統的な機会平等における機会概念は限定的なもの / 米国で推奨されてきた機会平等の機会は、富や権力をえるための特定の機会であり、人間の豊かな成長のための機会ではない。
・新自由主義が推奨する機会は、全国民に直接かかわるものではない。
→「骨太06」/起業型自立の意欲や能力のある人が対象/ ITや金融関連という特定の業種で、起業後の潤沢な経営資金を持つ人だけの市場参入の機会の平等 /起業家の下で働く労働者にとっての機会平等ではない /このことは、職業選択の自由と程遠い就職難と年収2千万円以上人口の増加でも明らか。
・特定の狭い機会平等とのセットでもたらされる結果の不平等は、新自由主義だけでなく、伝統的な機会平等論だけでなく、日常意識の多くも認めてきた。
→ 結果の不平等を「平等」の名の下に正当化し不平等を隠蔽するはたらきが既存の機会平等論にあった。

(5)機会平等⇔市場競争ワンセット論
・新自由主義政策で顕著になった機会平等⇔市場競争ワンセット論
例/「競争を恐れて打開に切磋琢磨することを忘れれば、社会全体が停滞…。社会全体の豊かさの恩恵に浴するためには、参入機会の平等が確保され、透明かつ適切なルールの下で個人や企業など民間の経済主体が… しのぎを削る創造性の競争を促進する環境をつくりあげることが重要」(経済戦略会議1999)
・もちろん「機会平等⇔市場競争ワンセット論」のみが機会平等論ではなく、義務教育の機会と市場競争の機会が必然的にワンセットになるわけではない。/したがって機会平等論を新たに捉えなおせば不平等に至る市場競争とだけでなく、真の平等をもたらす社会保障とも結合しうる。

(6)保守も革新も非難した機会平等論
・新自由主義者の非難 ノージック“市場には明確な機会平等はなく、貨幣のやりとりに伴う交換への合意があるだけであり、人間の営為に明確な出発点やゴールを設定して機会平等の条件などとすることは不可能であり、それを無理にやれば過剰な国家介入によって自由が侵害される”
・革新側の非難/「公正・公平」で平等な出発点かせ競争しても、能力があるものが利得をえて不平等になる。結果の不平等を正当化し「弱者」を差別する可能性を強く持つから。
・正反対の陣営からの非難される機会の把握は、競争の出発点を指しているが、義務教育、社会保障の機会を考えれば、機会は競争の出発点としてあるだけでなく、もっと多様である。

(7)手段視点の機会平等論
・通常の機会平等論の機会とは、結果に対する手段(レイ)/手段=機会を平等にするだけでは、手段を使う際の能力差が放置され、結局、機会平等⇔市場競争ワンセット論に至る
・つまり「手段視点の機会の平等」という名称により、機会平等論と結果の能力主義的不平等との直結が明治可能となる。
・近代社会は、血縁など社会環境による不平等は否定してきたが、自然的付与が基盤にある個人の能力を理由とした不平等は肯定してきた。

◆教育の機会均等を事例に、多様で重層的な新機会均等論を提示する
・機会平等に、原理的に4段階あり、「不平等と一体の平等」論にすぎない段階から平等主義に資するものに至る

《1》前近代批判の次元 /形式的機会平等A
・社会的な場への参加 /それは自由主義の他者危害禁止原則による保障と同じ
・しかし、現実には実現しない場合がある。高い教育費負担/財力がない者には画餅に終わる。/さらには教育機会の不平等を正当化することにすらなりかねない。

《2》経済的条件の充足 /形式的機会平等B
・機会概念に経済的条件も含めて捉え、参加可能な社会的諸条件を客観的に充足する /芸財の社会保障での機会平等の多くが形式的機会平等B
→ 相対的平等に留まる不十分なものにせよ、大きな意味を持った。

