日露戦争とはどういう戦争だったか 備忘録
山田朗・明治大学教授の「韓国併合100年」にかかわる論考(前衛4月、5月号)。「坂の上の雲」が描かなかった真実…当時の国際的な政治力学、明治と昭和を断絶して捉える歴史観の危うさ、フィクションと史実…失敗を失敗と認めず「伝統の創造」を行い太平洋戦争の悲劇につらなったこと・・・NHKがなぜかこの時期に力を入れて放送しているだけに重要である。以下、備忘録
【日露戦争とはどういう戦争だったか 山田朗・明治大学教授】
はじめに 「坂の上の雲」が語らない真実
◆失敗の種がまきつくされた日露戦争
・司馬作品の特徴の1つ--近代日本の成功事例の頂点として日露戦争、失敗事例の1つ太平洋戦争/司馬自らの体験から昭和の軍閥批判をするが、問題は、2つに分けて考えていいのか
・近代日本の失敗の典型・太平洋戦争の種は、すべて日露戦争でまかれている
①日露戦争勝利によって、軍部が政治勢力賭して登場。1つの官僚制度として確立
②日露戦争後、韓国を併合/列強との合意/日本の勧告支配と欧米列強のアジア支配の相互承認、また、ロシアとも戦争後、満州の分割協定・日露協約を結ぶ。
→ 日露戦争でアジアの人々を勇気づけたという議論。一面はそのとおりだが、日本はそれをめざしたわけでなく、むしろ欧米列強の植民地支配を全面的に容認する立場
→ 太平洋戦争前に、日露戦争の物語の創造「欧米列強とアジア勢力の代表としてのたたかい」
◆日露戦争の実相から見えてくるもの ――考える視点
・世界的な政治力学、国際的な列強の力学を前提にしないと日露戦争は理解できない
→日英同盟と露仏同盟、その中間にドイツ、そして世界的な列強になろうとしていたアメリカ/この力関係
・陸軍、海軍の成功・失敗について。それをどのように教訓化したかが太平洋戦争の失敗へつながる/日露戦争、失敗の連続。ロシアの失敗がもっと多かったから勝てた。
・「坂の上の雲」の評価について。小説であり、当然フィクションが入っているが、史実であるというふうにかなり思われている。この小説をどうよむ必要があるか。
Ⅰ 近代日本の国家戦略―― 日露戦争への道
1明治維新以来の日本の対外戦略
◆ロシア脅威論にもとづく軍備拡張
・戦略の特徴 1つは欧米列強の植民地にならないこと、もう1つは列強をまねて対外膨張論戦に踏み出す/しかも国内体制を固めてから、外に出ていくのではなく、同時進行で外にも出ていくやり方
・最大の特徴/ロシア脅威論/ロシアが南下し朝鮮半島に進出し、日本にやってくるという恐怖感
→ 日本へ接近してきた勢力はロシアだけではない/開国させたアメリカ、一番影響力のあるイギリス、そしてフランス、ドイツ… その中でロシアだけが脅威に思えた。逆に言えば他の列強は脅威に思わなくなっていく。
・なぜか…・幕末以来、薩長、明治政府は、基本的にイギリスの情報で世界を見ていたから/当時、イギリスとロシアは世界的に対立。バルカン半島、アフガニスタンをめぐる衝突。そして朝鮮半島をめぐり牽制しあい
→イギリスの反ロシア戦略が日本に影響/実際のロシアは、南下し日本に押し寄せるだけの余力はなかった。
◆ロシアの脅威に備える北進論(朝鮮半島先取論)
・日本の軍人、政治家の中で、日本から離れたところでロシアを止める。朝鮮半島先取論が台頭
→当初は領土化でなく親日的勢力を育成し対露防波堤にするもの。が、これは中国と朝鮮の関係を完全に忘れた議論/ 実際に朝鮮半島に影響力をもっていたのは中国
・日本の朝鮮半島進出でまず衝突したのが中国/日清戦争。よって日清・日露戦争はひとつながりのもの
→ 日本の国家指導者の戦略発想 「主権線(国境線)と利益線」 主権線を守るためにその外に利益線を確保、それが朝鮮半島 /日清戦争あたりかにイギリスは国際的にかなり日本にてこ入れする姿勢に
例/戦争の端緒「豊島沖海戦」で日本側が撃沈した清国船「高しょう号」はイギリス国籍の船/しかしイギリスは、日本が事前に警告しイギリス船員はたすけたので問題なしとした。
→ イギリスは日本を支援し、清国、ロシアを押さえる戦略に
