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「子どもの貧困 この一年」 阿部彩 備忘録

 日弁連の子どもの権利問題の一連のとりくみ。5月28日、札幌で行われたシンポで、社会保障人口問題研究所の阿部彩さんが「子どもの貧困 この一年」と題して講演、その後、虐待と貧困問題で造詣の深い松本伊智郎さんを交えてのディスカッション。(知人に頼んで音源、資料を送ってもらった)
 講演とディスカッションの私なりに整理した備忘録 

 ~ 所得制限のついた低所得者対策は、「市場主義が正しい」が前提、敗者への手立て。貧困を出さない政策が必要と、雇用を軸に、普遍的な社会保障政策(特に就学前、義務教育段階の質の高い現物給付)、そして財源は累進性の課税で、と説いている。 
(ディスカッションの中で、子どもの貧困を共産党が国会で初めてとりあげた・・・という部分がある) 

 なお最後の消費税については意見がある。
 提案しているのは、贅沢品とかの個別目的別「間接税」や累進性を強化した総合課税に本来通じる話だが、いま投網をかけるような消費税増税議論があるなかで、発言者の思いとは別に、その「土俵づくり」に利用されかねない、と危惧する。

【子どもの貧困 この一年   阿部彩   日弁連シンポ・札幌 5/28】

・社会保障人口問題研究所で公的扶助部門を担当。低所得者対策など貧困の研究者。児童発達、児童福祉など子どもの専門家ではない。貧困問題の中で、子どもに焦点を当ててまとめたのが「子どもの貧困」本日の話は、80%は本、20%が新しい内容。
・09年10月発表された厚生労働省の貧困率――OECDの相対的貧困率で社会全体で15.7%、子どもは14.2%。私は、数値自体は驚くべきことではないが、発表には驚いた。それまで厚生労働省は発表に消極的で、「相対的貧困の定義がわからない」とか「変な印象を与える」と理由にしていた。発表したのは1965年以来初めてで、半世紀たってのもの。その間どうなっていたか。1965年とは、高度成長に突入し、戦後は終わったと白書に書かれ、もう貧困はなくなったと。その後50年間、貧困は政策マターではなく、社会一般の中でも「貧困はある」と認められなかったのが状態。
・数字の公表は、政権交代で現れた積極的な面。厚労省の組織目標が発表されたが、子どもの貧困が初めて書かれた。社会問題としてのぼったのは感慨深い。

◇では50年間、なぜ忘れられたのか―― 貧困の定義はいろいろ。混乱を作っているのは絶対的貧困と相対的貧困の差。絶対的貧困とは、どんな時代、どんな地域でも適用されるもの。相対的貧困とは、その社会毎の水準によって決められるもの、と言われる。

・もともと絶対的貧困は、一世紀以上前に、イギリスの研究者、ロウントリーが定義。労働者階級を科学的に調査し定義したのが絶対的貧困と言われている。労働者階級が毎日工場に行って、次の日も働けるという肉体的に必要なものはどういうものか。一番大きい栄養では2000キロカロリーが必要。そのために何を買う必要があるか。当時の労働者の食事――ジャガイモ、ベーコンなどで算出して、それ以下を「貧困率」とした。この調査は大変意義あるもの。三割が貧困だと明らかにした。絶対的貧困は、飢え死や凍死をしない、肉体的なサバイバルに必要なものとらえられている。

・相対的貧困は、同じくイギリスのタウンゼントが定義。通常手に入れることができる。この通常が大事。栄養、衣服、住宅、教養、レクレーション、パブに行くとか・・・など。何が通常か。社会や時代で違う。それで相対的と言う。タウンゼントの例…お茶。栄養的にはゼロカロリー。ロウントリー的には貧困に入らない。だが、イギリス社会では、友人とお茶をするのがコミュニケーションの一番大きい手段、社会活動の柱。だからお茶ができないのは貧困だ。サバイバルではないが、イギリス社会で普通に社会の一員として生きていくのに必要なものがない。それは貧困だと唱えた。そういう貧困論の転換、発展があった。

