間違いだらけの地方分権、格差と国民負担拡大
日本ビジネスプレスより地方自治を取材するジャーナリストのコラム。
マスコミは何を根拠に「分権は善」と決めつけ、対抗勢力を批判するのだろうか。むやみやたらと分権に突き進めば、そこには、「貧しい県はますます貧しく、国民負担は一段と増大する」悲惨な未来が待ち受けているのに・・・。問題点の指摘は、まっとう。 選挙結果ともかかわり考えたい点だ。
【間違いだらけの地方分権で、国民負担はアップ! 「分権は善、集権は悪」と決めつけるマスコミの無節操7/9】
要は、政官財の癒着をたちきり、効率的な民主的中央政府をつくることとセットで考えるべき話だと思う。
選挙では、比例区では、過去、自民、民主で34議席とっていたが28議席となり、みんなの党が7議席となった。
比例区では民主がうわまわりながら全体の議席では、一人区での自公協力の結果、「大敗」となった。これも「小選挙区制」のマジックである。
さて、比例の得票は、二大政党への批判でもある。昨年審判がくだった「構造改革」を推進する「みんなの党」が躍進したのはなぜか。
「構造改革」とい言わず「小さな政府」と表現を変えているが、増え続ける富裕層の期待を集めたのは確か。それだけでなく「財政再建」への不安と消費税反対の願いが、公務員バッシングの流れとものり、「わかりやすく」て受け皿となったのではないか。また、 「自民党にもどとりたくない」という声でもあると思う。
しかし、規制緩和、地域主権などアメリカ型の社会をめざす方向が、本当にうけいれられるのか。貧困と格差の拡大という状況はかわってない。
ここでは、「天下り」と政官財の癒着問題が、人権保障・所得再配分の機能をささえる公務制度の問題と、ごっちゃに議論されており、今後、一つ一つの制度改革では、具体的要求との関係で運動が重要になるだろう。
まずは、保育制度を、市場化するかどうかが、ポイントとなるだろう。
変革の過程は複雑だが、変革を促す経済的土台があると思い、昨日、備忘録をアップした。
【間違いだらけの地方分権で、国民負担はアップ! 丘山 源7/9】 「分権は善、集権は悪」と決めつけるマスコミの無節操宮崎県の東国原英夫知事、大阪府の橋下徹知事らタレント知事に限らず、地方自治体の首長が口を開けば必ず言うのは、「もっと地方に権限を!」「もっと地方に財源を!」。「地域主権」を重要政策の1つに掲げる民主党が政権の座に就いたことで、その声は一段と強まっている。
1993年6月の通常国会で衆参両院は「中央集権を問い直し、21世紀にふさわしい地方自治を確立することが急務である」と決議した。これが分権改革の起点だ。
1999年には地方分権一括法が成立し、国が自治体に一方的にやらせていた「機関委任事務」を廃止。小泉純一郎政権は国から地方への税源移譲、補助金の廃止、地方交付税の見直しを一体的に行う「三位一体改革」を推進し、国の所得税から地方の個人住民税に3兆円を移譲した。さらに、2007~09年には「地方分権改革推進委員会」(丹羽宇一郎委員長)下で、国の出先機関改革を議論した。
この間、新聞やテレビなど多くのマスコミは一貫して、財源・権限の移譲を迫る総務省(旧自治省)や全国知事会など地方6団体を「善玉」、これに難色を示す中央省庁を「悪玉」として報道してきた。自治体への権限や財源の移譲が思うように進まないと、新聞紙面には「中央省庁の抵抗」「族議員の反対」といった見出しが躍った。