・しかし、そこに留まるなら、不平等の正当化論に陥る場合が多々ある。
→ 「能力に応じた」教育をめぐる論争の経過 / 長らく政府の見解は、教育を受ける必要な能力によって差別されるのは当然と、「能力が低いとされる者」から教育機会を不平等論であった。/1979年まで障害児は教育から排除されてきた。/障害者自立支援法も典型。三年以内の職業訓練で一般就労が可能な「能力が高いとされる」上会社を支援する施設には、より高い支援金が出される。

* 「能力が低いとされる」と「される」を強調するには理由がある /「能力が低い」と言うと「低さ」は個人に内在しているようだが、本来「低さ」は周囲との相互関係であり、何を評価(重度障害児との共生が喜びとなっている家族には、その一挙一投足が生活意欲を掻き立てる高い能力を示す)するかによっても違う。「教育を受けるに値する」という教育姿勢によって変わりうる個人のあり方を無視して、「能力」を教育する側の都合にあわせた測定可能な一元的なものに矮小化している。

《3》実質的機会平等論C
・形式的機会平等AとBの欠陥を克服するもの
・教育の場面では、教育機会が個人の能力によって不平等となることを克服する/ 個々人の異なる能力の成長に真にふさわしいという意味で同等に教育体制を整えること。
・実質的機会平等論Cは、通常は、能力主義的な分相応の差別に帰結する比例的平等を、平等主義的に解釈しなおした議論と言える
・しかし、ここに留まる限り、なお不平等に陥る余地が残る
→ 個人の私的所有物としての能力把握(個体能力論)を大前提としていることからくる不平等 /実質的機会平等論Cを実現し、各人にふさわしい成長をとげても、たとえば健常者と障害者の能力差を理由にした不平等、能力主義的差別自体への対処がされないという問題が残る。

《4》実質的機会平等論D
・能力主義の克服に資する新たな平等論 / 能力そのものも、社会・文化といった環境はもとより他者から補填・補償される機会として捉え、この意味での能力=機会の平等を図る議論 /能力に他者性を見出し、能力の個人還元主義把握を超えて能力の共同的な把握に至るもの
→ 能力も財力や一般的な道具と同じように、他者による支援・補填が可能な機会としてある。/能力=機会を、諸個人の価値・目的の実現に同一(平等)に資するようにする。
 例/自力排泄できない重度の知的障害者が、優秀な支援者の働きかけで、排泄能力が生まれ可能となる/ この能力は、障害児と支援者との相互関係として生まれたもの/ 排泄できた点では、健常者の排泄と同一
→ 実質的機会平等論Cと違う点/ Cでは、排泄の能力は、障害者個人の私的所有物としのみ把握される。支援者の働きかけも大きな意味は認められるが、最終的に、その障害者が、個人所有の能力を発揮したがどうかになる。/Dは、価値・目的を実現する能力は、個人の私的所有物でなく、他者から補填される共同的な能力として捉えられる。
・能力自体が、他者・環境から補填される機会なら、個人を特定して言われてきた能力差も単なる個人の問題でなくなる。/もし能力差があれば、それは機会=能力の格差を放置する他者を含む社会・文化の問題にもなる。/ここに「能力の共同性論」がある。
・Dという機会平等が能力主義的批判を担うことには、さらなる大きな意味がある/ 既存の機会平等論は、能力主義差別など結果の不平等を正当化していたから。/こんどは機会平等が、結果の不平等を批判し結果の平等に結びつくものとなる。

