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若者の生きづらさと大人の立ち位置 備忘録

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  若者の状態に心を寄せ、反貧困のとりくみでも活躍している中西新太郎(横浜市立大学教授。専攻は社会哲学)さんの「生きづらさの時代の保育哲学」に学ばされる。とくに、第2章「思春期を見守るおとなの立ち位置」。
 大人は若者の「生きづらさ」を理解し共感しようとしているか。自らの価値尺度で、「お説教」し追い込んでないか、大人も「排除や孤立の危険をくいとめ、共に生きる豊かに文化をもっているか」と自問しなくてはならないと・・・ 運動団体にも自己点検を迫る内容でもある。
 以下、備忘録
 
 

【思春期を見守るおとなの立ち位置】                09.10 中西新太郎

 「〈生きづらさ〉の時代の保育哲学」(ひとなる書房)の第二章の備忘録
 普通に育つことがむつかしい、生きづらい社会となっており、その原因には、社会のお荷物にならず、採算のとれる人間になれと要求する政治、社会の存在、「構造改革」がめざしてきた社会の在り様がある。それに対し「おかしい」と言えることが大事。
 子育て環境を整えることは、社会の質・水準を高めること。子どもと親がともに育ち生きられる環境の創造、子育ての共同こそが「生きづらさ」を強いる社会に対抗する道。その共同とは何か、どう広げるのかをともに考える、というのが本書の課題。一章「親とつながる手かがりをさぐる」、三章「保育制度『改革』と子育ての共同」。(メモ作成者)

1消費生活デビュー
◇消費文化という存在の大きな影響力~街の本屋は身近な社交場~高級ブランド品に身をつつむ素人のモデル。
 親子でマネキュアの園児も・・・年配者の嘆きをよそに現実は進む。

◇否応なしの環境としての消費文化~ほしいもの、知りたいと夢中になるものの大半は消費文化
・生育過程から消費文化。十代後半には、大人の知らない文化を全身で呼吸 /成育の基本環境
 → 思春期とは、消費文化の世界で「しっかり」生きられるようにすることを意味する。
 → 「否応なし」とは… 友達同士の関係で踏み外してはならない「ルール」がある。それは無視できない

◇変わる成長の姿
・マニキュアする女子中学生、男女ともにお肌の手入れは当たり前。カレシ、カノジョも早くからの話題に…この「外面」は、友好関係と深い関係 
~ 感覚とともに、現実の行動も変化/都市部の高校生の性体験は5割近い(02年がピーク)。

・身知らぬものとの交流(IT、チャット、出会い系)、ケータイ小説への投稿も「当たり前」
 → 成長の姿の変化 「子供だからこうだろう」は通じない

◇「無知」なおとなであることを自覚しよう
・「子どもがわからない」という前に、今目の前にいる姿、ふるまいを受けとめよう
  ~「変だ」「おかしい」と決め付けるもの禁物 
「反抗期がない」、ローティーン少女の早熟、二十歳すぎの若者の幼稚からおかしい、というのではなく ⇒ 成長の「普通」が変化した。/「早熟」「幼稚」と文句をつけても問題は解決しない!

・子どもの目線で… 消費文化を「しっかり」生きることが欠かせない要素に。その文化環境の理解が必要
 → 大人には困難な課題(知識が貧弱)~ 知らないこと教わる謙虚さが必要
 → それは「知らないことがあっても教わる謙虚さがあれば生きていける」というモデルになれる可能性も
 (そのことは、子どもの生きる世界を全面肯定することとは違う。が、「まず受け止めよう」というもの)

◇遠ざかる子どもを見つめられる場所に
・親の注意も上の空、自己の世界に没頭~ 思春期の子どものありふれた行動だが 
 → 親にとっては、子どもだと思っていたわが子が、知らない世界、放っておいてよいか不安になる文化へと遠ざかっていく事態
 → しかし、親は最後まで伴走はできない。遠ざかる子どもの後姿を見つめる場所に居るしかない。

・親の立ち位置~ 子どもから見て「ああ、親はそこにいる」と確かめられる場所。~「全部はわからないが、あなたの姿は見ているつもり」「解決できなくても、大変さを見ているから」といえる場所
→ 消費文化を理解するとは、大人自身が自分たちの占めるべき場所を咲く利当てる作業と思う

