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「見えざる手」は存在しない スティグリッツ氏

 ダイヤモンドオンラインに、ノーベル賞経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ教授(コロンビア大学)が特別寄稿している。「ルールある経済社会」という私たちの主張とシンクロする。
「もう同じ過ちは繰り返すな! 2009年に得た厳しい教訓」 1/5
 「市場は自己修正できない」・・・なぜなら「見えざる手」という、そんな手は存在しないからだ、とズバリ。
そして、結びは、今回の危機から以前よりも教訓をしっかりと学んだか──とし「2010年、先進工業諸国において金融部門の改革が大幅に進展しない限り、残念ながらわれわれはまた同じ教訓を学ぶ機会に直面することになるかもしれない」と

【「もう同じ過ちは繰り返すな! 2009年に得た厳しい教訓」 1/5】 ノーベル賞経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ教授(コロンビア大学)は、世界は2009年に5つの教訓を学んだという。どれも重要だが、どれも過去、学んだことのあるものでもあった。われわれはいつになったら経験を生かせるのか--

 2009年について、強いてよいところを見つけようとするならば、それは「もっと悪い年になる可能性もあった」ということだろう。2008年後半には絶体絶命の危機にあったように思われたが、なんとかそこから回復し、2010年は世界中のほとんどの国にとって、ほぼ確実に、もっとよい年になるだろう。
 また、世界は貴重な教訓をいくつか学んだ。ただしそれは、現在・将来の繁栄という点で大きな犠牲を強いるものだった──そして、われわれがすでに同じ教訓を学んでいたことを思えば、それは不必要に大きな犠牲だった。

 第一の教訓は、市場は自己修正がきかないということである。
 まったくのところ、適切な規制がなければ市場は暴走してしまいがちなのだ。2009年、われわれは再び、なぜ(アダム・スミスの言う)「見えざる手」が実際に「見えざる」ことが多いのか、その理由を思い知らされた。なぜなら、そんな「手」は存在しないからだ。
 銀行が私利を追求しても(=貪欲)、それは社会の幸福にはつながらない。いや、銀行の株主や社債保有者にさえ幸福をもたらさない。もちろん、家を失いつつある住宅所有者、職を失いつつある労働者、老後の蓄えが消滅してしまった年金生活者についても同様だし、銀行救済のために数千億ドルを払わされる納税者にとっても得るところはない。
 「システム全体が崩壊する」という脅迫を受けて、本来は人生の緊急事態に遭遇した不運な個人を救うためのものであるセーフティネットが、市中銀行に対して、さらには投資銀行、保険会社、自動車会社、さらには自動車ローン会社にまで寛大に差し伸べられた。こんなにも巨額のカネが、これほど多くの人びとから、かくも少数の者の手へと渡った例は過去にない。

◆銀行救済は盗人に追い銭
 われわれは普通、政府は富裕層から貧困層へと富を移転させるものだと考えている。だがここでは、金持ちにカネを譲り渡しているのは、貧しい人びと・平均的な人びとなのである。ただでさえ重い負担を課せられている納税者は、本来は経済の再生を目指して銀行の貸し出しを支援するために自分たちが払った税金が、巨額のボーナスや配当に化けるのを目にした。配当とは、利益の分け前であるはずだ。しかしこの場合は、単に政府からのプレゼントを分配しているだけなのだ。
 「銀行の救済は、どれほど理不尽であろうと融資の回復につながる」というのが口実だった。しかし、融資の回復など実際には起きなかった。起きたのは、平均的な納税者が、多年にわたり自分たちから(略奪的融資や暴利のクレジットカード金利、不透明な手数料を通じて)カネをだまし取ってきた金融機関に、救済資金を与えたという状況なのだ。
 救済は根深い偽善を白日の下にさらした。貧困層のための小規模な福祉制度に対しては財政の緊縮を説く者が、いまや世界最大規模の「福祉」制度を声高に要求する。自由市場の長所はその「透明性」にあると主張していた者が、結局は、非常に不透明な金融システムをつくり上げ、銀行が自行のバランスシートさえ理解できないようにしてしまう。そして政府も、銀行に与えるプレゼントを隠蔽するために、ますます透明性の低い救済方式に手を染めるよう誘われている。「アカウンタビリティ」だの「責任」だのと論じていた者が、今では金融部門での債務免除を求めている。