しかし、マスコミは何を根拠に「分権は善」と決めつけ、対抗勢力を批判するのだろうか。むやみやたらと分権に突き進めば、そこには、「貧しい県はますます貧しく、国民負担は一段と増大する」悲惨な未来が待ち受けているのに・・・。◆富める県はますます豊かに、貧しい県はますます貧しく
総務省や地方6団体は税源移譲を求める論拠として、「国と地方の歳出は4対6なのに、国と地方の税収比率は6対4となっているので、税源を地方に移すことで税収の比率を5対5、将来的に4対6にすべきだ」と主張している。
確かに2008年度の実績値を見ると、国税収入は45兆8000億円、地方税収入は38兆9000億円だったのに対して、国と地方の歳出は62兆円、88兆5000億円と逆転している。その差額は国庫補助金や交付税で国から地方に配分している。
地方側の主張は、国が予算配分権限を握っていると地方の財政自主権が高まらないため、できるだけ国・地方の税収比率を使途に近付ける必要があるというものだ。
実は、国税の比率が高いのにはれっきとした理由がある。税の重要な機能の1つである「富の再配分」を行うためだ。国は全国から集めた税金を1つの財布にまとめた上で、財政力の乏しい団体に補助金や交付税の形で配分し、財源不足を補填しているのだ。
地方の「財政自主権を高めたい」という主張を丸のみして、国税として集める比率を少なくし地方財源に切り替えれば、人口や企業の多い富裕な自治体にとっては税収が増えてさぞやハッピーだろう。しかし、過疎に苦しみ企業誘致もままならない貧しい自治体は、税収を伸ばす手立てもなければ、「富の再配分」機能によって受け取っていた補助金も減ってしまい、一段と窮乏することになる。◆三位一体改革で200億円も損した沖縄、鹿児島
例えば、小泉政権時代の三位一体改革で国から地方に移譲した税源と、バーターで削減した補助金を都道府県単位で比較すると、沖縄や鹿児島といった県は約200億円の損。一方、東京や神奈川は約800億円得となっている。税源移譲によって、日本人が大嫌いな「格差」を一段と助長した実例だ。
もちろん、総務省や地方6団体は、都市と地方の格差を放置するわけにはいかないと「国税収入の約3割を自動的に配分する交付税を増額すれば、窮乏団体に交付税を振り向けることができるので、税収格差を解消できる」と主張している。
しかし、交付税は2010年度予算で約17兆5000億円と、既に国家予算の2割近くを占めている。少子高齢化により、社会保障関係予算は自然増分だけでも毎年1兆円ずつ増える計算だ。現在の厳しい財政状況の中でどこにも余裕はなく、交付税を増額するためには国民負担増=増税しかないが、果たして、それを国民は受け入れるだろうか。
2008年には都市と地方の税収格差を是正するため、法人事業税の半分を地方から国に逆移譲し、国が人口・従業者数で再配分する「地方法人特別税」が導入された。
これにより東京都は3000億円規模の税収を失い、その分が財政力の弱い団体に配分された。税収を失った東京都知事の石原慎太郎が「理不尽だ」と怒るのは、まあ、止むを得ないことかもしれない。しかし、総務省や地方6団体までもが東京都に同調しているのは奇妙だ。「都市と地方の格差は是正すべきだ。でも、そのお金は国の財源だけで。富裕な自治体の税収を再配分するのはけしからん」──というのは、なんともご都合主義的だ。◆受益と負担を無視して、お金だけ頂戴!?