★苦闘する子ども~消費文化、情報環境の中で生きるのは、大人が想像するよりずっとむずかしいもの
 → 苦しさの性質も表現も昔と違うが、苦しさには違いがない /どのように苦しいかを伝えるのも少年少女には至難の業 ~ 明るく元気に映る子どもの日常文化の底には「深い生きづらさ」が潜んでいる。

2.「自分らしさ」を選ぶ-- 消費文化の中の自己表現
◇コスプレは楽しい
・「コスプレしたときは普段とぜんぜん違う。人が変わったようになる。コスプレしているとはのほうが本当の自分だと思う。普段の自分は仮面をかぶっている感じ」(ある中学生の言葉)

・コスプレ、「なりきり」(ネット上であるキャラクターになりきって振舞う)~ 気軽に楽しめる変身遊び
 → 昔なら、ふろしきをまとった月光仮面、ウルトラマンごっこなどなど

◇コスプレしているときが本当の自分?
・変身のふるまいは「自分らしさ」を周囲に示す、それぞれの思いを凝らした自己表現
 → 大人は「たかが遊び」、子ども「本当の自分の取り戻す大事な手段」という大きなギャップ

・自分を自由に率直に出す「わざ」が、コスプレ、「なりきり」/自分を表現することが簡単でない

◇グッズで選べる自分らしさ
・山のようにある商品(ファッション、ケータイの着メロ…)は「私はこんな人」を外部に知らせる手ががり
 ~ 体育会系、裏原系、電波系などと、性格、ファッション等々がタイプ別に分類され、外から見て一目でわからせ、かつ序列をつけてしまう文化の中にいる少年少女
 → 身にまとう「装着具」「仮面」の選択に真剣なのは当然で、「好きなものを選ぶ」作業は、「こういうものが好きな私」の姿を露出すること。「自分らしさ」を演出するグッズ選びに熱が入る。
 → しかも「序列がつけられる」~ 「天然」はいいが「不思議ちゃん」は困る。「同人誌系」とは思われたくない・・・どの「系」に属するかが、人間としての価値の上下につながる文化の中にいる。

・装飾品の重要さ ~ 「キャラにかぶせて自分を出せる」という関係 
 → 大人は「できあい」で自分が表現できるか、と思うかもしれないが、商品は膨大にある
   キティのキャラ商品だけでも6千種、関連商品5万。
 → 「好きなもの選び」が「自分らしさ選び」と深く結びついている /選ぶ対象は消費文化の商品群
 ~ 別の言い方/消費文化がおたがいの性格を理解し承認する共通の土台となっている。

◇できあいの個性化を強要する文化
・「自分らしさ」を選ぶ作業は、簡単な作業か? どうもそうではない。

・「自分らしさ」を消費文化から選ぶ、という新たな文化経験からどうしても生まれるプレッシャー
 → 自分の立ち振る舞いは、すべで「選んだ結果」として伝わり、判断される
①選び方がまずいと「あの子とちょっと、ね」と引かれてしまう。どんなキャラを発信させるか気を張っておかなくてはならない
②「いちいち気にしなくても」という態度自体が「選んだ」スタイルとして認知され評価される。
③「選んだ」結果でない普段の立ち振る舞いも、「個性」をこまかくチェックされる

・そんな環境は楽ではないのではないか
 → 何でも自由に選べる消費文化の世界が、「あなたはどんな個性の持ち主なの?」と見つめられ問い続けられる成長過程をつくりだした ~ 「オンリーワン」の個性を、学校も学校外の文化も親も求め続けるのは残酷  / 「できあいの(デフォルト)個人化」

・いつでもどこでも「個性」がチェックされモニターされる社会はつらい

◇本当のわたしを「見て」と「見ないで」
・「個性」をきめ細かくチェックする文化は、「自分らしさ」を1つのキャラクターとして操作する力を育てる
 → これまでの成長感では内面の特質と考えられていた人格性のかなりの部分が、いわば「かぶりもの」のように受けとめられ使われる/「キャラを立てる」「キャラがかぶる(重なる)」「キャラを変える」
 →ついていく気がなくても、それなりの仮面、個性を確保せざるを得ない/無口、変人だが食玩に詳しい…など