・日露戦争でも、ここが一番重要な点/日本はイギリスにどんどん後ろから押されていく
→ イギリスの動向は国際情勢を見る上で重要/日中戦争では、中国でのイギリスの権益をまもるため蒋介石政権を全面支援
2 北進=日英同盟か、南進=日露協商か
・日清から日露の時期/朝鮮半島から満州への「北進」か、台湾から中国の南の「南進」かの分かれ目/1900年ころ義和団事件が分岐点。対岸への進出にイギリスはじめ列強が激しい抗議をうけ断念/南進は、日本を支援しているイギリスと衝突する恐れから北進へ
・1902年、日英同盟を締結し、ロシアとの対決路線を選択/それまでは対決か適当に妥協か、躊躇があった/イギリスは、バルカン、アフガン、極東でロシアと対立。しかも南ア獲得めぐるボーア戦争で消耗
3 日露の膨張戦略――利益線=勢力範囲の拡大めぐる衝突
・日露戦争の原因は、ロシアの膨張主義、日本の「北進」路線に/日本は、朝鮮を利益線として、ロシアとの衝突なるべく「北へ」の作戦。それで日清戦争までして中国を朝鮮半島から追い出した/が、ロシアが朝鮮王朝に働きかけ、親露派ができ、逆に朝鮮半島が不安定になった/ロシアは、満州への優越権を確保し、それを安定するために、朝鮮にも影響力を行使。日本と逆のこと
4 日本の軍事的課題とそれへの対応
・日本は単独でたたかえないので日英同盟を締結し、ロシアと対決
・海軍/総兵力では劣る。そもそも自前で主力艦を作れないがイギリスから全面的な支援で解決。ロシア海軍はバルチック艦隊・黒海艦隊・太平洋艦隊に分散。これを各個撃破する作戦
・陸軍/総兵力では圧倒的に少ない。兵器・弾薬の生産力でも劣る。財政規模が圧倒的に低い。
・短期で戦争を終結、生産力・財政の弱点はイギリスの支援で補う。ロシアの輸送はシベリア鉄道一本なので大兵力を一度には遅れないので増派毎に叩く
・作戦は結果としてはうまくいかなかった/ロシアの陸軍に大きな打撃を与えず。土地は占領したが、ロシアは後退しながら増援部隊をうけて大きくなり、日本軍が持ちこたえられないという状況でロシア国内で革命運動が広がり戦争が継続できず終結する。
Ⅱ 日露戦争の実像と世界史的意味
1 日英同盟の役割―― 日露戦争遂行の大前提
・大きな国際的な力学をおさえておかないと日露戦争はわからない/日英同盟が戦争遂行できた最大の前提
◆戦争の資金の調達
・資金がないと武器弾薬が調達できない。しかも当時、日本は自前で調達できない武器がある。
・資金調達/増税と国債発行だけでは無理/日露戦争の戦費(国家予算の六倍、18億円)の4割は外国の借金
→これがないと戦争できず/イギリスが外債を購入、次ぎにアメリカの企業クーン・レープ商会が購入/それに奔走したのが高橋是清/この借金でイギリス、ドイツの兵器メーカーから武器弾薬を購入
◆海底ケーブル網の完成と情報の提供
・イギリスの支援で重要だったのは情報の提供/ロシア軍に対する軍事情報を提供/1902年の日英同盟にあたり、世界の植民地、主要国との間の海底ケーブル網を完成/当時としては画期的
・日本が戦果をあげると翌日に新聞、そのタイミングで外債発行、外債が売れる/巧みに有利な情報のみを市場に提供… 情報と戦争遂行の密接な結びつきは日露戦争から
◆兵器や銃砲弾の調達
・海軍の主力艦(戦艦、装甲巡洋艦)のうち7割、戦艦6隻の全てはイギリス製/世界で一番水準の高い戦艦
→ ロシアはフランスの影響で地中海とかで戦う内海向きの設計。外洋には向かないスタイル
・陸軍の銃砲弾/半分はイギリス、ドイツ製/ ロシア艦艇への石炭補給はドイツ船。航路に補給基地なし…会場での給炭作業は、人力での極めて重労働。上海で最後の給炭、疲労困憊で海戦に臨んだ。
◆なぜイギリスは日本を支援したのか
・イギリスの目的は、あくまでロシアを満州に進出させないため。だから日本が大勝し満州を独占すると困る/そのため日本海海戦直後、イギリスはロシアに接近し、ある程度、ロシアが満州で影響力をもっている状態での講和を説得
