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勤労世帯に広がる貧困の実態

 ワーキングプア問題に精力的に取り組んでいる後藤道夫・都留文科大教授の論説が配信されている。
勤労世帯に広がる貧困の実態 09/10/26 後藤道夫 日経Bpnet 
 あまりにも脆弱なシステムを明らかしたうえ、定めのない雇用、選択の余地のないサービスの無償化こそ、経済グローバリゼーションに立ち向かえる社会となる、と「福祉国家」の建設を提言している。当然、財源は、累進課税の強化と読み取れる。

【勤労世帯に広がる貧困の実態 09/10/26 後藤道夫 日経Bpnet】 ◆失業者の5人に1人しか保障を受け取っていない  現在の貧困問題を語る上で第一に指摘しなければならないのは、もともと日本の社会保障や最低生活保障が勤労世帯向けにはほとんどゼロに等しいことがあげられる。例えば、およそ十分ではないが、非勤労世帯向けには老齢年金、障害者年金があり、母子世帯については児童扶養手当があるが、働く能力を持っている世帯については、ほとんど何もない。  注意を払わねばならないのは、現状では、失業時の保障が失業者の5人に1人しか与えられていない事実だ。こうなってしまったのは、ごく最近の出来事だ。1960年代半ばだとほぼ100%の失業者がもらえていたし、70年代の半ばくらいくらいまでは80%程度がもらえていた。だが、「失業保険」から「雇用保険」に制度が切り替えられ、失業時の生活保障という従来の目的から失業者のスムーズな労働移動という方向に制度の重点が移った。そして、臨調行革のころに一段階、それから今度の構造改革で一段階というふうに制度が次々と変わっていった。  現在の雇用保険は非正規の労働者の増加に対応できていない。さらに、低処遇の正社員の増加にも対応できていない。もともとの補償額が低いうえに、給付期間がどんどん短くなってきているからだ。それに引き換え、失業期間は長期化している。  また、元来からそうだったのだが、自営業もしくは家族従業者が失業した場合の保障が何もない。90年代の半ばくらいまでは、失業しても転職先が確保できていた。現在はどこかに雇ってもらおうというような転職の仕方が困難になっており、失業者がすぐに生活に困る状態になっている。  その結果、生活を保障されない失業者が大変な数にのぼり始めた。もともと失業者を十分に保障できない制度構造を持っていたが、そのもとで失業者の数がすごい勢いで膨らんだのが過去10年間だ。雇用保険によって保障されない失業者は1970年代の10数万人から2000年代は200万人に増加した。ここで、貧困層を生み出す一つの大きな原因ができあがった ◆フルタイムで働く非正規雇用、低所得の正規雇用が増加した  もうひとつの貧困の大きな原因は、非正規雇用の増加だ。従来のパートタイマーやアルバイトといった非正規雇用ではなくて、その賃金で自分が生活しているという「自立生活型」の非正規が非常に増えた。これらの人たちは大部分がフルタイムで働いている。就業構造基本調査とパートタイム労働者総合実態調査を組みあせて推計すると、こうした労働者は1997年に男女合わせて207万人だったが、2007年には434万人にのぼっている。要するに、200数十万人という幅で自立生活型の非正規労働者が増えたわけだ。非正規労働者の給与水準と雇用の不安定さは言うまでもなく、ここでも貧困層が大規模に生まれたとことになる。  3番目は、低所得の正規雇用労働者が増加したことだ。男性の場合は、女性のように一挙に非正規化したというよりは、8割程度の正規雇用比率を保ちながら、次第に低所得化していったというのがこの10年の大きな変化だ。たとえば30歳代前半で年収300万円未満の男性正規雇用の比率が1997年には11%だったのが2007年には20%になっている。特に若い年代層を中心に低処遇の正規雇用労働者が男性の中で増えている。  この300万円という数字は、子どもがいて、奥さんがパートにも出られない専業主婦だと考えると、生活保護基準を切る数字になる。ここでも貧困世帯が相当増えたと考えられる。製造業からサービス業、販売流通に雇用がシフトしてきたのがひとつの原因だ。それだけではなく、非正規のフルタイム労働者がいろんな場所に入り込んできており、そことの競合関係で賃金決定がなされ、引きずられる形で賃金が低くなっている。  