(15)最後の差別としての能力主義差別(不平等)
・ホッブス・ロックなど古典近代でも「人間の能力は同一」という主張があるが、個人所有の能力の同一は、荒唐無稽なことであって、能力差が理由の差別は放置されがちだった。/例。ロックは、能力差から帰結する差別処遇を自明視。ルソーも、比較平等論によって能力差別を助長していた。
・「人および市民の諸権利宣言」6条は「能力以外の何らの差別もなく」と謳うことで、血縁・財産などによる一切の差別を禁止するために、逆に能力主義差別を、最後の差別として肯定したる /能力主義差別は、封建的差別を克服する近代の証として正当化さえされた。 /能力主義差別が自明視されている1つの大きな根拠。
・日本国憲法14条「法の下の平等」には「能力主義差別」を禁止する文言はない。
・能力にかかわる平等主義の未確立は、階級や経済などにかかわる不平等の存続とその正当化の大きな理由の1つ /なぜなら階級差別などの存続の理由が個人の能力に還元/ 階級問題という社会問題が能力主義差別の正当化を通じて、個人の自己責任問題にすりかえられる。→ 階級差別が階級問題として浮上せず、問題自体が抹消される 
・問題を個人の能力に還元する個人還元主義のために、様々な社会問題が問題として浮上しない状況
→ 「努力」「働き」「自立」が、すべて個人の能力の話しに還元され、新自由主義下の不平等を正当化する 

(17)マルクスも説いた「人間の平等性」観念
・マルクスは、資本主義下の労働の平等性の根拠に観念的な「人間の平等性」を認めていた
「すべての労働の平等性および平等な妥当性は、人間の平等性の概念がすでに民衆の先入見としての強固さをもつようになったときに、はじめてその謎が解かれる」(1962)
・この「平等性」は、このままでは近代ヒューマニズムと同じく抽象的な観念で現実の人間のあり方ではない
→ 能力など個人の様態、属性をすべて否定(捨象)したもの/ カントの物自体のような抽象的なもの
→ この問題を克服するため、今一度、能力差など個人の様々な様態を抽象的な平等主体につなげなければならない。/そうなるとまた能力差別の「根拠」となる 
→ そこで、抽象的で観念的な平等主体と能力差をめぐる矛盾を解決し、能力主義差別の廃棄に至る能力論が必要となる。

(18)能力(差)を持つ
・平等主体を確保しつつ、これを抽象化させず、能力に真にふさわしく主体を処遇するには、
→平等主体と能力とが一定の距離をもって関係することが必要となる。/平等主体が能力差を持つ。/主体と能力の「分離的統合、媒介的統合」で結びつける/ それを示す言葉が、資本主義的な指摘所有概念の「持つ」
・能力差を理由に差別が昂進するのは、資本主義的私的所有制である/ しかし、私有論の一部がまた能力主義的差別の否定につながる。/私有論にもとづく矛盾的発想(疎外論的発想)

・そのために「所有」概念の大枠を検討する /4つの所有概念
①持つ have
 持っている物が自ら固有のものとなり所有主体の本質を構成/ 一方で、分離できる所有物を持っているにすぎない、という意味の所有
②所有する possess
 所有する所有物が所有主体に取りつき所有主体を支配するほどに強力になる意味の所有/ 資本の人格化
③所有  property
 所有物が、個人に属する以上に、財産のみならず身体や人格にまで及んで、その人の固有性や個性をも直接表す意味の所有
④所有する own
 「借用書 i own you」が示すように、他者への依存と同じ意味。私的所有であっても、そのうちに他者が介在してはじめて所有が成立することを意味する。/所有主体と所有物の距離感を示す所有概念

(20)ハブとしての所有
・大きく2つの意味 一方で所有するということは、所有しないこともある、という分離を表す。/この点では、能力差が、たとえ観念的でても人間主体から分離しうるもの、手放しうるものとなる。
→ 手放しうる能力差は、その所有者たる個人を差別する根拠にならないということにもなり、能力主義差別を批判するさしあたりの原理となりうる。/ この分離は、他者のお陰を被る所有・ownの意味に通じる
→ 「ハブ」という意味の平等主体が能力を持つという私的所有概念は、能力にかかわらず平等を真に表現しうる。
・他方で、「ハブ」は、何らかのものを所有する限り、平等主体と能力との結合を示す/ それは能力差を持つにとどまらない意味→ 所有主体の固有性、個性をあらわすpropertyと重なる意味がある。/能力と人間存在を結合し、この結合が、能力(差)による人間の個性の豊饒化、能力に真にふさわしい処遇論に通じる。
→ ハブの結合面は、能力にかかわらず平等が、人間の属性を「全否定」して人間自体を幽霊のごときに存在するのを防ぎ、次に比例的平等論要素をいかして、個々の能力にふさわしてその真の成長につながる。
・ハブは、それ自体矛盾した表現の「分離的結合・結合的分離」を表す。

