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新自由主義の破綻――今、ケインズから学ぶもの 工藤晃 備忘録

  工藤晃さんの「経済学をいかに学ぶか/06」から、先日の「スミスのドグマ批判」に続いての備忘録。
 リーマンショック、金融資本主義の醜さがあきらかになったもとで、安定した資本主義をつくろうと、現実政治にかかわり奮闘したケインズの平和や社会的公正を基礎にした卓見がよくわかる。
 マルクスの共産主義を克服しようとしながら、マルクス経済学と交叉する内容が多々あり、それまでの近経と根本的差異がある、との工藤氏の指摘は、新鮮。
 以下は備忘録。
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【ケインズ経済学 –マルクス経済学との交叉点】        
                  工藤晃「経済学をいかに学ぶか/06」
Ⅰ ケインズ経済学の経済理論上の特徴
・ケインズは、近代経済学の一学派、マーシャルの“ケンブリッジ学派”から出発したが、“ケインズ革命”とも評価されたように、これまでの諸教条を大胆に打ち破る独創的な理論をつくった。/そこにはマルクス経済学との交叉点が意外と多い

(1)資本家の行動を中心にすえる
・近経の特徴は ①消費者行動の理論/主観的価値論の立場から、いかに効用を最大化するかを考察 ②企業行動の理論/生産関数を道具にいかに利潤を最大化するか考察―― 2つの経済主体によって経済体系を説明
→「近代経済学の泣きどころ」(第四章/後日整理…限界効用の一般化への疑問。価値面からの考察がない)
・ケインズ/企業家の行動を中心にすえた

◇“非自発的失業”はないとする雇用理論の第二公準の否認
・近経では「賃金労働者」は、一面では消費者として上手に買い物をして効用の最大化を達成/他面では、生産要素の1つである労働の提供者として、効用最大化の見地から、労働時間を自主的に決定
 → つまり、市場経済には“非自発的失業”は発生しえない、というもの。
・同時に「企業行動」論理では、利潤の最大化の条件は、賃金が限界生産価値に等しくなること。
 (メモ/人件費を限界費用と呼び、人を雇う事で増加する収入を限界生産物価値と呼ぶ。限界生産物価値が限界費用に等しいことが利潤を最大化するというもの/人を雇っても損をしない点まで雇用をふやす。)
・ケインズ/ これまでの雇用理論には「2つの公準」がある、①企業の立場から「賃金は労働の限界生産価値に等しい」が第一公準 ②労働者の立場から「賃金の効用はその雇用量の限界不効用に等しい」(メモ/もう一時間働く賃金と労苦、余暇の減少との比較で決まる)を第二公準 /として提示し、第二の公準を否定する。

*第二公準の否定は、近経の部分的修正ではなく、事実上その土台の重大な崩壊を意味する
→ 残るは、企業側の限界生産物価値が賃金と等しくなる線だけ
→ それは、利潤最大化を目的とする資本家の行動で、雇用の総量が決まり、失業者の多寡が決まること/労働者は賃金を失い、消費者として「予算制約線」にもとづき買い物をし、効用最大化を楽しもうにも、そのもの前提を失うこととなる。
→ このことは、最初に消費者があり、次に企業があり、2つの経済主体のそれぞれが最大満足を達成する、という経済理論構造が事実上、土台から否認されたに等しい。/経済的事情をミクロにみるのがミクロ経済(一般的な近経)、マクロ的に見るのかケインズのマクロ経済という常識的な差異でなく、根本的な差異がある。

◇供給価値は有効重要によって制限される
・リカードは「供給はみずからの需要を作り出す」というセーの命題に賛同
→ マルクスの批判/「リカードはセーに従って次のように言う、『諸生産物はつねに諸生産物によって、またはサービスによって、買われる。貨幣は単に交換を行う媒介物にすぎない』と。こうして、ここでは第一に、交換価値と使用価値との対立を含む商品が、単なる生産物(使用価値)に転化され、したがって諸商品の交換が単なる諸生産物の物々交換に、単なる諸使用価値の物々交換に、転化されている。これは、資本主義生産よりも昔に逆戻りするだけではなく、単なる商品生産よりも昔にさえ逆もどりしている。
そして、資本主義生産の第一条件――すなわち生産物は商品であり、したがってそれは貨幣として表される変態の過程を通貨しなければならないという第一条件が、否定されてしまうことによって――、資本主義生産の最も複雑な現象―― 世界市場恐慌――が否定されてしまう」(剰余価値学説史)