また、自営業と家族従業者が、この10年間で大きく所得を減らした。これには、不況の影響と規制撤廃の影響がある。特に流通業において大規模小売店舗法の規制撤廃が何段階かで進んできた。大規模な流通業との競争関係で負けた小さな流通小売業の落ち込みが激しい。また、80年代後半から製造業の大企業が海外進出を進め、部品の調達も国内から海外にシフトしている。中小企業、零細企業は産業空洞化の影響をもろに受けている。以前のように商売をたたんで雇用労働に転職できる要素が少なくなったので、商売としては成り立っていないのに、なお自営業の体裁を保っているという人たちも相当増えている。 ◆「貧困」問題への対応が遅れた日本  こうした変化に対して労働白書は労働分配率が低くなってきたことは指摘しているが、生活保障のない失業者が200数十万人にものぼるといったことには一切触れていない。それは、雇用保険制度の根幹にかかわる問題であり、今さら制度が誤っていたとは言いにくいのだろう。経済成長が続いているころは、次々と失業者が生まれてもみな再就職を果たしてきた。だから、ワーキングプアの比率は90年代半ば以前は1割いるかいないかだった。だが、ヨーロッパ諸国だったら、貧困率が1割なら、政府が何らかの施策を取っている。日本の場合には貧困率の計算すらしておらず、数字を公表したのは今度の民主党政権がはじめてだ。  1965年までは公的な貧困統計が出ていたが、高度経済成長が一時的な現象ではなく、長期に続きそうだという自信が出てきたため、その延長線上で生活保護を充実しなくてもいいというムードが出てきたのだろう。また、60年代の貧困問題は零細企業でフルタイムで働いていないとか、農村と都会をいったりきたりしている不完全就業者を対象としていた。そうした失業者は、膨れ上がってきた経済に吸収されて、やがて消えるだろうと考えられた。  こうした制度の不備を転換する可能性があったのは70年代前半だ。この時期、相変わらず勤労世帯向けの保障は発達しなかったが、保育園、障害者福祉、高齢者医療などの対応については丁寧になっていった。70年代は福祉が高度化した時代だが、勤労世帯の生活最低保障をするという考え方は定着しなかった。この時期、いったんマイナス成長になったものの、すぐにプラス成長に転じたことで、本格的に高い失業率を受け止めて社会全体を変えなければならないというふうには日本はならなかった。さらに80年代には日本だけが独り勝ちという状況になって、制度転換のチャンスを失った。  民主党政権になって、はじめて本格的な最低生活保障を全ての人に対して制度的に考えないと、とんでもないことになるというムードが出てきた。ただし、民主党も「福祉国家型の国家をつくる」というところまで方針が定まっていない。断片的なマニフェストの公約が並んでいるが、それらを福祉国家型の最低生活保障とした統一した政策思想で裏打ちするというふうにはなっていない。だが、民主党が打ち負かした自公政権でさえ、昨年の秋以降は大きな政府型に徐々に転換してきた。どのような政権になっても、大きな政府をやめて小さな政府へという路線は今さら取ることはできないだろう。 ◆社会サービスへの公的支出が少なすぎる  生活保障という問題を考えるうえで、「公的社会支出」という概念に注目したい。これは、経済協力開発機構(OECD)が各国の社会保障のシステムを計るために使っている物差しだ。日本の社会保障支出よりも概念が広く、住宅保障、失業保障、職業訓練の費用などが入っている。社会保障というよりは生活の社会的支援全般を含んでおり、社会サービスと所得保障両方を含んでいる。  その国内総生産(GDP)比率を各国比較してみよう。特に勤労世帯に関係あるものは、家族関連支出とか積極的労働市場政策(職業訓練)、失業補償、住宅保障、生活保護だが、これをひとまとめにして、その対GDP比率を並べてみると、日本はなんと最下位から2番目である。平均が5%か4%のところ日本は1%くらいしか支出していない。日本の場合、勤労世帯の生活が安定することに、政府が貢献する割合が非常に低いということを示すデータだ。日本の経済力を考えると異様な状態を示している。  この公的社会支出の中には教育費は入っていない。小学校から大学院までの各教育ランクの教育機関の費用で国や自治体が出している公的費用の対GDP比率を見てみよう。