 第二の重要な教訓は、なぜ市場は、所期の意図どおりに機能しないことが多いのかを理解する、という点である。
 市場の失敗には多くの理由がある。今回の場合は、「破綻させるには大き過ぎる」金融機関が歪んだ動機を与えられていたことである。ギャンブルを試みて成功すれば、彼らは利益を懐に収めて立ち去る。失敗すれば、納税者が負担することになる。さらに、情報が不完全な場合、市場はうまく機能しないことが多い。
 そして、情報の不完全性は金融の世界にはつきものなのである。外部性は至るところに見られる。ある銀行の破綻によりコストが他の者に転嫁され、金融システムの破綻は世界中の納税者・労働者にそのコストを負担させる。

◆歪んだイノベーション
 第三の教訓は、ケインズ派の政策は機能するということである。
 オーストラリアなど、大規模で巧みに構想された景気刺激策を早期に実施した諸国は、今回の危機からいち早く回復した。だがそれ以外の国は、今回の混乱の張本人である金融専門家が押し付ける従来の正論に屈してしまった。
 経済が後退期に入ると、必ず財政赤字が発生する。税収が歳出よりも速いペースで減っていくからだ。従来の正論では、増税か歳出削減により赤字を削減しなければならないと説く。「信頼回復」のためである。
 しかしこうした政策はほぼ必ずといっていいほど総需要を低下させ、経済をさらに深刻なスランプへと押しやってしまい、さらに信頼を低下させる。最新の例では、1990年代の東アジアにおいて、IMF(国際通貨基金)がこのような政策を主張していた。

 第四の教訓は、金融政策とは単なるインフレ対策だけではないという点である。
 インフレに過大な関心を注ぐあまり、一部の国の中央銀行は、金融市場で起きている状況に無頓着になってしまった。資産バブルが無制約にふくらんでいくのを中央銀行が放置することにより経済が負担するコストに比べれば、緩やかなインフレによるコストなど微々たるものにすぎない。

 第五の教訓は、すべてのイノベーションがより効率的で生産性の高い経済に結び付くわけではない、いわんやよりよい社会にもつながらない、という点である。
 民間のインセンティブは重要であり、それが社会的な利益とうまく整合していない場合には、結果的に、過剰なリスク志向、過度に近視眼的な行動、歪んだイノベーションをもたらしてしまう可能性がある。
 たとえば、近年の金融工学上のイノベーションの多くについては、そのメリットは実証困難であり、もちろん数量化もできない一方で、それらに伴うコストは、経済的にも社会的にも明白かつ巨大である。
 事実、金融工学は、普通の市民が家を保有することに伴う単純なリスクを管理するうえで役に立つ商品を生み出しはしなかった。こうして、数百万もの人びとが家を失い、さらに数百万の人びとがその可能性にさらされる結果となったのである。むしろイノベーションは、低学歴の人びとに対する搾取を完璧なものにし、市場をより効率的で安定したものにすることを意図した規制や会計基準を逃れることを志向していたのである。その結果、本来はリスクを管理し資本を効率的に配分するはずだった金融市場は、リスクを生み出し、でたらめに配分してしまったのである。
 われわれは過去の危機からも同じ教訓を学んだはずだが、さて、今回の危機ではこれらの教訓を以前よりもしっかりと学んだのだろうか──その答えは近いうちに出るだろう。
 2010年、米国をはじめとする先進工業諸国において金融部門の改革が大幅に進展しない限り、残念ながらわれわれはまた同じ教訓を学ぶ機会に直面することになるかもしれない。

・ジョセフ・E・スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)
コロンビア大学教授。1943年生まれ。2001年ノーベル経済学賞を受賞。クリントン政権の経済諮問委員会委員長、世界銀行上級副総裁などを経て現職。

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