・ケインズは、「総需要関数を無視してもかまわないという考え方は、リカード経済学にとって根本的なものであって、その経済学こそが過去一世紀以上にわたってわれわれが教えられてきたものの基礎をなしているのである。…そしてリカードは、宗教裁判所がスペインを征服したのと同じように、完全にイギリスを支配した」(一般理論32.33)/そしてケインズは、「有効需要」の理論によって、このドグマを否定する。

・ケインズによる問題点の指摘
①リカードなど一般的な近代経済学では…
・企業者がN人を雇用。そこらの産出物の総供給価値をZ。/Z=φ(N) 総供給関数
企業者がN人を雇用して受取ることを期待できる売り上げ金額をD/ D=f(N) 総需要関数
→これまでの命題「供給はそれみずからの需要を創造する」によると、つねにZ=D、であり、φ(N)=f(N)/どちらもNを変数とする関数
→このことは、第一に、雇用量と産出量がどの水準であっても、供給と需要は均衡している/第二に、Nの増加に対して、Z〔φ(N)〕が増えるとき、D〔f(N)〕も同じ額だけ増加することを意味する。

②次に、ケインズ自身の理論をこれに対置させる
・雇用量、所得、消費の関係を次のように考える
→ 雇用が増加すると、所得が増加する。「技術、資源および費用が一定の状態においては、所得は雇用量Nに依存する」(「一般理論」)
→ 所得が増加すれば、消費も増加するが「社会の人々の心理」から所得と同じ程度には増加しない、社会の所得と消費に支出される額D1との関係は、「社会の消費的性向とよばれる社会の心理に依存する」(同上)
→ 消費、消費性向が一定ならば、総所得水準に、したがってまた雇用水準Nに依存する。

・消費D1とならぶ需要Dのもう一つの要素は、投資D2. /D=D1+D2
→ 当期の投資量は投資誘因に依存する /利子率が高いか低いかは、新規の投資量に影響するだろう。また、企業家は、新規の投資をやろうとするとき、社会的にすでにある同部門の生産設備の規模を考慮に入れ、新規の投資から一定期間をとおしてあげられる利益が十分期待されるか、考えて決定するだろう
→ ケインズは、企業家の新規投資にあたってのこのような期待を「資本の限界効率表」と呼んだ。
→ つまり、新規投資要因として重要なのは、利子率と限界効率表

・「雇用量が大きくなればなるほど、それに対応する産出物の総供給価格(Z)と企業者が消費者の支出から取り戻すと期待することのできる額(D)との間の開きがますます大きくなる」(同上書)
→ ZとD1との間の増大していく差を埋めるため新投資D2が自動的に増大するかというと全くそうではない。D2は、投資誘因に依存する量だからである。

・ケインズは、総需要関数が総供給関数と交叉する点におけるDの値を有効需要と呼ぶ。
有効需要では、D1+D2=D=φ(N) /D1は、消費性向に依存するNの関数〔x(n)〕である。
→ D1+D2=φ(N)… x(N)+D2=φ(N)… φ(N)-x(N)= D2

・つまり、雇用量Nを決定するのは、/企業家にとって最大利益を条件とする総供給因数φ、と消費性向xと、将来の利益の獲得を条件とする企業家の行動としての投資量D2、である。
→ ケインズは、これを「雇用の一般理論の核心」と呼ぶ。/ここで、第二公準を否認した理由が明確に・・
→ 雇用量は、労働者の自主的選択として、効用最大化の立場から決定されるのではなく、企業家の行動によって決定される。