30カ国のOECD加盟国の中では日本が最下位の3.4%である。平均は5%前後というところだ。それから見ると、平均の60%程度しか日本は出していない。  先ほどの勤労世帯向けの公的社会支出と併せて考えると、日本の場合「自己責任」に任されている生活領域が非常に大きいということになる。もっとも、こうした費用を公的に保障するとなると、社会保険料や租税でたくさんの財源負担を企業や国民が受け入れるかどうかという問題が出てくる。 ◆国民皆保険の理想と程遠い医療サービスの基盤  生活基盤を考えるうえで医療の問題は重要だが、生活保護を開始したときに何%の人が医療保険に入っていない状態なのかを見てみよう。2007年の統計で、未加入率が22.5%、その他追跡ができないのが12.1%、合わせて34.6%いる。つまり、生活保護を開始する人の3人に1人は医療保障がなされていない状態なのだ。これは日本全国の平均値だが、さらに地域別に見るとより状況は深刻だ。大都市部は軒並み4割から6割という高水準の未加入率になっている。これは勤労世帯でもグラデーションをなして、医療保険がない人が分布していることを示している。つまり、日本の社会保障の基礎部分が壊れているのだ。  以上見てきたように、勤労世帯についてはきちんとした社会保障があまりなされていない。「自分で稼いで自分でサービスを買いなさい」という原理が生活領域のすべてにわたっている。失業して雇用保険を受けられないか、あるいはそれが切れたその後、勤められないという状態が長く続くと、いかなる制度でも救えなくなってしまう。勤労能力があれば頑張れるはずだといっても、身体が弱い、知的に劣るなどのボーダーラインの人たちは働く場所がなくなってくる。勤労世帯を「自助努力」に任せて放置していると、必ず一定数の落ちこぼれが生まれる。そこに経済的危機が追い討ちをかけているというのが最近の状況だ。日本の社会保障は非常にいびつな状態にあるという真剣な反省をしないと、生活保護を増やすだけではどうにもならない。 ◆雇用の期限なしを原則とし、賃金を生活保護基準以上とせよ  以上の現状認識を踏まえて政策提言をしてみたい。  まず、企業については雇用基準をもう少しヨーロッパ並みに近づけてほしい。つまり、当人が望む限り、雇用の期限なしで雇われるのが標準であって、期限つき雇用は例外とし、様々な規制を設けるわけだ。この原則を守っていないのは、米国、日本、韓国くらいのものである。  さらに、賃金水準が生活保護基準に届いていないケースが多いというのはいかにもまずい。生活保護基準の生活ができる程度の最低賃金を保障するというのはどこの国でも普通はやっていること。日本ではなぜできないのか分からない。フルタイムで働いても食えない状態が放置されていることに対し、経営者団体にも社会的責任という観点から考えてほしい問題だ。  そして、最低賃金の上に、通常の一人前の賃金が来る。たとえばその人たちが病気になったり失業した場合、社会保険で給付がなされるわけだが、その給付水準がもらっていた賃金の7割、6割になってもなお生活保護基準を上回っていてほしい。そのためには、生活保護基準の6分の10倍くらいの賃金がないとおかしい。そういうふうにシステマチックに考えてみると、賃金が低いと何をやってもぐしゃぐしゃになってしまう。生活保護基準を最低賃金が上回る、さらにその1・数倍が通常賃金として確保される…こういう全体的な枠組みにいかに近づけていくかを考えないと、社会保障、社会保険、生活保護はうまく機能しない。  いま、その順序が逆転している。働いている人たちの賃金が低すぎる。それが生活保護、年金が手厚すぎるという攻撃に転化しやすいわけだが、およそまともなことではない。それを何とかするためには賃金を低すぎる現状を何とかしないといけない。そうすると中小企業が大変だという反論が出てくるが、最低賃金が出せない企業は市場から撤退してもらったほうがいい。社会的責任を果たせない企業が一定数いると、全体の足を引っ張ってしまう。 ◆選択の余地がない基礎的社会サービスは無料とせよ  また、日本は賃金で社会サービスを買え、費用を払えというシステムが膨れあがりすぎている。ほぼ義務教育に近づいた高校の授業料でさえ支払えといわれているが、今回ようやく民主党がこの事態を改善してくれることになった。選択の余地がない基礎的な社会サービスについては無料にしたほうがよい。