・同時に、周囲に納得してもらう仮面をつけるキャラ選択が「本当の自分らしさ」を隠す手段になる
 → 自分を外に出すことと隠すことが一緒にやられる~「本当の私を見て」「本当の私を見ないで」
 ~大人がそのメッセージを受け取ることは難しいが、自分らしさを選ばされるしんどさを想像してほしい。

3.新しい情報環境のなかの子どもたち -ケータイ、インターネットを考える
◇おどろくほど広がるコミュニケーション機会
・ケータイ 高校9割以上、中学5割強、小学3割(内閣府「情報化社会と青少年に関する意識調査07.7)
  とりわけ中学の普及は急激。都市部で7割(横浜市調査)
・メール数は1日30通、最多は200通(「10代のぜんぶ」ポプラ社)
・ケータイ利用時間 中学女子80分、高校男子90分、高校女子120分(内閣府調査)
・インターネット 家庭の8割に普及 半分くらいの子どもが使用 週3-5日使用 2-3割
   実生活の交流範囲が狭く限られる一方、情報環境は大きく広がっている
・ネットゲームを通じてのコミュニケーションの広がり 
 「リネージュ」「FFX1」に100万人~ゲーム内で、様々な人間関係を結び、交流をとることができる

◇情報ツールの多様な使い方
・友達関係を支える欠かせないツールであるとともに、辞書・百科事典、時刻表等々 
 ~人の記憶機能の「外付け」→何かを覚えるより、必要な情報だけ取り出し、後は捨てることが大事になる

・仮想サイトと現実の交錯
 ネットでの実際の買い物と同時にゲーム内のレアアイテムが現実世界で売り買いされる
 → バーチャルだからですまされなくなる/ネット上のいじめ、殺人予告、ウソの料金請求
・子どもには「ないと不便」な必需品、大人には危険な道具に見える 
  →持つ、持たせないの議論の前に、ケータイが子ども世界にどんな変化を与えたか、実態を知ることが大事

◇未知との出会いが広がるバーチャルな世界
・情報があっという間に広がり問題が学校内で収まらないことも、ネットをめぐるトラブルの特徴

・規制すればよいか~その前に、ケータイ、ネット文化が「出会いの魅力」を広げている点を見る
  国境も越えておしゃべりできる現実が、普通になった。ブログで自分を発信もできる
 → 世界が開かれていく楽しさ、快感は、ケータイを手に入れてはじめて可能となる。
・危険はともなうが、実生活ではとうてい実現できない出会いができる
  ~「私といると楽しいと思ってくれる誰かと出会える」魅力がある

◇自分を知ってほしいという願い
・出会いの範囲が広がる → 身のまわりの人間関係でさびしい思いをしていても、ネット上では、探せば自分がほっとできたり、趣味が同じだったりする仲間がほとんど必ず見つかる、ということが含まれている
 ~ 趣味のあわない学校の友人よりも、同じ趣味のファンサイトで楽しく過ごせる

・ブログ、プロフは、「自分を知ってほしい」「絡んでほしい」と望む子どもにとって、すばらしく便利
 →急速な普及 /世界一孤独な子どもたちだからこそ、自分を伝えたい願いもそれだけ強いから

・中高生に人気のケータイ小説… 進行中の小説にメールを書ける。自分の書いた小説にメールが来る
  ~ そういう交流の中で、一人ではないという実感が得られる

・ネット上の人間関係にも、現実の人間関係にちがいはない。現実でおこることはネット上でおこる。
 ~ 切実な願いから不特定多数に自分をさらし、それが悪用される危険が生じる。特に注意が必要。
 → 急速にひろがるケータイ世界に大人が追いついてない /信頼できる相談機関に親も子もすぐにアクセスできるしくみが必要

◇ケータイメールが組織する友達の輪
・ケータイ使用の第一はコミュニケーション  女子高生(東京)のアドレス数は100件以上が6割

・いつでもどこでも連絡とれるツール → 家庭生活の内と外の区別が違ってくる
 夕食中に友人とメールでおしゃべり~「どこで暮らしているか」があいまいに。これまで実生活の中で「自然に」あったコミュニケーション秩序が崩れる/よい、悪いてはなく、そんな変化が進行していることに注意を