・ケインズは「雇用の一般理論の核心」について「第7章 貯蓄と投資の意味についての続論」でも展開
 「雇用量(したがってまた産出量および実質所得)は現在および将来の利潤を最大にしようとする動機をもった企業者によって決定され(使用者費用の額は、設備からその全存在期間にわたって生ずる収益を最大にするような設備の使用の仕方についての彼〔企業者〕の見解によって決定される)、
 他方、利潤を最大にする雇用量は総需要関数に依存しており、総需要関数は、彼が消費と投資のそれぞれから生ずる売上金額の合計について様々な仮定に基づいて構成する期待値によって与えられる」

★ケインズの用語、カテゴリーは、マル経のそれとは違うし、ケインズは、マルクス経済学に拒否反応をあらわしていたが、意外と交叉点が多い

①企業家が雇用量(N)を増やし、産出物の総供給価値(Z)を増やすというのは /資本家が可変資本(v)に前貸しにより、商品生産を行い、商品生産物価値(c+v+m)を生み出すという筋書きである。

②企業家が雇用量(N)を増やすと、社会の取得を増やす、というのも/ 実現された(v+m)は、労働者と資本家の所得であり、さらにmはまた、利子、地代などの所得の源泉となる、という筋書きであろう。

③所得はまるまる消費されない、(資本主義的)生産が大規模になるほど、消費性向が低下していく、というのは/ 「資本主義的生産過程は、同時に、本質的に、蓄積過程である」(資本論Ⅲa369)、そして資本家は獲得した剰余価値mを、資本家の収入として支出する部分1/x・mと、今か将来かは別にして、追加投資(蓄積)にあてる部分、x-1/x・mとに分割する、という筋書きと、一定程度合致する。

④総供給は有効需要によって制限される、といのは /マルクスはその本質を以下のように解明
 「直接的搾取(剰余価値の生産)の諸条件とこの搾取の実現(剰余価値の実現)の諸条件は同じではない。それらは時間的および場所的にばかりでなく、概念的に異なる。
一方は社会の生産力によって制限されているだけであり、他方は、異なる生産部門のあいだのつり合いによって、また社会の消費力によって制限されている。
 しかし、社会の消費力は、絶対的に生産力によって規定されているのでもなければ、絶対的な消費力によって規定されているのでもなく、敵対的な分配諸関係――社会の大衆の消費を、多かれ少なかれ狭い限界内でのみ変化しうる最低限に引き下げる敵対的な分配諸関係――を基礎とする消費力によって規定されているのである。
社会の消費力は、さらに蓄積衝動によって、すなわち資本の増大と拡大される規模での剰余価値の生産への生産の衝動によって制限されている」(資本論Ⅲa413)

★ケインズは、剰余価値理論を認めてはないが、資本主義生産の欠陥をするどく批判している。
「この分析は豊富の中の貧困というパラドックスの説明をわれわれに与える。なぜなら有効需要が不十分であるというだけで、完全雇用水準に到達する以前に雇用の増加が停止することがあり、またしばしばそうなるからである…
 そればかりでなく、社会が豊かになればなるほど、現実の生産と潜在的な生産との間の差はますます拡大する傾向にあり、したがって経済体系の欠陥はますます明白かつ深刻なものとなる。…
 しかし、さらにもっと悪いことがある。豊かな社会においては限界消費性向が弱いばかりでなく、すでに資本の蓄積が大きくなっているために、利子率が十分に早い速度で低下しないかぎり、いっそう多くの投資を誘致する機会で乏しくなっている。」(一般理論31.32)

→ ケインズのこの指摘は、マルクスの利潤率の傾向的下落の法則についての言葉を想起させる
「総資本の価値増殖率すなわち利潤率が資本主義生産の刺激である限り、利潤率の低下は、新たな自立的諸資本の形成を緩慢にし、こうして資本主義的生産過程の発展をおびやかすものとして現れる。それは、過剰生産、投機、恐慌、過剰人口と並存する過剰資本を促進する。」(資本論Ⅲa409)
 続いて「リカードと同様に資本主義生産様式を絶対的な生産様式と考える経済学者たち」を「この制限をこの生産様式のせいにはしないで自然のせいにする」と批判している。