 日本では、絶対的貧困から、相対的貧困への転換が行われてこなかった。以前、貧困について、政治家から「OECDの基準は相対的貧困。絶対的貧困はいない。みんなテレビを持っている。本当の貧困はいない」という意見をよく聞いた。自公政権の総理大臣も「生活レベルが高いから貧困が多いように見えるが、本当の貧困はいない」というのが公式答弁。それが、相対的貧困の重要さがやっとわかりはじめた。では、絶対的貧困と相対的貧困はまったく別か、というと区別は難しい。例をあげると、日本で、子どもが靴がなくて裸足で学校に行っいるとする。足も汚れている。あかぎれしているかもしれない。その子を見て、絶対的貧困だと思う。しかし、靴はなくてもサバイバルはできる。靴があるかないかが絶対的貧困なら、アフリカでも、江戸時代でも通用しなくてはならない。しかし、アフリカで裸足であっても当たり前の状態と思われる。
 靴のない子どもを見たら、私たちが嫌悪感を覚えるのは、何が普通か、社会的生活を営むのに必要なものは何か、の判断基準をもっている。実は靴は相対的貧困。

 なにが普通か、判断基準をもっている。よく絶対的貧困率はどのくらいか、と質問を受ける。この区別はむつかしい。絶対的貧困の基準はなにか。飢え死には入る。それ以外は、基準はむつかしい。話を簡単にするため食事にしぼれば、ロウントリーは、2000キロカロリーが必要と定義した。今の日本なら1800キロカロリーくらい。それにいくらかかるか、何が必要か。生きていくだけなら、食パン一斤とマルチビタミン剤とあと“おから”があれば生きていける。しかし、それでいいのか、研究者の中でも「それではな-」となる。1800キロカロリーに何を入れるか議論すると、お米も一日一回は採りたい、肉も週一回は…、野菜もとりたい、となってくる。つまり絶対的貧困というが、これは普通の生活を基準に決めている相対的貧困の概念。絶対的貧困の中に何をいれるかの基準がないので率を出すのは不可能と答えている。

・相対的貧困か、絶対的貧困か。実際はレベルの問題。政府の中では、公式には、絶対的貧困から相対的貧困に移行している。朝日訴訟のあと、答申として明確にされた。池田隼人の国民生活倍増計画の中で「日本の中では社会保障の最低生活は相対的なもの」と明記されている。50年前に。ところが、今でも政治家の方々、社会一般で相対的貧困の転換が起こっていない。

◇貧相な貧困感の話。
 2008年の調査で、希望する子どもに何を与えるべきか、絵本、おもちゃ、誕生日プレゼント・・などなどを調査した。50%以上支持したもの、それ以下のものをグラフにしてあるが、日本は「与えるべき」との支持率が非常に低い。おもちゃ(普通にみんながもっているもの)、日本はイエスが12.4%、なくてもしかだかないが65%。「なくてもしかだがない」が高い。同じようにイギリスではおもちゃは80%以上が「あるべき」と答えている。
 日本の中で貧困者へのまなざしの典型。この調査で、自分の子には与えているかの設問では、どれも90%以上。一方で「与えられない子がいてもしかたがない」と思う。誕生日プレゼントやクリスマスのプレゼントも、精神論的には「もともと日本の習慣でなく、なくてもいいんだ」と理屈をもっているが、ほとんどの親が与えている。その差が大きな特徴。
  清貧という言葉がある。二宮金次郎の話を聞いて育った。ものがなくても立派に育つ、さらに「物がない方がよい」という美しい精神論がある。それと自分の子育てと他の子どもへの目線の違いが大きなハードルではないか。

◇15%の数字がどうして出たか。所得で見た貧困率。金銭面だけだが、大規模な調査で、研究者が使える信頼性のあるデータ。また所得は生活水準と高い相関がある。それで代替変数として使っている。
世帯人数で調整した一人当たりの所得での比較。山の形をしたグラフ。OECDではその中央値の半分以下を貧困線としている。統計的に無機質だが国際比較では必要。この調査について、「どこの国でも分布は山の形になる。だから貧困率がゼロになることはない」との意見がある。しかし山の形状で貧困率が変わる。2~3パーセントの国から25%の国まで違いはある。確かにゼロではないが貧困率は大幅に下げることができる。
 子どものいる世帯別では、夫婦と未婚の子の世帯は全体の6割、貧困率は一番低く10.1%、母子世帯は貧困率は6割。全体の5-6%だが、20人とか、17人に1人。一クラスに2-3人はいる。決して小さくない数字。その比率がどんどん増えている。父子家庭も数は少ないが見逃せない。少ないのは、親と同居する場合が多く、三世代に含まれているから。その他3.5%。親がおらずおじいちゃん、おばあちゃんと暮らしている。兄弟だけで暮らしている。少なくない数。