・ケータイでつながる「友達の輪」がちゃんとつながっていか? 確かめるには、せっせと交信が必要
 → 「輪」の点検、補修が不可欠 

・メールには「即レス」が原則…遅れたらその理由を言わないといけない。無視して冷たいやつと思われたら大変。絵文字は当然の配慮。文章だけで冷たい感じを与えたら大変と、気を遣う。

・新しい情報環境に生きる若者たちは、大変な「配慮の人」である。
 ~ そのことを大人は知る必要がある。

4.友達づきあいは楽じゃない
◇友達100人が当たり前の時代
・若者の関心の的は、友達(NHK放送文化研究所調査03年)
 ~ ケータイが大活躍する友達なしでやっていけない若者の日常生活

・友達が数十人は普通   10代男子の平均57人(「10代のぜんぶ」)
   「やっぱり、今の子どもも人のつながりを求めている」と安心できそうなデータ

・しかし、昔よりはるかに増えた友達とどううまくつきあっているか… なかなか大人には見えない

◇互いに負担をかけないというルール
 ある中学生の話「友達は10人くらい。たくさん作っておけば安心」「クラスでは、漫画、芸能人、音楽の話をするなどのグループに分かれている。ほかのグループの子とは話さない」
~ そもそも話をしない関係がある。友達づくりは「安心」を得るため

・「気遣い」のルール
 強く意識されているのは「おたがいに負担をかけあわない」という点 ~ 「困ったときに助けてもらう」という昔の親友のイメージとはずいぶん違う。負担をかける行為はルール違反
 → しかし、本当に苦しいときに、友達にそれが言えないハメに陥ってしまう ・・・それが、「一人苦しさを自分の中で飲み込んでしまう」子どもの姿がライトノベル、アニメに頻繁に登場する理由

・大人の親友は、そういう負担を掛け合うもの、と感じるが、若者は親友だから負担をかけない、と感じる

◇友達づきあいのコツは「等距離外交」
・「相手も傷つけたくないし、自分も傷つきたくない・・・傷つくのはこわい」~ 相手に負担をかけてしまうような関係まで踏み込まない「やさしさ」がとても大切に感じられている。

・大人の「友情」にこめた感じ方とのズレ 
 困難や苦しみをぶつけあい、「熱く語る」という姿は、「つくりものの」に感じられ、「暑苦しい」と呼ばれる。
 → 濃密で距離の近い友人関係で「煮詰まって」しまうのは、身動きとれなくなる可能性があるので、注意が必要。ほどほどの距離感が要求される。/ 等距離中立

・友人だから、関係が濃いと考えてはいけない…「クラスの友達」が、大人の理解する友達と違うかもしれない
 → 同じクラスで一年も過ごしているのに名前すら呼んでもらえない状況はピンチ。そうならないように「工作」するのが、つまり友達づきあいの1つの大きな意味

・現代の若者にも支えあう関係はある ~ ただ、相手が負担に思うほど踏み込まず、押し付けがましくなく、さりげなく支えるわざが要求される。

◇空気を読む
・「さりげなく、おしつけがましくなく」つきあう呼吸を身に着けることは、簡単ではない
  → 「その場の空気を読む」ことが絶対に必要 / 「まわりが引いてる」と感じたら、すぐフォローできなくてはダメ

・早い時期から「呼吸」を学んでいく・・・ベネッセ「子どもの生活実態調査」
 「友達と話が合わないと不安」「仲間はずれにされないよう話をあわせる」 小学4年でほぼ半数
  ~ 中学、高校よりも高い /小さな時期から、ルールを読み取り、外れぬよう苦労している様子

・ルールは「見えない」
 → ルール違反がわかるのは、まわりが「引いたとき」と感じる場合だけ
 → そこが厄介。わけもわからず嫌われる不安、楽しく過ごすために神経が疲れる日常に生きる子ども

◇安心できる居場所がほしい
・「親友をたくさんつくっておけば安心」の底に潜むもの
 おたがいに空気を読みあう関係の中で、孤立せず、「友達だよね」と確認し承認してもらえる存在が友達
 → 友達とは、自分が安心してその場にいられるためのセキュリティ・ネットのようなもの