・ケインズも同様に上記の指摘に続き、「総需要関数を無視してもかまわないという考え方」を根本的なものとする「リカード経済学」に対し、批判している。
 「それが多くの社会的不正義と一見して明らかな残酷さとを進歩の機構にともなう不可避的な出来事として説明し、そのようなことがらを改変しようとする試みは概して有益であるよりもむしろ有害であると説明することができたことは、それを権力者の気に入るものにした。それが個々の資本家の自由な活動に一定の正当化の根拠を与えたことは、それに権力者の背後にある支配的な社会勢力の支持を集めた。」(一般理論、3章33)

(2)経済体系の分析には貨幣と労働という2つの単位だけを用いる
・近経は、もっぱら現物形態(自然形態)のままで諸財の量的関係から、全体の経済理論を組み立てている。
→ 第1財、第2財の消費量の組み合わせから効用の大きさがどうなるか(効用関数)/生産要素x1、x2の投入量の組み合わせから生産物yの産出量がどうなるか(生産関数)といった具合である。

・ケインズ理論のもう1つの大きな特徴/しかし、ケインズは「一般理論」で、経済体系の分析には、貨幣と労働という2つの単位だけを用いるという立場を明確に打ち出している。
「いかなる場合においても、企業者の関心事は一定の資本設備をどのような規模で稼動するかについての決定である。このことは銘記すべきである。
… 同質的な生産物を生産する個々の企業や産業の場合には、もし産出量の増減について語ろうと思えば、正当にこれを語ることができる。しかし、すべての企業の活動を集計している場合には、与えられた整備に対して使用される労働雇用量を用いる以外には正確に議論することはできない」(一般理論4章41)

 「したがって、雇用理論を取り扱うにあたって、私はただ2つの基本的な数量単位、すなわち貨幣価値量と貨幣量のみを使用することを提案する。このうち第一のものは厳密に同質的であって、第二のものもまた同質的にできる」
→ここでケインズは、「なぜにら、等級およそ種類を異にする労働や有給の仕事が多かれ少なかれ固定的な相対的報酬を受取っている限り、通常労働の1時間の雇用をわれわれの単位としてとり、特殊労働の1時間雇用をその報酬に比例してウェイトづけることによって、すなわち、通常の率の二倍の報酬を受取る特殊労働1時間を2単位として数えることによって、雇用量はわれわれの目的を十分満足に定義されるからである。
 雇用量を測定する単位を労働単位とよび、Ⅰ労働単位の貨幣賃金を賃金単位と呼ぶことにしょう。
 したがってEを賃金支払い総額、Wを賃金単位、Nを雇用量とすれば
   E=W*Nなる」(同上書)

★マルクスとの交叉
①貨幣と労働という二つの単位をとることは興味深い / マルクス経済学は、資本が生まれる前提は商品流通と貨幣であり、貨幣が資本に転化する決定的な契機は労働が賃労働に転化し、資本と労働との交換が始まることだから。

②ケインズが、貨幣と労働との2つの単位に限るとしてことは、マルクス経済学を認めなかったが、労働価値説を築いてきた古典派経済学の科学的側面にたちもどろうとしたことの表れと思う。

→ ケインズがⅠ労働単位の貨幣賃金を賃金単位と呼んだことは、少なくともスミスの商品価値を規定する労働量のうち第二の解釈―― 商品によって買える(支配できる)労働の量を思い起こす。/16章での展開
「私は次のような古典派以前の学説に同感である。すなわち、すべての物は労働で生産され、そのさい労働は、かつて熟練とよばれ現在技術とよばれているものによって、また希少でるか豊富であるかに応じて地代を要したり要しなかったりする自然的資源によって、さらにまた希少であるか豊富であるかに応じて価値を持つ過去の労働の成果――資産の中に具体化された――によって助けられていると見る学説がそれである。
 労働—そちろん、それは企業者およびその助力者の個人的用役を含む――は、与えられた技術、自然資源、資本設備および有効需要の環境のもとで作用する生産的要素と見るのが望ましい。
 このことは、なぜわれわれが貨幣単位および時間単位以外に、労働単位を経済体系に必要とされる唯一の物的単位として採用することができたかを説明する理由の1つである」
→ “経済体系をとらえるには貨幣と労働との2つに単位に限る”“労働が唯一の生産的要素と見るのが望ましい”という時、労働の有用労働または具体的労働としての側面は捨象されている。残るは抽象的、人間的な労働だけである。/同時に社会的な生産物の質料的側面、使用価値的側面も捨象されている。/貨幣(商品の交換価値の自立的形態)で測らなければならない理由は、ケインズ自身の説明は別として、そうならざるを得ない。
→ ミクロ経済学(一般的近経)、マクロ経済学(ケインズ経済学)というが両者の違いはもっと根本的。