◇国際比較して日本の特徴は3つ。
①特定の世帯の貧困率が突出して高い。母子世帯の貧困はOECDでも一番高い。
②ワーキングプアの率が高い。他国の貧困者の多くは失業者。だから貧困問題は失業問題。日本の貧困はワーキングプアの問題。
③政府の貧困削減効果が非常に低い。
OECDが08年発表の数字、データは04-05年。リーマンショック、派遣村以前、景気がいい言われた時期の数字。それでも貧困率は上から4番目、メキシコ、トルコ、アメリカ、日本と。子どもの貧困率は9番目。ヨーロッパは10%以内。日本はアングロサクソングループに属するような貧困率。

◇他の貧困の問題 
・高齢者の貧困。日本の貧困率は高い。アイルランド、ポルトガル、メキシコ、ギリシャ、オーストラリア、日本の順。子どもの貧困率の話をすると、社会給付が高齢者にたくさん配分されていて、子どもに配分されてないので、配分を変えるべきという議論が出る。確かに日本の社会給付は年金とか高齢者がほとんど。それと高齢者がケアされているかは別の話。問題は、高齢者でも誰に与えるか、子どもはどこに与えるのか、の問題。世代間の抗争とかではそんな議論ではない。高齢者の貧困率は高い。特に単身女性の貧困率は50%を超えている。そのことを忘れてはならない。

・勤労世帯は大丈夫か。そうではない。メキシコに次いで二番目。子どもの貧困はどこから出てくるか。勤労世帯の貧困率が下がれば、子どもの貧困率は下がる。子どもの貧困の問題は、貧困問題全体の中で考える必要がある。
・ワーキングプアの問題。貧困層の勤労世帯で、世帯の中で何人働いているか。日本の一人就労の貧困率は国際的にそんなに高くない。二人就労の貧困率が非常に高い。トルコ、メキシコに次いで三番目。うまく制度が機能してない。日本の社会保障制度は、男が働き、専業主部というモデルで設計されている。その中にいる世帯の貧困率は高くない。そこから外れる世帯。高学歴のカップルはダブルインカムとなる。一方、1人の稼ぎではやっていけないから働く場合。二人とも非正規、非熟練、アルバイトとなるので、二人就労しても貧困から抜け出せない。この世帯が増えている。他の国は、二人働けば貧困から抜け出せる。日本はそれが成り立たない。

・所得再配分機能が機能していない。税金、社会保険の支払い、手当てなど給付の前後で、他の国は大きく貧困率が減っている。そう制度設計されている。日本は、再配分前の子どもの貧困率は他の国と比べ非常に低いのに、日本だけが再配分後に貧困率が高くなっている。数年前の数字なので、子ども手当が始まって解消されているかもしれないが。
・別の角度からみたもの―――1人親世帯の貧困をどれだけ削減したかの率。デンマークは子どもの貧困率は3%と低い。95年と2007年で削減率が85%から79%に下がっているものの、そこでほとんどが解消されている。日本の削減率は、95年が11%、2005年は2%。ほとんど削減してない。児童扶養手当は子ども1人で月4-5万円、生活保護もあるが、実は削減されてない

◇子どもの貧困の影響、なにが問題か。
・学力の問題。PTSAの調査で、父母、特に母親の学歴が高いほど点数が高い。文部科学省が御茶ノ水大学に委託した調査では、親の所得、階層と子どもの学力は、きれいに比例している。経済財政諮問会議でも、親の収入と高卒後の進路との関係―― 大学進学か就職か、が明らかにされている。