(21)ヘーゲルの所有論
・ヘーゲルの所有論も本書の主張に通じることを述べている。
・私的所有・占有下では、才能などの能力も通常の物質的な物件と同じたとする /「知識、学問、才能などは、物件という規定のもとにおかれ」所有主体である「人格にとって外的なもの」として「人格とは分離されるも」を明言する。これは私的所有概念の「分離」の面
・他方で、「教養、研究、習熟によってかちとられ、精神の内的所有として有る」、「知識、学問、才能などは…精神の内面的なもの」と能力など人間存在の内的意義の確認。/「結合」の面であり、人間存在の平等性を擁護しつつ、能力の豊饒化などの人間存在にとっての能力の意義を示す。
・以上のように、平等主体が能力(差)を持つという私的所有論的把握は、平等主義にとって相当な意義がある

(22)所有論的把握の限界
・だが、平等主体が能力を持つという能力の私的所有論に留まる限り、搾取問題は別にしても、個人間の能力差を理由にした差別は残る。逆にまた能力自体の伸張を軽視しかねない弱点が残る。
→ 人間存在と能力の「結合」の面に焦点があるがきり、能力差は個人に密着した問題とし、「低い能力」の場合は、容易に差別の根拠となる。
→ 同時に、主体と能力の「分離」の面を焦点(能力主義差別の防御壁)としても、能力の豊潤化を抑制しかねない。

・以上から、能力主義差別を容認せず、しかも能力の豊饒化などの点での能力を看過せずに、能力主義を真に克服するには、どのような発想が必要か。
→  能力の私的所有論的把握(固体能力観)の克服であり、人間個人と固有に「結合」した能力自体を、共同的なものとしても捉え返す能力の共同性論。/共同という点では、私有からの「分離」の延長線上にある

(23)能力の私的所有を超える
・センの「基本的潜在能力の平等論」は、「財を潜在能力に換算し」し「財から、財が人間に対してなすことへと注意の方向を変え」て「機能とはひとが成就しうること…で(その)機能を実現するために利用される財」に着目すべきと主張する。
→ この能力=機能の平等論は、能力自体が、環境によって補填される基本的社会財しだいで変わるもの、つまり、個人の私的所有物を越えた社会的・共同的なものとするから可能なのである。

(24)国際障害者年
・「国際障害者年行動計画」(1981)は、「能力不全というものが基本的には個人の問題ではなくて、個人と環境との関係の、そして社会全体にかかわる問題であるという認識」を持つべき。/「社会モデル」
→ 例/眼筋の弛緩など肉体的損傷がただちに視力の不全に至らない。眼鏡という社会的生産物(環境)による補填で、個人と環境との関係、個人と環境との共同性とし成立する能力は「正常」となり、能力不全はおきない。
→ この能力の補填は、社会的生産物にかぎらず、他者など人間環境であってもかまわない。
→ 例/介助者なしでトイレで排泄できない知的障害児に対する支援者の働きかけで中で生まれた排泄能力は、障害児の私有物それ自体ではなく、その障害児と支援者との間の相互関係自体として生じた共同的な能力

(25)(26)能力の共同性の定義
・それは通常の能力全般に言える内容
→  母親が緊張し体をこわばらせると赤ちゃんもこわばる(同型性)、母親が赤ちゃんを抱くと、抱かれることで赤ちゃんに抱きつく能力が生まれ、抱きつくことで母親の次なる働きかけに繋がる(相補性)