・イギリスが態度を変えると日本は戦費調達できず戦争をやめる以外ない/帝国主義時代の大国のドライさ
2 日露戦争が世界政治に与えた影響
◆アメリカの講和斡旋の意図
・ロシアの中国満州の進出阻止、日本の勝ちすぎ防止/日本海海戦後に積極的に講和を斡旋
・アメリカは、日露の勢力均衡状態の間に入って、満州進出をする戦略
→ ところが、戦争後、日露協約で手を結び、南部満州・日本、北部満州・ロシアと分割/アメリカは入れなくなり、ここから良好だった日本とアメリカの関係が悪化/日本がロシアを手を結びアメリカをブロックしたから
/イギリスもロシアを手を結び、アメリカをブロック。こうした中で日米関係がどんどん悪化する
◆世界の対立構図の変化
・ロシアにおける革命の勃発が、ロシアが戦争を遂行できなくなった最大の要因
・ロシアが日露協約に踏み切った1つの要因は、もともと露仏同盟がありフランスの支援を期待したが、日露戦争中、イギリスが英仏協商を締結/フランスがロシア支援ができなくなった/これが日本が日露戦争を続けられた要因
・世界的な対立の枠組みをイギリスが自分有利に展開。そこで日本はうまくたちまわれたが、/戦争が終わり、その構造が変化した/イギリスがフランス、ロシアを取り込みブロックを形成し、ドイツと対峙する構図
・第一次大戦の構図が、日露戦争中と直後から形成された。
Ⅲ 日本陸軍の戦略、成功と失敗
1 日本陸軍の基本戦略
・ドイツから学んだ火力主義(集中的な使用)、機動戦で、ロシアの主力を包囲、殲滅。増派される毎に打撃
/いくつかの部隊に分かれ共通の目標を攻撃/スピードと部隊の連携が最大の武器/そのため部隊が進むと同じスピードで電柱を立て、総司令部との間で有線電話網を確立/これが成功の最大の要因
→ロシア軍は、数的に優勢だったが、バラバラで、各部隊の自らの損害減少を旨として行動した。その差が出た
2 日本陸軍の戦略の成功(戦争前半)/具体は略
・成功の鍵・・・情報網は、「坂の上の雲」には手でこない話/当時のハイテクを駆使したたたかい
・ところが日露戦争後に日本で出版されたものには、この点は秘密にされ、、そのうち日本自体が無視、軽視していまうことが起きてしまう。
3 日本陸軍の戦略の失敗(戦争後半)
・旅順戦の苦戦/「坂の上の雲」では乃木将軍が無能だったと読めるが、誰がやっても同じたのが実状→ 強固な要塞を破壊するだけの方法が日本側にわかっていなかったから。
・要塞の地下に時間をかけトンネルを掘り、下から破壊するのが確実だったが、軍中央が攻略を急がせた/バルチック艦隊が到着、それも最も早く来る場合を想定。弾薬が十分蓄積できない、坑道の掘削が進まないうちに作戦を開始し、大損害に。
・北部戦線/ 土地の占領には成功するが、ロシア軍の主力に大打撃を与える目標は達成できず。/日本は地域は拡大したが、ロシア軍は増え続けた。/最大の要因は、日本軍の銃砲弾不足/最大の陸戦・奉天開戦でも、撤退するロシア軍を眺めるだけ。追撃できなかった。
Ⅳ 日本海軍の戦略の成功と失敗
1 日本海軍の基本戦略
・先手をとって太平洋艦隊(主力は旅順艦隊)を撃滅、あるいは封じ込め。/陸軍の作成成功の前提である黄海の制海権の獲得/バルチック艦隊など増派ロシア軍を、増援されるこどに撃破
・日本は、兵器面で、ロシアの太平洋艦隊よりも、戦艦数では劣勢だが、装甲巡洋艦あわせやや優勢な状況
2 日本海軍の戦略の失敗(戦争前半)
・旅順艦隊は出てこず、撃破できず、また封鎖にも失敗/そのため、いつ旅順艦隊が出てくるかわからない危険な状況が継続(結果的に、戦力温存で旅順艦隊は出でこず、黄海の制海権は脅かされず)
・典型的な失敗・旅順閉塞戦/「軍神・広瀬中佐」を生んだ戦い/犠牲のみ多く閉塞に失敗/逆に、日本海軍の被害が拡大→戦艦・初瀬、八島が機雷で沈没(6隻のうち2隻)、旅順港の外から砲撃するが中の様子がわからずロシア船に打撃与えられず。一方、日本の艦艇が同じようなコースばかり通るので機雷を仕掛けられた。
・一方、ロシア海軍の戦力温存策を積極策に転換するために配置され司令長官が機雷で戦死/日本に「幸運」