③ケインズの研究目的「雇用量を決定するものは何かを発見すること」(同8章89)/と、雇用問題がケインズ経済学の最大の関心事であることは、非常に重要
→ 一般的な話ではなく「どうすれば高失業を克服し『完全雇用』を実現できるか」、その方策を探し出すこと/「われわれの生活している経済社会の顕著な欠陥は、完全雇用を提供することができないこと、富および所得の恣意的で不公平な分配である」
→ その原因は、自由放任の経済体制の欠陥であるから、国家活動の一定の範囲での介入が必要、という主張を強く打ち出した/1・富と所得の不公正をただす所得再分配政策(消費性向を高める)、2・金融政策による利子率の誘導、3・投資のやや広範な社会化「が完全雇用に近い状態をつくる唯一の方法になるだろう」、などを重要な柱とした。

Ⅱ 世界経済の「不吉な預言者」
・これまでのケインズ主義は、マクロ経済学、国の景気対策という見方しかできず、そこからケインズ主義が破綻したとかしないとか論議されることが多かった/ しかし、ケインズの真価は、現代資本主義段階における世界経済の大きな枠組みはどうあるべきかといった問題で、平和主義にたち、抜群の見識と洞察力をあらわし、国際舞台で、その実現のためにつくした面に見られる、と思う。

(1)ケインズとレーニン
・一次大戦後のパリ講和会議に、ケインズは英大蔵省主席代表として出席/ 連合国のドイツに対する過酷な賠償案に反対して、辞任した。/「平和の経済的帰結」(1919)
→「狂気じみた妄想と向こう見ずの自尊心に突き動かされて、ドイツ国民は、全ヨーロッパの生活と繁栄のもととなった土台を覆してしまった。
 しかし、イギリスとフランスの両国民の代弁者たちは、ドイツが始めたこの破壊を、講和によってさらに完成させるという危険を冒すに至っている。もしも、この講和が効力を発するとするならば、それは…雇用と生活の唯一の手段…壊れやすく入り組んだ組織を--むしろその復旧をはかられようとするときに――かえっていっそう徹底的に破壊してしまうに違いない」

・ケインズは、ただ一人、ドイツの賠償支払い能力を、経済の実態、今後予想される諸条件から具体的に分析し
「ドイツが毎年何億ポンドという額に達する支払いをなしうると信じている人たちに対して、いったいいかなる具体的な商品でによってこの支払いがなされるとかんがえているのか、そしていかなる市場においてそれらの商品が売りさばけるというのか、と言いたいのである」「なんらかの意味ある議論を提出しないうちは、彼らの主張は信じるに値しない」として /「ドイツ国民を一世代にわたって隷属的地位に陥れ、何百万もの人間の生活を引き下げ、一国民全体の幸福を奪い取るような政策は、忌まわしくあり、また嫌悪すべきものである」と結ぶ。

・ケインズの「ヨーロッパ復興のための諸提案」/ドイツのザール地方の石炭とフランスのロレーヌ地方の鉄鉱石との相互供給→ この提案は、二次大戦後、石炭鉄鋼共同体として実現、今日のEUの出発点をなす。/ヨーロッパに広げる「自由貿易連合」構想