・子どもを育てる環境の問題。年収が低いほど、相談相手がいない、親子の遊ぶ時間がないと出でいる。

・児童虐待も、一人親や経済困難、不安定な家庭でリスクが高い。少年院に収用されている児童も貧困層が多い。
・健康の格差のカナダの調査。カナダは公式の貧困線がある。グラブでは、健康格差はゼロ歳からある。10歳ころから拡大する。日本でも同じような調査ができないが研究し国民生活基礎調査もとにデータ化した。「健康がいい」という回答は、低所得の世帯より、所得の高い世帯で高く、年齢があがるにつれて格差が広がる。18-19歳で少し逆転状況があるが、貧困に家庭では、もう家を出ており、サンプルに問題があるのではと思う。
なぜ健康の格差がでるのか。よく議論では医療のアクセスの問題が出るが、カナダ医療費が無料。それでも格差が出る。貧困層は病気になりやすい環境に住んでいる。ストレス、栄養状態、住居環境などが関係する。

・不登校との関係。サンプル数は少ないが板橋区の調査で、生活保護、準要保護の家庭に多い。

◇これまでは今の時代の今の状況の話。では、その後が大人になったらどうなるか。人生70-80年、誰でも大失敗の可能性がある。大ブレークの可能性もある。人生の中で、最初にアドバンテージがあっても、その差が縮まっていけばそれもあるかな思うが、諸外国の調査では、一番最初の不利が雪だるま式に格差を拡大する。だから最初を一緒にするのが大事と言える。
・格差を次の世代に連鎖する。15歳の世帯の状況と今との比較の調査がある。特に衝撃的だったのが人間関係の問題。病気になっても世話する人がいない、話をする人がいない、家族を含めても、その割合は、15歳の時に「苦しかったことがあった」「ほしいけど買ってもらえないものがあつた」と答えた層が高い。これは私たちの直感に反する。貧困は孤独、孤立に結びついている。裕福でなくても、隣近所なかよく、ほのぼのと温かい社会。フーテンの寅さんの下町のような世界。金銭面を人と人との結びつきでカバーするというのは、少なくとも日本の大都市ではもうない。

・過去の、そして現在のどの社会でも親の職業と子どもの成長、職業選択と関係がある。村長の子は村長になるとか、医者の子は医者になりやすいとか、どの社会でもその関係があるのは自明だが、問題はそれがうすまっているのか、強まっているのか。福祉国家では出身との関係とかはうすまっていくべき。ところが過去10年、20年の調査で日本は強まっている。
 関係性が薄い社会を開放的社会、強いのは閉鎖的な社会という言い方をする。それを関係性指標と言う。戦後、強い状態からだんだん改善されてきたが、70年代でとまり、その後に逆転している。今は戦前以前の閉鎖的な社会にもどりつつある。

◇これからについて
・子どもは貧困な環境で育つといろいろな影響してくる。いい学校に入れないから非正規になると言うと、塾にいけないなら教育費につぎこめばよいという議論が出てくる。感じでは、所得の高い層にそういう意見が多い。しかし、教育費は1つの経路。それ以外も非常に大きい。児童福祉、教育論、社会政策論の研究者も共通して指摘している。
 家庭の中のストレスが増加が虐待につながったり、そこまで行かなくても父母のケンカが絶えない状況で育つとか。派遣で働いていて、数ヶ月で学校を転居する状況では、教育費がどうのこうのという以前の問題。母子家庭の5人に1人はダブルワーク、トリプルワーク。その合間をぬって食事だけ用意し、子どもは1人で夕食を食べ、宿題をして頑張っている。不安や不満を抱え繁華街に出で行く。そんな影響もある。最近、学校の先生に聞くと、(擦り切れて)スケスケのやぶれそうな体操服をきている。バトミントンが好きだったがラケットを買えずに部活動をやめた。点数とか言う前に、学校でキイキイすごす、学校が好きになることとよう関係している。意識の問題もある。 アメリカのアンダークラス論で、貧困から脱出できないのは、親が勉強の意義を理解できず、「勉強しろ」と言わないというものがある。最近、日本でもそういう言い方をする人が増えていて警戒している。
 しかし、生活に疲れてて、頑張ってみても大学に行かせられないとわかってて「勉強しろ」と言い続けられるか。

