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「市民との協働」 2つの顔

 7日付の地元紙に高知市の「市民と協働 再構築」という特集が載っている。須崎市は、自治体の「最高規範」という「自治基本条例」づくりに着手している。
 こうした取り組みは、憲法が定めた生存権や幸福追求権、主権者としての権利を、より豊かに保障していくため公務の役割を明確にしたものでなければならない、と常々感じている。
 市民参加、市民との協働の名のもとで、公務の役割を切り縮め、市場化・受益者負担を徹底させ、市場にのらない部分をボランティアで手当てさせようとする「新しい公共」など新自由主義の考えと「形」の上ではよく似た構造を持っており、よく見極めることが必要である。

 まず、「住民自治」のとらえ方の問題がある。
例えば、「地方政府(自治体)を住民がどう統制していくか」という意味から、「住民が自らやるべきことをやるのが住民自治」という使い方に変質してきている(今井照・福島大学 ガバナンス09.8)、「『自治事務の矮小化』というべき現象である」(金井利之・東京大学 ガバナンス09.9)という指摘がある。

 そもそも憲法体系は、中央政府と地方政府という2つのルートから人権保障を担保する構造となっている。一方で中央政府のナショナルミニマムの責任を規定しながら、地域の自然、歴史、経済社会環境などさまざまな条件によりそくして、「人権保障」と「幸福追求」がより豊かになるよう地方政府がある。
 その際、地方自治は、全権限性の原理、近接性の原理、補完性の原理などを含み、国政問題(米軍基地問題なども)についてもかかわれるのは当然である(ヨーロッパ自治憲章にはそうした規定がある)。

 地域の福祉の充実と行政の限りある財源・資源(それは中央政府との責任との関係抜きにしては語れないが・・)の適切な活用は必要だが、市民に負託された責任を達成すべき地方政府(中央政府もだが)の役割が「住民自治」「協働」の名のもとで減じられることがあってはならないと思う。

金井利之教授は「『自治事務の矮小化』というべき現象である」として、その中身を
①住民の意向に従って自治体行政に仕事をさせるという、自治体に対する民主的統制の発想が「住民自治」から消え去っている。行政に任せないで住民が住民だけで事を為すのが「住民自治」であれば、「住民自治」とは民主的な自治体政府の否定である。
② 現実には行政機構は消滅しない。それどころか、「住民自治」の名の下で行政が仕事を怠慢にし、住民に負担転嫁をするための口実になるのが関の山である。
③「自分たちのことを自分たちでする」という「住民自治」は、実は単なる活動者の思い込みとお節介になりやすい。
となかなか厳しい論を展開しているが、根拠がないことではない。

 地元紙の特集で、「協働」の最先端としてとれあげられている高知市のゴミ収集は、自治体の業務として、無料・直営で実施し、職員が地域に出て行き市民の声を聞く努力をする。公務がやるべき責務を果たしているという土台があり、そのもとで、よりよりまちづくりを目指し、市民が行政を信頼し、協働が息づいていると捉えるべきであろう。
 公務の役割発揮と公務への信頼・・・これがないもとで「協働」はありえないと感じている。同じ言葉でも人権保障、自治の充実か、切捨てか、という2つの顔がある。

 さて、自治基本条例をいくつかみれば、「国と地方の役割分担」の延長線上で展開されているように思う。
 
 「市民サービスに対する負担の責務」とか、「市政の方針に協力する努力」「発言と行動に責任を持つ」など行政都合、住民の口封じのような規定が書かれている例もあるが、これなど「必要充足応能負担」や思想信条の自由という憲法と相容れない規定といわざるを得ないし、とても住民自治の発揚につながるとは思えない。

「権利規定」でいえば、たとえば飯田市の条例では・・・
 「市民主体の原則」として「その個性や能力を十分に発揮することができます」、「参加協働の原則」では「市政への多様な参加と機会が保障され・・」とあり、「市民の権利」として「まちづくりに参加する権利」「政策の立案段階から参加する権利」「情報を知る権利」など「権利」が規定されているが、当然だろう。
  
 「子どもの」については、子どもの権利条約・・・最善の利益の確保、子ども自身の意見表明・参加の権利を「できる」ではなく、大人は保障しなければならない。

 また、「最高規範」と表している条例も少なくないが、なにより最高規範は憲法、憲法のうたう「地方自治の本旨」でなければならす、住民自治の名のもとに、公務の役割の後退させるような例があり、違和感をもつ。
 憲法では92条、93条で、地方自治の組織や運営ついて、代表機関を長(執行機関)と議会(議決機関)とし、首長と議員を住民の直接選挙で選ぶことを規定している。こうした機能をより豊かにすることが軸にすわるべきだと思う。
 執行部、議会が、それぞれ公聴会、審議会など計画策定や行政評価のために積極的に活用することを規定するなど・・・ただ、市民参加の名のもとで「審議会」「検討委員会」が、執行部、議会をしばるような規定は、使い方では、執行部が恣意的な結論を誘導する仕掛けとなる危険がある。
 そのことを留意して、方法、関与する範囲などよく考える必要がある。

 住民の意思表明では、「住民投票条例」の制定が1つの鍵となる。
逗子など常設の住民投票条例をもっている。海外ではスイスは、重要課題について、国民投票を多用している。一方、条例の中には、住民が住民投票を要求できるのは、住民等と市長との間に重大な意見の相違がある場合(市長が政策決定した時)としながら、他方で、市長が意思決定した事項についてはできないとか、住民投票の対象は「重要事項」とされているが、何が重要事項かの判断は市長が行なうなど、ほとんど「住民投票拒否条例」のようになっている例もある。
 
 とにかくこの種の条例づくりでは、つくる過程で徹底して議論することに大きな意味があるように思う。行政批判、要求を入り口に、地方行財政の仕組みを学び、市民・各種市民団体の交流なども通じ、住民自治の力を築き上げていくことに意味があると思う。

また、アテラーノ旭のようなまちの有志が中心となった居場所づくり、地域のネットワークづくりなど多様なとりくみを行政が支援、育成していくこともなかなか大事になるのではと思う。

うえから行政都合で「責務」をかぶせるようなことは、なじまない。

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