・趣味の集まり ~ 同じ趣味と最初からわかっていれば、空気を読む努力は少なくてすむ。どんな趣味がわからない場で神経を使うより、ずっと気楽にすごせる。

・安心して自分の感じていることを伝える場がほしい気持ちが、ネットの交流であり、対象を確実に見つけることができる。一方、趣味の違う相手とは話す気もしないし、話もしないという結果となる。
  → 孤立する危険にますます過敏にさせている。これは悩ましい矛盾

5.居場所のないいきづらさ
◇伝説の折鶴オフ
・広島平和公園の折鶴が焼かれた事件 ~ 2チャンネルで呼びかけられたネラーが各地で集まって鶴を折り、その折鶴を「鉄オク」と呼ばれる鉄道マニアの若者によって駅から駅へ引き継がれ、広島に届けられた。
 ~ 参加も自由。指定された場所で黙々と鶴をあり、時間が来たら帰る。名前も知らないし、話もしない。感想があれば「2チャンネル」で伝える。

・ この集まり方には、各人の自由度(逃げ道)を確保しておこうとする工夫と配慮がいかに強いか感じられる
 ~ 友達づきあいのむずかしさ、それが集団行動の場面では強烈にあらわれることからくる

◇「ちがう」といえない苦しさ
・「クラT」づくり  クラスでおそろいのTシャツをつくる 
  自分の考えがあり、理由があっても「いや」と言えない難しさ ~ 友達づきあいが安全網づくりだから。

・みんなが努力して「安全網」をこわさないようにしているのに「自分勝手」(まわりからそう判断される)に「いや」だと言うなんて、と非難の目を向けられる。→ 同じノリで行動したほうがずっと楽

・自分の思いを素直に出すことは、友達づきあいの世界がつくっている安全網への重大な脅威、挑戦
 → 信念にもとづく行動が脅威とみなされ、無視され、排除される危険が増す。

◇いたるところにひそむ孤独の危険
・「あなたとうちらはちがう」とバリアを張られ孤立する危険は、子どもの育つ文化環境に豊富に存在
  個体化が徹底した生活だからこそ、こまめに連絡を取り合うケータイが普及 ~ そのツールを使って孤立状態を簡単につくれる 

・着メロで相手がわかるしくみで、気に食わない相手のメールはゴミ箱行きへ。それをみんなが一斉にする
 ~ 無視された相手歯大変つらいはず 

・ケータイを持たない子に連絡をとらないのは「当然」と感じてしまう可能性
 ~ 連絡されず無視される人間にとっては、そういう状況がどれだけ苦しいかの想像がしにくい

★きちんと自覚することなく他人を傷つけてしまう文化を少年少女たちは生きている
・厄介なのは、バリアを張られる理由は、さまざまではっきりしない
 → 孤立しなとあらかじめわかるマニュアルは存在しない。誰かをいじめようと計画してないのに、簡単に誰かを孤立化させる事態が起きる。

・友達の階層制 ―― イケ面、明るい、部活のリーダーなど様々な要素を加味し、「価値」が判定される
 「ショボイ」友達と一緒に見られると自分も「ショボイ」一員に放り込まれる
~ だからこそ、何も考える必要のない、ただそこに黙っているだけでよい居場所がどんなに求められているかも、わかるのではないか
 (友達関係の階層制を描いた小説 に「12人の悩める中学生」角川文庫 07年)

◇明るく元気にみせる「訓練」
・友達づきあいのしんどさ、困難~努力しても、ぽんと友達の輪から放り出される可能性を常に抱えている

・放り出された子どもの対処方法 ~ 
 「おかしい」と怒ると「ジコチュー」とますます排除される /「平気、平気」と明るく振舞うのが現実
 → 「何があっても平気でいられる心」(中西)/外部社会からの厳しい圧力を自分の努力で遮断する
 → 大人には「何を考えているかわからない」「とくに問題のない普通の子」と映る

・自分は「大丈夫」と見せる対処方法~ 孤立状態を生き抜くための内面的文化をそうやって築く以外ない

・また、まわりの人間から意識されず見過ごしてもらえる位置におく「訓練」も出現する
   → 少なくとも「排除」の標的になる危険から逃げられる 

・将来の夢「完全な化石」という子ども → 圧迫のない世界への強い憧れの表現

◇苦しさの底にある願いとは
・「平気」と思える努力をつんでも、苦しさが消えるわけではない
 ~ 人が一人で生きられない以上、周囲から無視され排除され続ける経験は、死にも等しい苦しみ

