教師の専門性を考える 備忘録
学力調査の結果も出たが、民主党は、少人数学級や教師が教育活動に専念できる環境整備を政策集に掲げている。一方で教育行政を首長部局にして、行政の統制がより貫徹する方向も出している。
あらためて教師の専門性とは何か、どんな教育行政が必要か・・・「民主的教師論をどう生かすか 09/9 前衛・藤森論文」でわかりやすく展開しているので備忘録を作成した。
【民主的教師論をどう生かすか 09/9 前衛・藤森】
~教育の専門家であることと、労働者であることと、両者の統一的追求~
政府奉仕の教師育成とは「教育の使命」を掲げてこそ戦え、その職務の遂行に労働者の権利擁護が重要
(1)論争を通じ豊かになった内容
◆法制度のうえにも反映されている教師の責務と権限
・旧教基法「学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない」「このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が期されなければならない」
・学校教育法「教諭は、児童の教育をつかさどる」(37条11項)
~ 教師の教育活動は自律的なもの。子どもの成長に関して、専門的事項について独自の権限を持つ
・教育公務員特例法/研修
「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努力しなければならない」(19条)
「研修を受ける機会が与えられなければならない。2 教員は授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる」(20条)
~ 「研究と修養」とあるように、一般公務員の行政研修(勤務効率の発揮及び増進)とは違い、教師の職責を果たすための教育研究と人間修養。自主自発的な研修も含め権利として認められている。
→ 06年教基法改悪で「全体の奉仕者」規定がなくなったが、最高裁の判決とあいまって、教師が教育の専門職であること自体が失われたのではない。
◆教育の自主性の一定の公的確認の根底には、教育の特性がある
・自主性の公的確保~ 戦前の教育が戦争に国民を駆り立てた反省から
・根底に、教育の特性~
人類が長い歴史の中で生み出した知識、技術などを若い世代に伝え、人間形成をたすける営み
子どもの発達に応じて行われてる精神的、文化的なもの。そして個別的・具体的ななもの
~ こうした特質から、教育の法則にのっとり、自律性を持って運営される。
(どこでも、だれにでも、いつでも通用する「教育」はない)
◆教師の教育活動の自主性は、何をやってもよいものではない
教育という社会的、文化的な使命を直接担う立場は、権力の不当な干渉を反対し自主性的権限を認めるとともに、恣意的教育活動ではなく、民主的で文化的な方法で定められた一定の大綱的基準に沿った教育活動を求める。
◆校長、教頭論
管理者としての側面とともに、自ら教育活動からはなれられない存在
反動的側面とたたかう一方、反動的行政への校長らの不満や要求をとりあげたたかい。教育活動の面で、教育上の高い見識たつ指導・助言者となること、そのうえでの学校を基礎にした教職員の団結を重視しなければならない。
(2)最高裁の憲法判決でも確認された、教師の自主性
1976年5月21日 最高裁学力テスト判決
~学テを合法とした不当判決、それは学テに関する事実誤認が原因。教育一般論は合理的内容
①教育は子どもの学習権の充足のためにある
~憲法26条の背景には「子どもの学習する権利がある」「子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属する」~ 国家の教育権論の否定
②教育の本質から教師の一定の自主性の承認
~「普通教育の場においても、例えば教師が公教育によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的な要請に照らし、教授の具体的な内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障される。
③国家の教育介入はできる限り抑制的でなければならない
国は「子ども自身の利益の擁護」などのために「必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」。しかしながら「政党政治の下での多数決原理によってされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきではない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」
◆世界のルールとも合致する民主的教育論
CEART 労働者の権利、教育の専門家としての責務 を統一している。
(3)民主的教師論の今日的意義
◆子どもの現実が教師の専門職性を求めている
例) 貧困、DVによるトラウマを抱えた子ども。極めて攻撃的な子が安心して泣けるまでの長い道のり
底辺高校、 プリクラ手帳、化粧道具、ケータイ、コミックをいじるのは、授業がわからないことか
らくる自動的な動作とわかり、教材をコンビにとネットゲームに切り替え、授業が一変
~ 教育の営みは、創造的営み
「客観的に存在する文化への同化であると同時に、どのような子どもでも単なる同化に終わるのでなく、つねに新しい個性が生まれ、それによって文化自体かが新しい要素を参加させて発展する」
「教師は子どもの前に真実をすでに所有しているのでなく、子どもの成長に則して真実を発見する」
(勝田守一 「教師の仕事」)
~ 教師の仕事は、子どもとの人間的接触を通じて成立する文化創造の営み
*教師の専門性とは~ 「専門術語」を覚え使い回せる「専門性」ではなく、学問的な探求と目の前の子どもに接していることからくる自身の判断によって支えられる専門性