「地方分権」の重要なキーワードとして「補完性の原理」という考え方がある。自分でできることは自分で、それを超えることは家族や友人と助け合って、さらにそれを超えることは地域コミュニティーで。地域でできないことは市町村、それ以上のことは県で。民主党政権の目指す「地域主権」は、「住民生活に身近な自治体に決定権を移譲する」という「補完性の原理」を重視しており、分権の王道を踏まえている。
住民にとって身近な行政機関に決定権を与えることで、負担(納税)と受益(行政サービス)の関係が明確になれば、税金の使途を住民がチェックしやすくなり、その賛否を選挙を通じて意思表明できるのは住民の政治参加という点で意義が大きい。
しかし、総務省や地方が主張する「地方分権」は、負担と受益、権利と責任を明確にするというよりも、単に「財源を寄こせ」「お金もっと頂戴」に終始していると言わざるを得ない。その1つが消費税の拡充だ。
買い物をすると必ずかかる5%の消費税。そのうち4%は国の税収となり、残り1%は「地方消費税」として地方に回る仕組みになっている。地方消費税を徴収した場所の税収とすると、大都市圏に税収が偏ってしまうため、いったん国で集めた上で、人口や従業員数などを勘案した係数に応じて地域間の偏在を調整して再配分している。そのため、企業に課される法人2税(法人事業税、法人住民税)は最大と最小の自治体の税収格差が6.6倍(2008年度)なのに対し、地方消費税の格差は1.8倍に収まっている。
総務省や地方6団体は「分権社会の確立のため、偏在性の低い地方消費税の引き上げが望ましい」と訴えている。菅政権が参院選直前にまとめた地域主権戦略大綱も、「地方消費税の充実など税源の偏在性が少なく、税収が安定的な地方税体系を構築する」との考えを盛り込んでいる。
しかし先に説明した通り、消費税は地方分も含めて国税庁が徴収し、再配分している。負担と受益の関係は全くもって不明確であり、地方消費税の拡充は真の意味での地方分権にはつながらない。◆格差が嫌いな日本人が、自治体格差を受け入れる?
さらに言えば、横並びや同質性を好む日本人の意識が分権改革とマッチするのかどうかも考えるべきだ。地方分権とは地域ごとの判断を尊重することであり、分権を進めるのであれば、自治体の行政サービスに格差が生じることも受け入れるということだ。
制度改正で地方の自由度が増した結果、低所得世帯への就学援助を減額したり、支給対象を絞った自治体が105市区町村に上った。
例えば、低所得世帯の教育費を支援する「就学援助制度」だ。2005年度から税源移譲の代償として市町村向けの補助金が廃止されると、105市区町村が支給対象・支給額を減らした。制度改正に関する地方の自由度が増した結果、財政難の自治体が予算を縮減したのだ。
各自治体が自主判断をし、地域格差を認めることこそ分権であり、分権改革を支持するのならば、こうした現象は避けられない。江戸期の藩校のように教育の期間や内容が地域によってバラバラとまではいかないまでも、自治体の経済力や首長・議会の判断によって貧困家庭の子どもの就学に十分な支援がなくなることも覚悟しなければならない。
にもかかわらず国民が地域格差を嫌がるのであれば、分権改革を進めていることと整合性が取れない。格差是正に向けた国の支援を頼む体質を改めない限り、分権改革が進むことはないし、中央省庁が権限を手放す機会も永遠に訪れないだろう。◆マスコミは無知なのか、無節操なのか
そもそも、これまでの分権改革では、一住民として肌感覚で「生活がよくなった」と実感できるような成果は、ほとんどない。
議論の中心は「国から自治体に税源を移譲する」「補助金に関する自治体の事務負担が減る」といった、行政組織内部での機能分担の在り方論であり、根底にあるのは財務省と総務省の財源の分捕り合戦なのだ。
にもかかわらず、メディアは「分権=善」「集権=悪」という構図で分権改革の必要性を声高に論じ、実際に国民生活に影響する地域格差の拡大など分権がもたらす負の側面は見て見ぬふりをする。
その一方で、がん検診率や学校の図書購入費、乳幼児医療費支援、防災対策の地域格差が広がると、メディアの論調は「財政難で自治体の取り組みに地域差。政府の財政支援が必要」と、一斉に格差是正、全国公平論に傾く。
分権改革の必要性を強調しつつ地域格差の解消を唱えることの矛盾に気付いていないのであれば、報道機関として無知を恥じるべきであり、矛盾を承知で相反する主張をするのであれば無節操のそしりは免れない。マスコミは水戸黄門のような勧善懲悪ストーリーが大好きだ。しかし、地方分権は分権=善/集権=悪というような単純なストーリーではない。限られた財源をいかに分け合うか、分権の結果としての格差を受け入れる覚悟はあるのか──中央集権への揺り戻しを避けるためにも、熱病のように理想を追う分権改革議論はそろそろ終わりにすべきだ。
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