・いろんな要因、経路がある。政策としてどうするか。
①所得効果は存在する、インカムエフェクト。欧米での社会的実験。劣悪な状況にある100人の子どもの半分に所得を与え、半分に与えない場合の貧困の20年後の影響を調べたもの。貧困は様々に影響を与えるが、所得保障で改善することがわかっている。お金はすべてではないが、改善している部分はある。こうしたことが多かれ少なかれ子どもの成長に影響している。

②質の高い現物給付。質の高い、が大事。OECDは、特に就学前教育を重視。それは机に向かってアイウエオを教えるとか、そんなものではない。健全な成長、あそびを通じてとか、もう一つは親への支援を手厚くする支援。医療サービスが必要な人には医療、特に精神疾患をもっている例も多い。そうしたケア。親教育も。家庭の問題をまるごと抱えて、学校に行く前に解決する。

・貧困な子どもにお金をかけ、その子が大人になって納税者になる。投資と考えれば、投資率が高い、10%という調査も。国債より高い。非正規で非課税なのか、納税者になるのか、政府の財布から見ても損にならよい。費用でなく投資というのは、実証されている。では、どの時点に投資するのが一番有功か。就学前が一番投資率が高い。教育費や塾の費用とかいわれるが、実際はこの貧困が一番影響を与える。親子の安定的な愛着関係をきずくことは、健全な心をつくり、がんばる力が高まる。貧困な子どもは対人関係で問題をかかえている場合が少なくないが、その原因が就学前の家庭にあることが注目されている。

・現金給付の国際比較。日本は、生活扶助だけみれば低くないが、ほぼすべてを生活保護で見ている。他の国は住宅手当、家族手当など様々な施策で高くなっている。生活保護を受けないとゼロ。生活保護は捕捉率の問題もある。生保にすべて押し付けるのではない複合的なプログラムが必要。1人親世帯。生活保護率は1割。貧困率は6割。5割は貧困のまま放置されている。だから削減率が極めて低い原因となっている。
・医療、住宅、義務教育をよりよいものにする。高等教育といわず、あえて義務教育といった。高校授業料の無償化も大事だが、学力格差は中学卒業までで顕著に出ている。高校でふりわけられ、どの辺の学校かで将来がかなり決まる。義務教育というのは、そこまでで格差を出してはならない。修学旅行や部活も学校生活の保障を考える必要がある。

◇子ども手当について。所得制限をつけるべきかどうかの議論――「なし」を提唱している。財源問題はあるが、理論的にはどちらが効果的かと言えば「ない方がよい」。「制限がある」とは、貧困のためのプラン。その前提は市場主義は正しい。勝ち組、負け組みが出る。負け組みを放置できないので扶助するという考え。
しかし、貧困救済プログラムは、世論に左右されやすい。生活保護バッシングのように、どんどん制限されていく。今は、子どもの貧困問題が高まっているが、少し前に給食費滞納でバッシングがあったのを忘れることはできない。世論はガラリと変わるのを自分の目で見てきた。低所得者のプログラムが持続可能か、悲観的にならざるをえない。恒久対策なら持続性が保たれる。

・もともとなぜ所得格差があるのか、低所得者対策では、そこに手がついてない。北欧のように、もともと貧困をつくらない、格差をなくすことを目標としている。短期的には、財政のない中、一番大変な層に集中して対策をとるという考えもあるかもしれないが、将来的には、中長期の方向では、一番の問題は労働の問題、非正規労働とかをきちんとするのが一番で、ここをやりすごすのが一番こわい。

・政府、負担の話をさけてきている。平均的に見て日本は税金を払っていない。とるべきところからとってない。プラスマイナスで考えるのはよい。すべてに手当を出し、裕福な人からは所得税できっちり取る。消費税も考える必要がある。逆進的だというが必ずしもそうではない。生活必需品にはかけず、外車などには30%、40%かける。そんな方法もある。所得税は脱税がしやすいが、消費税はそれがないという面も。