・通常は個人内部の「自然性」ないし、私的所有物だとされる身体能力も、知性や精神的な能力も、実は他者との相互関係自体(能力の共同性)によるもの / 当然、遺伝など自然性にもとづく力がなければ能力の共同性も成立しないが、自然性だけでは、能力の発展は生じない (メモ者 マルクス 人間とは社会的関係のアンサンブル)
→ 今、個々で生きて行動している私の能力も、これまで私を育ててくれた様々な環境、他者の力が、現にこの瞬間に息づいていることであり、他者との相互関係自体である

・能力との根源性としての能力の共同性は「個人の自然性と他者との相互関係自体」となる。/他者も社会・文化など環境全般によって媒介されるから、より根源的には能力は「個人と自然性と環境(社会・文化)との相互関係自体」だと言える。

・能力が共同的なものなせ、能力差が理由の差別は成立しない /「能力差」という個人間比較の表現自体が、能力の私的所有物としての把握を大前提としているから /能力の違いを「個人の自然性と環境との相互関係自体」がもたらした差と明確にとらえれば、その差を個人にのみに還元されるべきではなく、差別する理由にならない。
→ 平等主体論で血縁や性などの差別が否定される差異に、血縁や性が個人の自己責任でないとされたのと同じ

(27)能力の共同性論
・この把握では ① 能力は個人を抑圧し貶める差別の理由にならない ②能力の豊饒化を、平等主義にのっとりながら積極的に立案する ③能力不全があった場合に、これを補填できない環境の不備が常に意識される。
・能力主義差別を批判せず、一般的に共同性や公共性を諸個人間で安易に想定することは欺瞞
→ 理由がなんであれ差別は真の共同性を否定する。能力主義差別を放置しての共同性は、欺瞞でしかない。/個人内部の能力次元での共同性を看過したままでは、必然的に不平等を自明視する共同論にとどまってしまうことを絶対に看過すべきではない。

終章 平等万歳!
(1)平等批判のよくある手口
・「平等は、競争を否定し、社会全般や人間生活を沈滞させ低位平準化させる」
こうした非難は、現実の社会そのものによって反駁されている/ 北欧福祉国家の高い競争力
・ガルブレイス「金銭的な刺激が不十分だから最善の努力を尽くさないのだと自認する実業家は多くあるまい」

(2)不平等不可欠論を言うのは誰か?
・「不平等不可欠論」の原理的難点
  誘拐事件の例(コーエン) 「金をはらわなければ子どもは帰らないだろう」という同じ言葉も、誘拐犯のそれと、子どもの親とではまったく意味が異なる
→ 誘拐犯「…だから金を出せ」というまさに脅迫の意味。親「…だから金を払う」と犯人に従う意味

・よって「不平等不可欠論」も誰の発言かを見極めないと、その真の意味はわからない/ 弱者が強者か
→ 発言がほとんど富者たち上位者の立場からの発言 「不平等を容認せよ。でないと社会全体が停滞する」という脅迫発言なのだ。/ 貧者が言う場合も、その現実から発せられたものではなく、富者になれるかのような思い込み、または、自らの貧困状態をうけとめられずに、それでも自分を守ろうとする追い詰められた状態かせの発言―― これも自己責任論にからめとられたもの –であろう
(メモ者 価値の増殖、蓄積へのあくなき追求を本質とする資本の人格化としの発言)

(3)平等と自由とは対立ではない
・「平等を賞揚すると自由の弱体化につながる」という非難
・歴史的に、権利論でもある平等客体論は、事実上、自由の拡大論であったし、万人にとって自由の平等は当然のこと。
・社会権にもとづく平等な自由を潤沢に実現するには、富者の私的所有権を一部制限する累進課税や、団体交渉権など労働権の確立には市場秩序の契約の自由の制限が必要(市民権に含まれる自由の一部の制限)
→ これは自由相互の間の競合の問題であり、自由と平等の軋轢の問題ではない /これを自由と平等の対立構図に当てはめようとすること自体にも、不平等を推進する新自由主義の根深さが表れている。