3 日本海軍の戦略の成功(戦争後半)
・04年8月 ウルサン沖海戦/ウラジオ艦隊・装甲巡洋艦3隻中、1隻を砲撃で撃沈、2隻を大破・戦線復帰できず。艦隊を壊滅/ 1万トンクラスの大型艦も、集中的な砲撃で沈めることができると世界的に立証/ この教訓を、翌年の日本海海戦で生かす。
・「坂の上の雲」では、天才的参謀・秋山の最初からの立案としているが/東郷・秋山の指揮した黄海海戦の失敗、上村が指揮したウルサン海戦の成功に学んだからこそ、日本海海戦の成功があった。
・日本海海戦は成功だったが、真相が伝わってない/T字戦法は実際には使われなかった。/もともとの作戦は機雷を投じて、ロシア艦隊のコースを無理やり変えるものだったが、/「波高し」という風の強い天候では、機雷は、自軍の艦艇も危険になるので、作戦は中止された /しかし、臨機応変な対応と、ロシアの失策
で、「T字戦法」と同じような形となった
・大事なこと/ このことを、日本海軍は「あらかじめ考えていた作戦で勝利した」と総括し、戦術至上主義に陥って行く。/日本はウルサン海戦を総括し、十分な訓練と整備で臨んだ。ロシア側は8ヶ月の航海で、艦艇も傷み、組織的訓練も行われず、上海沖の給炭で水兵が極度に疲労した状態。その結果、大きな差が出た
Ⅴ 「坂の上の雲」の歴史認識の危うさ
1 歴史上の人物になりきる司馬遼太郎の技法
・確かによく出来た小説/登場人物のキャラクター設定が、まったくのノンフィクションということでも、すべてがフィクションということでもない/史実・資料に基づいた部分も相当あるが、もちろんフィクションがある
・小説なので、その人物が本当は言わなかったことでも、言いそうなこと、言ったに違いない台詞がつくられて書かれる。/幾度も性格規定がされている(新聞連載だったため)ので、読者も不自然さ、違和感がない
→ 司馬さんは、いかに自分が歴史上の人物になりきるか、ということに苦心して小説を書いたからではないか。
・著者・大学日本史学専攻での経験/ 学生が司馬さんの小説を歴史の本として認識している場合が多い
・小説とは創作した部分があるのは当然/本当の歴史と錯覚する。しかも映像化されたものはインパクトが強い
→ 大河ドラマ・戦国時代/合戦は本当は誰も見たことない…しかし、ドラマを見てイメージができあがる。/実像は違うとの指摘…接近しての切りあいはほとんどなく、弓矢、鉄砲など飛び道具中心…江戸時代に「飛び道具は卑怯」という新たな武士道がつくられたために、そう思われがち
・この合戦のイメージは、日露戦争によって、「日本はもともと槍や刀で斬り合う白兵戦を重視していた」という「伝統」の定着により、形づくられた。
→ 日露戦争前後、参謀本部が、江戸時代の講談本のようなものを元に書いた「日本戦史」が「戦争のプロ」が編纂したということで権威づけられ、それが元に歴史小説や映像化がなされる。/日本陸軍の都合にあわせてつくられた合戦のイメージにもとづく映像化により、私たちは戦国時代の合戦をみたような気になっている。
・今回の「坂の上の雲」・・・CG技術も使った大規模なものに/ すると史実にフィクションを加えたものが、1人歩きはじめ、新たな歴史認識が形成される危険性/映像化の恐ろしさでもある。
2 司馬史観の問題点
◆明治と昭和の連続性を無視する歴史観
・司馬さん… 明治は成功の時代でその頂点は日露戦争、昭和は失敗の時代でその頂点は太平洋戦争
・自らの体験と結びついた昭和の戦争への批判的な目/一方、明治の戦争は、実像に近いところまでは描けているが、「明治時代の人間の目」で再現しようとしたがため、同時代人には見えなかった、国際的な政治力学-日本の後ろにイギリスがいて、イギリスやアメリカの思惑の中でたたかっていた――が希薄になっている
・私たちは、現代人の目で日露戦争が何であったかを見ることが必要/当時の人には見えなかったもの
例① 主権線と利益線の発想が、朝鮮半島を確保、植民地にしたこと → そのことが、その外側に新たな利益線が必要となり、大陸への膨張が止まらなかったこと