◆教師の専門職性を破壊してきた一連の教員統制
00年 職員会議の形骸化(省令改正。「校長の職務の円滑な執行に資するため」の補助機関に)
教員評価制度(教育改革国民会議提唱、03-05年に全国に委嘱)
01年 指導力不足教員認定制度
02年 10年経験研修の義務化
06年 教育基本法改悪
07年 教員免許更新制(09年より本格実施)
主幹教諭などの職階制導入
2000年代 学習指導要領の強制強化(授業時間管理、週案提出など)
①教員評価制度 目標→実行→評価→目標→実行→ 評価 で教育がよくなる、という「主張」
・そもそも「目標」がニセモノ ・・・校長の経営方針にそった目標提出。計測できるように数値化
「挨拶できる子を80%に」など・・・
・「評価」もニセモノ ・・・
そもそも校長、副校長で数十人の教師の実践を観察できない。
中学は教科担任制~ 国語の校長が、数学が音楽を評価することができるか
「処遇に反映」~ニセモノの目標と評価が処遇に反映。子どもの実態より「目標数値」の達成が主目的に
問題児は、平均点をさげる、目標達成をジャマする存在に映る
② 教員組織の階層化
・08年より、副校長、主幹教諭、指導教諭という新たな管理層を設置/ピラミッド型の組織に
例 東京 一般教員を「主任教諭」と「教諭」に二分化。「教諭」は、月2-3万円給与減に
校長・副校長は「経営層」、一般の教員を「実践層」 → 教育計画の実行者に貶めるもの
~ 子どもの個別具体性に寄り添い、人間関係の中で発達を援助する教育の条理に反する
・OJT 校長が教員全員の計画を立て、指名するOJT責任者が具体的担当者と具体的方針を徹底
~ 教員の仕事の習得は、自由で自発的な内面に支えられてこそ可能
しかし、OJTは、上が決めた特定の個人による特定の方法の注入 → 心身を病む教師の拡大
・教師集団ら「指示する側と指示される側」という固定的一方通行の関係をもちこむ
教師の同僚性の否定/ 子どもから多くを学ぶ先生がいい先生
~ 人間的な、双方向の関係こそ教育を豊かにできる/ 教育の本質論 → 変革者の自己変革
*(参考 )フォイエルバッハ 第3テーゼ
{環境と教育に関する従来の唯物論的な議論は、環境が人間によって変えられ、教育者自身が教育されるものだという反作用を忘れている。ゆえに、従来の唯物論は社会を二つの部分に分け、一方を社会を越えたところにあるものとしてしまう。環境を変革することと、人間的活動・自己変革との合致は、変革する実践であるとだけとらえることによってはじめて合理的に理解することができる}
◆民主的教師論の立場から
一連の教員統制は、教師の専門職性を壊す点で共通
①教育が人間的な営みである以上、子どもも教師も人間としての主体性をもって接しあうことが不可欠
→ しかし、権力的統制は、人間主体性を奪い、教育を「調教」に変える
②真理、真実を教えるには学問の自由、教育の自由が必要。
→ 子どもをどう指導すればよいかは、管理職や行政の指示できめるわけにいかない
③教育の専門性は、子どもと接している教員の自主的な研究と判断によって確保、向上するもの
④教師は、教育の専門家として、直接、子どもと保護者が責任を持つ
~ そういう中で「組合は心の安定剤」となっている。
◆「多忙化」など労働条件の改善と教師像
上からの「改革」への対応に時間が問われ、子どもと接する時間がない
学校を出る時間 週の勤務時間 夏期休暇
日 本 午後7時32分 55時間49分 5.7日
フィンランド 五個2時09分 36時間46分 63.2日
~「教師の賃金、労働条件の改善は、教育条件の改善」という立場が大事
◆教師と保護者との共同を作り出すために
子どもの成長にとって、そして政府の偏向した教育政策から子どもを守るために重要~ しかし、その共同は以前にくらべて難しい面が出ている
①親と率直な関係をコーディネートする役割 ~ 学校と家庭、教師と親の連携
専門家としての知見を伝える。親が子どもを支える教育の輪に入っていける援助
~ 新自由主義の影響で、人間が孤立し、子育ても孤立されているだけに、より重要
教育が文化的営みである以上、一方的関係ではない …時に間違うことのある人間同士の共同、支えあい
親から見れば「話を誠実に聞いてくれる先生」「信頼できる先生」
*ユネスコ「さまざまなパートナーによって供される教育活動のまとめ役として機能することを通して、現代の教師は、コミュニティーにおける変革の効果的な担い手となる」(1996 第45回国際教育会議)
②父母、保護者の窮状の打開に心を寄せる
・非人間的労働、貧困のもとで、生活につかれきった保護者が増えている/母子家庭のダブルワーク、リストラにあった家庭・・・
~労働者、教育の専門家として連帯の心を /宗谷の教育 凶作凶漁に組合が教育・生活守る大運動を展開
・いわゆる「モンスターペアレント」~ 競争社会の中での社会的排除が背景に
心に傷をもった人間は、他者を激しく攻撃する/弱者を攻撃することで存在価値を確認できる
~ 教師自身が安心し仕事が出来、心身が守られてこそ、その「助け」の声に応えることができる
③教師集団の自己規律
教師への不満、不信は、国民との共同を進める上で小さくない問題
教師の権限は、子どもの成長に必要ながきりで保障されている。
自己規律を重視し、しかも人間的に温かい集団作りがもとめられる。
教師の世界のゆがみの根本~ 自民党政治の教育統制のもとで、出世のため、事なかれ主義で、有力者に媚び「目下」に横柄な教師を生んできた、その根本を正す必要がある。そして、職場では、有力者に媚びる流れとは逆に、人間的な連帯の流れをつくることを自覚的にすすめる必要がある。
~ 時代の転換点を向かえている今、「教育とはなにか」「教師とはなにか」を大いに語りあい、未来の教育をつくる力を築こう
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