【デイカッション】    札幌弁護士会の司会で、阿部彩さんと、松本伊智郎さんが回答する形式
■松本/子どもの貧困について、関心は高まっている。さてどうするか。どう向き合うか。貧困の論議は、どう解決するか、改善するかの姿勢が大事。資本主義ができてから300年400年議論してきたことで一気にかわることはないが、議論すべきとなってきた。大きな変化。
  それが解決に向かうかというと「あの人は何している」とかバッシングが強まることもある。議論すべき時期にきているので、警戒、緊張している。

■阿部/再配分による逆転現象は、80年代のOECDのデータ、90年の報告の数字でも出ていたが社会問題とならなかった。06年に、本の中ではじめてグラフとして出した。それが一番最初に国会でとりあげられたのは共産党の先生が国会質問した。しかし赤旗以外はどこも報じなかった。たまたま「子どもの貧困」の本が出、理解も広がり、いろんなことがうまく重なって関心が高くなってきた。

■松本/投資論は、個別の子どもの視点ではない。私たちは個々人の子どもの幸せという観点で見ているが、そうでない人も「そろばん」が合うと、一致するふくそうするのが大事。日弁連が投資論を唱えるのはリスクが高い。しかし、別の角度かみ見ると「そろばんが合うよ」と言うとインパクトがある。
人間1人生きていくのにコストがかかる。どういうふうにになうか、家庭で負担するか、公的に負担するのかの違いで、総負担は変わらない。そういう試算も必要だ。

■阿部/(子ども手当について)今度の手当は、従来は対象とならなかった世帯にも大きな額の給付が行く。今まで低所得者対策の網にかからなかったところに。それはすごいこと。効果的か?というのは別の問題。財源的にどう支えていくか、それは議論が必要。

■阿部/(児童手当の増額、充実でもよかったのでは・・・)それでもかまわない。民主党の政治判断だと思う。
■松本/今あるものを充実するより、新しいものが「受けそう」という政治的判断。今あるものに大事なものがたくさんある。それを充実させるのがオーソドックスなやり方。今あるものを壊し、新しいもの作ると「やってる感じがする」。新しいものをつくるとほめるだけでなく、今あるものを大事に充実させることをほめるようにならないと変わらない。

■阿部/(最初が大事ということだが、保育対策が十分ではないのでは、)保育対策の重点は、待機児童の問題。それも大事だが、待機児童はたくさんの利用者の中の一部。その解決は重要だが、それを解決するとして民間にどんどん開放し、規制緩和し、預かりサービスというようなことが子どものためになるか。親を働かせるための政策ではない。子どもへのサービスの質の問題が話されず、量だけ拡大、拡大となるのは、子どものためになるのか疑問。

■阿部/(自分のこどもと、一般的な子どもに対するギャップについて)社会の中で理想する生き方を持っている―― 携帯電話、ゲーム機は子どもには不必要と言いながら与えている。「自分だけがない」、相対的貧困は疎外感が一番こわい。仲間はずれ、ダメージを与える。自分に存在価値があるのかと。大人の幸福感も、他の人と比べてどうなのかです。他人と比べダメとか、幸福とか感じる。
自分の生活スタイルの理想はあっても、周りが持ち出すと流されて、持てない人が疎外感を覚える。消費社会の悪いパターン。
■松本/必要とは何か、みんなが持っているとそれが前提とって社会がまわっていき、必要に変わっていく。学生の就職活動も携帯がないと参加できない。よしあしは別として、そんな社会となっている。「いらんもって」と大人は説教を言いたがるが、そういう問題でない。消費社会の力は強いが、子どもの世界をどう再構築するのか、の議論がないといけない。子どもにとっての世界は大事にしなければならないものがある。「贅沢をさせない」とか。学校は、大人社会の格差を拡大するのか、緩和する場所なのか、どっちかが問われる。大人社会の格差を拡大する学校になっている。よい成績をとるためには「家でがんばってくださいよ」と当たり前に言われる。格差をひろげない、金がなくても子どもは困らない、そういうシステムが必要。

■阿部/(「子どもの貧困」に共感が広がっているが)子どもを出発点にし、貧困そのもの、親の貧困を解決をしないとだめ。子どもの無保険は改善されたが、親の無保険も解決しないと中途半端。親の権利を守らないと問題は解決しない。

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