★ケインズの「平和の経済的帰結」に、すぐに注目し、高く評価したレーニン
・1920「共産主義インターナショナル第二回大会」の報告で全体の1/3を使いケインズの主張を取り上げる
「すべての資本主義的矛盾が激しくなった・・・彼は…ヴェルサイユ講和会議に参加し、それを純ブルジョア的な立場から観察し、問題を地道に詳しく研究し、しかも経済学者として会議に参加した。彼は革命家である共産主義者のどの結論よりも有力な、明確な、教訓に富む結論に達した。… ケインズは、ヴェルサイユ条約のヨーロッパと全世界が破産にむかって進んでいるとという結論に達した。ケインズは辞職した。彼はその著書を政府の鼻先にたたきつけて言った。君たちは無分別なことをやっていると」
→ またケインズの「ヨーロッパ復興のための諸提案」で「戦争のために生じた連合国間の債務の帳消しにすること」に関連して、レーニンは、「本が出る少し前に、彼のすばらしい忠告にしたがった。いっさいの負債を棒引きにした」と

・ケインズは、これを苦い体験におわらせず、二次大戦後の世界の新しい枠組みの構成に生かそうとの使命感をいだいていた。/例、1940.12.1「声明書草案」
「ヴェルサイユ平和条約の制定者たちは、政治的国境や防衛問題に関心を奪われすぎ、ヨーロッパの経済復興を軽視する誤りを犯した。われわれのすべてが蒙った多くの不幸はこの怠慢から生じたのである。イギリス政府は同じあやまちを二度と繰り返さない決意をしている。」
→ ケインズは、41念より、イギリス政府案として清算同盟案の作成、米英会議と共同声明作成、ブレトン・ウッズ会議(44.7)、サブァナ会議(46.3)の全過程で先頭にたって奮闘し、46.4に心臓病で倒れ死亡。

(2)ケインズとブレトン・ウッズ体制
 40-46年にわたる諸活動―― 

◇「国際清算同盟」案の合理的な要素
・ケインズ提案の本音は、スターリング地域体制を、イギリスだけでは維持することができなくなった以上、アメリカの力を借りて英米通貨同盟の道を選択すること /しかし、そこにはアメリカの“ドル外交”野放しを封じるねらいがあった。/さらに、今日、将来の国際通貨体制を展望するときに合理的要素も含まれている

①金が果たしてきた世界貨幣に代用する国際的信用貨幣は、米ドルといった一国通貨であってはならず、多国間の国際的協定によって成立する国際敵銀行の銀行貨幣でなければならない、という点
→ ケインズの提案は、ユーロの実現で実証/ しかもユーロはケインズの国際的銀行貨幣(バンコール/各国の中央銀行間の清算に使う)よりも先に進み、11カ国共通の法定通貨となった。

②資本移動の管理が必要とした点
 国際的取引の経常取引は自由にするが、国際通貨制度の安定をはかるには、資本取引は管理すべき、と主張
→ 資本移動の管理の目的は
「次の2つを区別する手段をもつことであるー (a)浮動的な資金の移動と、世界の資源開発のための純粋な新規投資、 (b)均衡維持を援助する黒字国から赤字国への移動と、赤字国からの、また一黒字国から他の黒字国への投機的な移動または逃避。…国際的清算同盟の存在がこのような管理を容易にすることは明らかである」
→ 新しい国際的通貨制度の維持には、投機的の資金の動きの封じなければならない、というもの

⇒戦後、今日にいたる資本主義大国の長期的傾向は、国内での投資機会の弱まり- それはマルクスが明らかにし、ケインズもみとめた-があらわれている。/それとともに実態経済(再生産)から遊離し、金融取引市場でのかせぎだけを目的とする貨幣資本は驚くべき規模に膨張。/グローバル投資、IT金融など、ますます目まぐるしく世界を動き回る国際マネーが、各国の為替レートの不安定化だけでなく、再生産をかく乱し、深刻度をましている(その後、リーマンショックがおこり、金融資本主義の腐朽性、寄生性があきらかになった。)/したがって、「資本主義は管理しなければならない」とするケインズの提言の原点に、世界は今日立ち戻る必要がある。