それは、高校までの教育費、医療、介護、障害者福祉といったものだ。こういうものについてサービスを受けるたびに費用を払うのはよろしくない。  基本的に無料にすると、支払い能力がある人にまで給付するのは不公平という意見が出るが、それは税金で一括して払ってもらえばよいことだ。たとえば子ども手当てに所得制限を付けろと社民党は言っているが、そういうことをやると面倒くさくなるだけだ。所得制限をつけると、所得制限の上と下とで反発を受け、保障を減らせという議論が起こる。日本は社会サービスを金で買うという原理をあまりにも野放図に持ち込みすぎた。もっと普遍主義的に供給して財源は税金で取らないと、社会的に崩壊してしまう。  さらに所得保障の問題がある。これこれの家族構成の世帯にとっての最低生活費は日本社会で暮らすかぎりこれくらいなければならないという水準が算定されなければならない。それに足りない場合にどうするかは、最低賃金の引き上げとともに、様々な家族給付みたいなやり方で所得保障をする、体が弱くて週に4日しか働けない場合は、ある種の傷病手当を与えるなど、重層的にその人の状態に応じて所得保障が積みあがっていくシステムを作るわけだ。最後の手段が生活保護だが、これで全部をまかなうのは無理。もっとたくさんの給付の手段ができあがっていくのが当然だ。たいていの国はそういう重層的な所得保障のシステムをつくっている。失業した場合でも、まずは失業保険があり、さらに失業扶助が制度化されていて、それでも駄目な場合は生活保護といった三段階くらいの構造になっているのは、ヨーロッパ諸国だと普通である。そういう重層的な所得保障がどうしても必要である。 ◆グローバリゼーションに立ち向かうには、生活基盤の安定が必要  こうした社会サービスをきちんと整備すると、生活費が下がる。日本の生活費は実は高い。特に低所得の人たちの生活費が高すぎる。2人、3人と家族が増えていくと日本の場合は直線的に生活費が伸びていく。他のOECD諸国の場合は逓減していく。それは、基礎的社会サービスが無料だし、低家賃住宅や住宅扶助が広範に発達しているからだ。そうした生活基盤が整っているのが安心できる社会だ。今みたいに経済グローバリゼーションが進んで景気や業績の変動が激しいと、不安定にさらされる労働や雇用の世界のみで暮らせというのは無理。ベースになるところが社会的に安定していないと、こういう経済状況には対応できない。グローバリゼーションの時代だからこそ、生活基盤を安定させなければならない。  ヨーロッパ諸国はグローバリゼ-ションというよりも戦後の長期好景気が終わったあたりから本格的に、収入が少なく不安定な状態は助けあうという方向に乗り出していかざるを得なくなった。日本の場合は一人勝ち状態がしばらく続いたものだから転換がうまくいかなかった。逆にグローバリゼーションに対応して、規制を撤廃して小さな政府を指向するという方面だけに突っ込むことになってしまった。他の国は保障を分厚く積み上げてきた後にそれをやった。その積み上げなしにやってしまったから、今の日本は非常に脆弱な社会構造になっている。  このような問題意識を民主党がどの程度持っているかは不明だ。岡田、前原党首の時代には、民主党は構造改革路線を主張していた。それが小沢党首になってからかなり大きく変えてきた。構造改革、グローバリゼーションで国民の生活が不安定になってきたことを反映したものだ。そういう声を政治的に吸い上げたのは立派なことだ。では、本格的に福祉国家型へ転換を図るのかというと、その基盤は整っていないと思う。民主党自身は、いまだにはっきりした政策思想を持っていない。今後も政策に相当のぶれがあるだろうという心配をしている。だが、ここいらで本格的な福祉国家としてのものの考え方に取り組み、思い切った方向に踏み出してほしいものだ。

後藤 道夫(ごとう・みちお)
 1947年生まれ。都留文科大学教授。専門は社会哲学、現代社会論。ここ10数年は日本の「構造改革」とその背景を中心に研究。最近はワーキング・プア、貧困問題を重視。主著に『収縮する日本型』(旬報社)、『反「構造改革」』(青木書店)、『戦後思想ヘゲモニーの終焉と新福祉国家構想』(旬報社)、『格差社会とたたかう』(共著、青木書店)、『なぜ富と貧困は広がるのか』(旬報社)など。

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