(4)狭い平等と広い平等の対立
・市場主義者は、反平等主義というより、狭い平等主義(レイ)
→ 市場の範囲を超えて、平等を拡大することに反対する。

・昔から続く不平等主義と平等主義の対立は、平等の狭広をめぐる対立 /「自由主義が自由を擁護し、平等主義が自由を毀損する」という対立ではない
→ 狭く少ない人のための自由と、より広く多くの人のための自由との対立
→新自由主義は、自由を強調しているようだが、せいぜい市民的権利の自由、市場秩序の中での市場価値が大前提の狭い自由――とその平等でしかない。/この自由は、市民権や市場の自由を行使できない人々を差別したままの自由であり、不平等を正当化する自由
→マルクスの後継者である平等主義は、社会権の平等を含む広い平等と広い自由を主張する/ より現実的に発揮されうる市民権の自由の平等とその拡大を保障し /市民権の自由についても、新自由主義以上に広く豊かにする。

(6)平等は同一性かつ非同一性(差異性)
・「平等論」においてレイは、平等が真に完全に実現した「平等社会」は、「絶対的同一性としての絶対的平等」しかない、抑圧的で非人間的な社会になる、としたのは、レイが平等を同一性としてのみ捉えるからである

・差別・抑圧・格差の真の克服こそが平等であり、それをめざすことが平等主義という本書の主張の立場からすれば、平等は同一性であると同時に非同一性でもある。

(7)平等を飼いならすこと
・ラディカルな平等は、「社会の既存の構造や複雑性に真っ向から歯向かう」(レイ)ことが生じるだろう
→ もちろん既存の社会に歯向かい正面衝突すること自体も、大いに意義がある。/ しかし正面衝突を繰り返しているだけでは、平等主義を実現していくことには、なかなか至らないだろう。
→ そこで、平等主義を少しでも着実に実現するには「平等を飼いならす」(レイ)がある程度必要となる。
→ ラディカルな平等主義を不平等な現実世界でも実践でき、また不平等な世間にも通用するほど『おとなしいもの』にある程度はせざるをえない。ラディカルなままではほとんど実現しない平等を少しでも実現するために、いわば不平等な世間と妥協し世間にならすことが「平等を飼いならすこと」

・既存の人間社会が実現してきた平等が、じつは「不平等と一体の平等」でしかなったことを裏面から言い当てている。/ 市民的自由も、最初は財産のある男性だけ。市民権の平等の多くは実現しても社会権の平等はどには実現してない―― ことも「平等の飼いならし」に当てはまる。

・現代社会で「平等を飼いならす」とは、実は歴史上あった「不平等と一体の平等」を今後も認めざるを得ないこと/しかし、「平等の飼いならし」であったからこそ、能力にかかわらず平等も社会権の平等も少しずつ実現してきた。
→ 現実との妥協として点ではたしかに大問題であるが、現実社会での平等の実現には繋がるのである。

・もちろん、マルクスのフランス革命の評価――ラディカルなジャコバン派やコミュニズムがあってこそ、国民会議派、ジロンド派のある種の穏当な民主主義主張も平等したとう評価―― と同じく、ラディカルな平等主義があってこそ、「平等の飼いならし」もありうるという点を忘れてはならない。/ラディカルな平等主義のより大きな、しかも現実的な展開が必要である。
(メモ者、ラディカルな平等論と、具体的政策による「改善」という関係ではないか?)

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自由を渇望するやつは、平等も渇望する。
博愛もまた、当然ながら。
平等を渇望しないのは、あきらめたやつらだけだ。

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