・平気でいられる努力をすればするほど、苦しさは内面に奥深くくい込んでくる。
 ~ この痛ましい状況に、自分も入り込んでしまうかもしれない不安は、子どもの多くが抱える感情

・だから、安心した居場所がほしい! と願う
  ヒーローの持つ超能力 90年代以降 「他者に思いを伝えることのできる力」
 →  強い思いが相手を動かすというパターンは、現実のコミュニケーションの難しさの反映  

★少年少女たちの、大人から見て危ういしかたでの仲間づきあいを広げる中には、安心できる居場所がほしい無視できない要求がある。―― いまのままの自分でいても「大丈夫」と認められ、そう確信できる、そういうつきあい方、世界がほしいという要求
 → 大人はどう援助したらよいか。真剣に考える必要がある

6.「生きている実感」は薄れているか?
◇集団自殺とインターネット
・03年、インターネット自殺が連鎖反応    ネット上の自殺願望の交流は90年代半ばから、それが定着

・大人には、生きている充実感がかんじられていなから、簡単に死を選んでいると映る
 → 生も死も軽いものではない、その重みを無理やりでも若い世代に体験させたい強い「誘惑」に駆られる
   例)不健康、軟弱な若者の精神を徹底的に鍛えなおせ、という主張など

・「死の危険からの隔離」策が果たして有効か  ネット規制など
 「死にたい」という願望の実現を妨げるバーが低い、死がこんなにも近くにあると実感させる文化にリアルな基盤があり、「近づくな」という隔離策は「ウソっぽい」ものにしか見えない
 → ちょっとの「実行力」があれば自分にもできそうな生の放棄のリアリティを承知した上で、なお、生きること、生きている自分を肯定できることが肝心。隔離策はうそっぽさを押しつけ逆効果
 → 生きている自分の肯定は、本人にしかできない

・若者が生をもう一度自覚的につかみなおす過程、条件をていねいに見つめ、それを支える文化のありようを探ることが大切

◇「ちゃんと生きている」ことをたしかめたい
・「生をつかみなおす」ことは簡単ではない~ 自分なりの生活、生き方を発見ではたら「大丈夫」という大人の目から見やすい「つかみなおし」が誰にでも通用すると限らない

・少年少女の「つかみなおし」の多様な試みは、一見、生を気軽にもてあそんでいるようにも見える
 例) 将来の夢・・・「化石になりたい」という回答は珍しくない
 → 濃密な情報環境の中で、こまめに感情をやりとりする生活、自分の感情さえも、相手のためら自在に使用しなければいけない「道具」になってしまい、自分の感覚さえもしんどいと感じ、引き離したいと思う
 → 感情の放棄、「生」の部分を殺そうとする努力が、同時に、自分を内側から見失わせてしまいそうな感情の動きを変えたい、という人間的な欲求の発露かもしれない。

 例)「僕たちは絶望の中にいる」(講談社)の「バイト魔」
  お金はそんな必要ではないが、空いた時間を全てバイトで埋めないと落ち着かない高校生の話。
 例)彼女、彼氏を常に確保しないと安心できない。写メールでせっせと思いでづくりに励む行動

 → つまり、時間の隙間、感情の隙間をくまなくふさいで「毎日が充実しているってことは、こういうことだね」という証拠づくりを一生懸命自分に向かって行っている姿
 →「明るい」「元気印」「屈託のない」… は、「これで自分の人生は充実しているはずだ」と自らに言い聞かせるせっぱ詰まった努力の要素があると思えてならない。

・そういう日々がウソと早くから気づき、「死の近くにいる」感じ方を磨くことで自分の日常をつくろうとする若者もいる~ 自傷とか、「死の近くにいる」ことを、徹底して「何気ない」「軽く」見せる

★ちゃんと生きていることを実証しようとする努力が、生も死も「軽く」扱う振る舞いへ子どもたちを向かわせてしまう。その努力自体が「私の人生は私のものであるはず」という感じ方の土台まで掘りくずしてしまいかねないところに、現代日本の青少年のぶつかっている困難の深さ、新しさがある。