◇最後は不吉な予感へ
・ケインズは「私の根本的立場」(1925)について「将来、これまで以上に、社会の経済的枠組みにかんする問題こそが、政治的な争点のうちで群を抜いてもっとも重要なものとなる」/「われわれの問題」(1933)は「厳重な意味で経済の問題である。もっとうまく表現すれば、経済理論に政治的手腕を加味した政治経済学の問題である」/ 実際40-46年、ケインズはその立場で行動の先頭にたった。その際、驚嘆するのは
①ケインズの説得力の高さ ②アメリカの安定基金案(それまでマネーバック[各国通貨をつめこむ財布]みたいなものはだめだと否定していたが)の骨組みを認めたうえで、内容的にイギリス案に近づける新しい提案に切り替えたこと—自分の理論の権威よりも、対米交渉の主導権をとろうとした戦術家、政治家としてのふるまい。

・ブレントウッズ会議までのケインズの立場は複雑で、国際的清算同盟案の首尾一貫性はながったが、一次大戦のあやまちをくりかえさせないため、国際通貨の多国間協力体制をつくらなければならない、という主張は一貫していた。/同時に、戦後アメリカの金融依存が高まるのは必至だから、国際基金協定の中に「アメリカとの交渉に入る前に、われわれがこれらの安全装置を確保しておくことは非常に重要」という立場である。

・ケインズは、一時期は、会議の成果に達成感をもったようだが、その後、サヴァナ会議にかけて、アメリカがブレトンウッズの2機関(国際通貨基金と国際投資銀行)の運営を握り、アメリカの対外政策の道具ににしようとする動きが見える中、進行につれて、一層悲観的になり、また不吉な予感をいだくようになった。

→「アメリカ側はこれらの機関を実際役に立つ国際機関とするについての考えはもっておらず、ほとんどあらゆる面から考え方がよくありません。」「これらの機関は莫大なアメリカのスタッフにより運営され、われわれ他のものを圏外に置くアメリカ商会になろうとしているように思われる」「アメリカはトップ段階で国際協力についての考えをまったく欠いていねように思われます」(46.3)

Ⅲ いまケインズから学ぶこと
・資本論は、それまでの経済学が、資本主義的経済体制は永遠に続くものととらえたことと対照的に、それが歴史上に出現したさまざまな経済制度に比べて、最も進んだ制度であることを明らかにすると同時に、過去の経済制度と同じように、新しい制度に移行すべき、歴史的な、過渡的な経済制度であることを明らかにした。

→ したがって、当面資本主義が続くもとで、どう改革するかの側面は少なく、他方、ケインズ以降の経済学には、資本主義に固有の欠陥に対処する経済政策論がある。

・ケインズは、アメリカの制度学派コモンズに共感を抱き、こう述べている。
「コモンズ教授は…経済的移行期の本質を、…早くも認識した一人/ 彼が区別している3つの時代、3つの経済秩序の第三の時代・秩序に入り込みつつあるということになる。
 第一の時期は、欠乏の時代… 15世紀ないし16世紀に至るまでの世界の正常な経済状態であった。
 つづいて豊富の時代となる。…17世紀および18世紀には、われわれは欠乏の束縛から豊富の自由な空気への道を拓くべく奮闘し、19世紀には、自由放任と歴史的自由主義の勝利のうちに、その全盛を極めた。
 しかし、われわれは、今や第三期に入りつつある。コモンズ教授はこの第三期を安定の時代と呼び、『マルクスの共産主義にとって代わる実際的な可能性』として正しく特徴づけた」(1925年)

→ 資本主義は永続しないことを宣言したマルクスの「資本論」が、資本主義の永続を信じ、その立場をとる経済学者に、マルクスの共産主義の代案を考えさせるようにしたことは興味深い。コモンズの第三期論に、ケインズが共感をよせたのは、その意味からであり、社会の経済的枠組みに関する問題こそ、もっとも重要な政治的な争点だとのべたのも、この意味からである。

・マルクス経済学の立場をとる人々が、ケインズ主義をはじめとする近代経済学の流れから学ぶことは、特別重要と思う。/しばらくは、資本主義が現実である。
 /さらに21世紀は、ケインズがきびしく批判した「自由放任主義」への驚くべき回帰から始まった。しかも多国籍企業、国際金融資本の力が比較にならないほど巨大となり、これら少数者の自由放任に資する規制緩和が横行
→これは、日本国民にとってもかつてない「社会的不公正」と「残酷さ」の拡大であり、われわれがいま民主主義的な経済政策を前進させなければならない。

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