例② 日本の列強との交渉は、アジアでの代表ではなく、欧米列強のアジア支配を前提としたこと→
この姿は後にかき消され、太平洋戦争が近づくにつれ、「日露戦争は欧米のアジア支配を打ち破るためのもの」という位置づけがなされる(メモ者 イギリス支援無しに日露戦争が不可能だったことからも虚構)
・「坂の上の雲」は、当時の国家、軍指導部達の視線で書く/当然、大国間の政治力学・駆け引き、植民地支配への批判の観点は薄く、選択した戦略以外の部分は見えにくい
→実際、日露戦争は主観的意図としては「祖国防衛」「自衛戦争」という名目だが、自国のはるか遠くで行う「自衛戦争」はおかしなこと。しかし、当時の日本人は当たり前と考えた。日中戦争も同様/小説には、利益線の発想にもとづく膨張主義への批判的見地はない。
Ⅵ フィクションと史実
◆失敗要因と成功要因をともに隠蔽してしまった日本軍
・日露戦争は、世界的な英露対決という基本的な対立構造に日本が組み込まれた結果起きた戦争/日本だけを見ると、日本が主体的にロシアの南下をくい止めるために立ち上がった戦争のように見える。
・問題は、この戦争がその後日本人にどう受け止められたか?
・日露戦争は、失敗の連続であったが、失敗面は隠され「失敗はなかった」と言い換えられた
→ 弾がなくて困った話は「弾がなくても戦える」とすり替えられた
→ ロシア陸軍に大打撃を与え、増派隊ごとに叩き、相手が多いという状況を作らない戦略は失敗し危険な状態となったが、「日本軍は少数精鋭主義。小兵力で大兵力を打ち破るのが日本軍のたたかい方」と総括される。/戦国時代の桶狭間の合戦まで引き合いに出し、少数勢力が奇襲攻撃で、大兵力を打ち破る戦い方をしなければならないとまで言われるようになる。/小兵力で勝利するという歴史の例外事項を常に実現するのが日本軍であると総括されていく。
◆「伝統の創造」による「成功」事例への固執
・それは実行した人達が「間違いはなかった」と失敗を認めないから。逆に「これが日本に合っている」と。
→ドイツ流火力主義で始まった日本陸軍の作戦は、弾がないもとで「日本軍は白兵戦、銃剣突撃が向いている」との総括になり、戦国時代から白兵主義だったとまで言うようになる。
・逆に成功の真の原因は秘密にしておこうとする/そのうち自分たちの中でも伝わらなくなる → 情報伝達に最新のテクノロジーを駆使したことが、少数の日本が大兵力とたたかえた成功のポイント/ それが、おのおのの部隊が勇敢にたたかったから勝てた、という話になる。/これには論功行賞が絡んでいる。
・一番失敗した事例では、亡くなった人を「軍神」にし、批判を封じ込める。/その出発が日露戦争
・日露戦争は、その後に続く日本軍の伝統をつくってしまった。「伝統の創造」/そのため日露戦争の姿を知らなかったのは日本人そのものになった。→ その後、日露戦争をテキストにして学んだ後の軍人は、何が成功で何が失敗だったかを押さえられないまま、勇敢力闘の神話を戦争の真の姿と思いこんだ
→ 太平洋戦争の軍の幹部の大半は、日露戦争時は、士官学校の生徒や少し実践を経験をしたという世代
→ 太平洋戦争・ガダルカナル攻防戦で「旅順の時はもっと多くの犠牲が出でもたたかった」という会話が兵器でなされる。日露戦争は犠牲に対する感覚を麻痺させた /本来、戦略はなるべく少ない犠牲で目標を達成するようにつくられるべきもの。しかし、旅順攻防戦が批判的に検討されなかったため、犠牲はつきもの、むしろ指揮官の勲章のように扱われる風潮をつくった。
・日露戦争の総括を誤ったことが、その後の日本の悲劇を作り出す大きな要因となった。
・司馬作品は、明治と昭和の軍人を対比し、明治の成功と昭和の失敗を強調するが、昭和の失敗のタネは、日露戦争と日露戦争直後にまかれたという事実を、現代の私たちが理解しておこないといけないポイント
・
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