◇「社会」を感じさせない文化
・なぜ、そうなるのか ~ 「生きている実感」という時、生きていることの基盤になる何を想定しているが、その基盤は、成長の過程で必ず実感できるものではない。
~ 感情は自然にみえるが、文化の中で育まれ、社会的な性格をもっている。
→ 「生きている実感」の土台となっている「自然な感覚」を変容させる力を文化は持っている

・自分にとって「自然な」(そのまま肯定できる)生き方かを知るのは極めて困難
→「社会生活に支えられて生きていることを実感する」可能性が極端に狭められていることからくる難しさ
~自分が社会に支えられているという実感は、共に生きる人々との関係の中でそのつど発見されていくもの

・こどもをとりまく環境は・・・
 一方で、交流圏を飛躍的に拡大した情報環境、時間的にも空間的にも濃密な人付き合いの現実
 他方で、その中で働かせる自分の感覚が「自然」なのかとても分かりにくくなっている。
 
 例)ケータイ小説 まず一瞬で好きになる恋愛関係があって、「この人は、自分が本当に好きか」という長い物語が始まる~ 「好き」という感情が自然かどうかわからない、それが普通の状態と言える
 → この状態は、自分の内側に自分でないものが常駐し、振り払っても振り払えないかのように感じられる

★「化石」「元気いっぱい」も、そうした振り払いの努力にちがいない ~ その努力がかえって「共にいること」に支えられた生活や感情の「自然さ」「実感」を発見させないようなしくみを問題にする必要がある。

★人が社会的存在であることを「自然に」たしかめさせず感じさせない文化のあり方に、私たちはもっと敏感になる必要がある ~ 「生きている実感」をとりたてて感じなくてもすむ生活・文化の組み立てられ方をどう変えていくか、真剣に考えなくてはならない。  
  
◇「共にいることのできる」文化へ
・「社会にささえられている実感の薄さ」というと、ボランティアの義務化という主張が噴出するが
 → 社会に参加することのリアリティを失わせているのは、青少年の意識の薄さではない。社会の一員として 彼らを正当に位置づけることができない仕組みにある。
 → その状況を放置し「しっかり生きろ」というのは大人、社会の責任放棄

・「共にいることのできる文化」
 ~ 自分の生は自分でしか肯定できないが、その肯定のためには「一緒にいる他者」が不可欠。これは社会的存在としての人間の必ずぶつかる「宿命」。その矛盾の解決が「共にいることのできる文化」
 → 「そばにいることを実感できる」こと。現在の消費文化は。「共にいること」を感じさせないように洗練されている。だから、どうしたら共にいられるか、は大きな文化的課題。

7.「私は綿」と言えるようになるとき
◇消費文化の悪影響は取り除けばよいか?
・気のはる友達づきあいという成長の基礎環境である消費文化の世界を生きることはけっこう大変なこと
  「配慮の人」であることも、そんな友達づきあいの隣り合わせで、孤独の恐怖がひそんでいることも

・大人はすぐ「どう消費文化の影響を防ぐか」という問をたてるが、それで、生きるしんどさはなくならない
 ~ 文化とは、あれこれの作品だけではない。文化の働きを大きく見ると、世界の中で自分がどこにいるかを知る不可欠の手がかりとしての役割を果たしている
 ~ それは消費文化にもあてはまる。現代の子どもは、その文化の「内側」で自分たちの生きる手がかりをもとめ行動している。
 → 遠ざける「危険で有害な文化」としてだけ扱うなら、その文化を生き抜くことで自分の姿を見つめねばならない子どもたちは立つ瀬がない。/消費文化への批判は絶対に必要だが「近づくな」では解決しない

◇若者たちがつたえようとしていること
・消費文化が提供する様々な手段(ライトノベル、自作CD・映像)を使い自らの生活感覚、怒り、願望を表現
  ~ 共に生きる世界への希求が息づいている

◇文化にひそむ暴力を見抜く
・消費文化に影響された行動、感覚をそのまま肯定すべき、と主張しているのではない
  例) 女は男にかわいいと言われる努力をすべき、と枠をはめる文化は当たり前ではない。おかしい 
     一旦、「モテ系」という分類ができると、それがルールとなる 
      アンアン07年12月「モテ子の習慣VSブス子の習慣」特集
 → 社会的評価、価値の上下判断をはっきりとふくんだ対比が堂々と行われる文化は大変危険

・消費文化の世界~ 学校的評価よりもずっときびしい「センスの競争」が熾烈に行われている
  ~ 感じ方や趣味の違いがあたかもすぐれた人間とダメ人間の違いのように扱われる
 →それは差別に他ならない。が、文化の領域に浸透した差別は、差別と受け取られにくい

・「価値」に差をつける文化が浸透している~ ファッション、持ち物、言動の細かい違いまでもが動員される
 → 「息苦しい」と感じない方が不思議ではないか

・「差別はいけない」という理念は、現実とかけ離れている絵空事に /最初からフェアでない文化の中で育つのだから「それはおかしい」と突っ張り続けられない
 → フェアでない核心部分に目を向ければ自分が苦しい /鈍感でなければ生きていけない

・暴力の文化~ 不平等や排除をしかたがないと見過ごして、認めてしまう文化
   分厚く存在する「暴力の文化」… レイプ事件を「やられて当然」「元気があっよい」という政治家の発言
  →暴力の文化は、弱さ、素直さ、素朴さ等々を、とがめ、嗤い、バカにする形で、子どもの日常に浸透

・暴力の文化を、大人はみすごしてはならない・・ 文化の中で働く差別に敏感であることが必要
 ~ おもしろければ何でもよいではない。「キモい」とか言動、趣味へのコメントすることの暴力性

・消費文化の中で、子どもが出会う不公正や排除の危険は、むしろ大人がもたらしている
 → 子どもの興味、好奇心につけこむ、青少年を食い物にするおとなの「文化」そのもの

・ご都合主義 ~あざとい商業主義を放置して、子どもに「しっかりしろ」とパッパをかける/反発されるだけ
   例)「萌え市場」「オタク市場」 若者の文化を経済的に評価する動きが顕著 
 → 経済的に有力(売れすじ)であるかどうか、で文化を測る感覚が一般化するのは大いに問題
  ~ 「何がうけるか」を唯一のものさしとして文化行動が測られることは、生きる土台を貧しくする

◇消費文化を「卒業」するとき
・毎晩ネットゲーム世界で友達と付き合う若者も、コスプレを楽しむ少女も「普通のいい子」の1人
 ~ 大人にとって珍しく「異様」に映る行動も、消費文化の生きる若者文化の一部をなし「普通」のこと
 ・・・「一部」がどの程度かの違いだけ

・消費文化が成長の形に影響を与えている/ 親が悪影響を受けさせたくないと思うのは当然だが・・
 → 消費文化が用意する環境を取捨選択できるのは最終的に、その文化の中で生きる若者自身
 → 「私は私」~「周囲にどう見られても構わない」と思えるような「寄る辺」をみつけることで、思春期の子どもは、消費文化という成長過程を相対化する

・その時期、「寄る辺」の内容も一人ひとり違う 
 例) 大好きなアイドルのライブに全部行くという中学生にとって、それほど夢中になれるアイドルの存在 
  が「寄る辺」/大人が想像もしない対象が「寄る辺」になることがある。
 → 消費文化デビューに対し、消費文化を相対化する意味では「卒業」

◇おとなができることは?
・大人は見守ることしかできないか? ~ 中西氏は「見守ることができたら十分」と答えると言う

・消費文化を相対化できるのは子ども自身の作業~ 未知の人生を歩む子供たちの環境をあらかじめ上手くいくように全部整えることは無理な話。若者文化を無理に分かろうとする努力は「いたい」と映る
 → 「私にはわからないが、あなたを私は知っているし、ちゃんと見ている」というメッセージが大事
 ~ 親とは違う人生を生きる子どもに「一緒にいるぞ、生きているぞ」という深い呼びかけ
 →「あなたと共にいる」という呼びかけをつたえることが、孤立に充ちた消費文化を生きる子どもの何よりの支えになるのではないか

・子どもの変化とは、子どもと大人の関係の変化でもある~ 「大人は変化しないもの」と「子どもの変化」だけを問題にするのでは不十分 

★ 子どもたちと日々生きているはずの大人はどう変化しているか。大人も自問しなくてはならない
 「では私たちはどんな文化を生きているか? 排除や孤立の危険をくいとめ、共に生きる豊かに文化をもっているか」と

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これからも更新頑張ってください。

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