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学習会 「自己責任論を考える」 

6日夜、青年グループの学習会で「自己責任論」について話す機会があった。馬鹿げた「論」なのだが、なぜはびこるのか、市場原理主義とのかかわり、その克服の立脚点という問題意識で、語らせてもらった。
 「社会については、自己責任論を否定してても、自分のことになると自己責任論で考える人が多い」「無条件の生存の肯定、そんな善人にはなれない」「憲法25条って、『すべて国民は・・・』と凄い内容」「運動の型が古いのでは・・・ひく時ある」など率直な議論がされました。
 以下は、そのときのレジュメ。

 学習会で様々なテーマを振られるのは、私が一番勉強になる。ありがたい。

「自己責任論」を考える                      
はじめに
 「もっとがんばっておけば・・・」「別の選択があったのでは・・・」 誰にでもある心の迷いに滑り込む

1.「自己責任」論 ~ 政治の責任を覆い隠す攻撃
■“こんな社会に誰がした!”
人を「勝ち組・負け組」にわける議論の流行ぶりと、その議論がはたす役割の悪さ。
恋愛や結婚について「勝ち、負け」の基準をもっぱら収入(給料)の多い少ないにおき、稼ぎの多い人間がこの社会の「勝ち組」で、稼ぎの少ない人間がこの社会の「負け組」だなどというなんともバカげた議論

その理由
①「勝ち組・負け組」をつくりだすいまの社会にたいする批判、特に大量の「負け組」をつくりだすいまの社会にたいする批判がまったくない

② その「勝ち、負け」の原因をすべて個人の努力や才能のせいにしていること
 
 社会の欠陥にふれないこの議論は、あきらかにおかしい。“一体こんな社会に誰がした!”。その健全な怒りを忘れてはいけない。

■社会が崩れてきたのは90年代から
・終身雇用、新卒一括採用~ 将来がそれなりに見通せた時代があった。崩れてきたのは90年代に入ってから
 財界の雇用政策の変化~ 「総額人件費の削減」と「労働力流動化」の政策。
    95年 「新時代の『日本的経営』」
     大規模なリストラ、中高年のホームレス、自殺者3万人、若者の非正規化

・「社会保障構造改革」、教育費の負担増、所得再分配で高まる子どもの貧困率の増加

・これのどこが「個人の責任」か?
責任をとるべきは、財界戦略を応援した自民党とその仲間たちのまちがいだらけの政治

■ 政治の責任を覆い隠す「自己責任論」
 ・社会への異議申し立てを妨げてきた「自己責任論」
  「自己責任」~ 本来、人が何かの行動をとった場合、その人は自分の責任においてそうしたというだけの話を、結果をもたらしたすべての原因に本人が責任を負うべきという話にすりかえられたのが「自己責任論」
   ~ 行動を起こす前から、本人の責任に関係ないこと選択の前提が多くあり、現実には成り立たない「論」

・「勝ち組・負け組」「負けるのはみんな本人の責任」論を意識的に流した。
~「社会のとらえ方」の分野での国民にたいする攻撃 

*「勝者」の論理として・・
「学歴や資格、地位を得るには、試験など各種の選抜システムを経るだけに、本人は『自力で得た成果だ』と錯覚しがちですが、生まれつき手にしていた親の学歴、収入の差という『既得権』を元手につかんだ実績なのであれば、それは最初から公平な競争ではなかったのではないでしょうか。」「自分は公平なレースを勝ち抜いてきたという誤解と奢りは、弱者の存在を見えなくします。そして、『貧しいのは自己責任』と勝者の論理を振りかざすようになります。」(週刊ダイヤモンド「格差世襲」)

2.若者の「生きづらさ」と「自己責任論」をひろげる土壌
 ひろがるには、それなりの客観的な「理由」があったから・・・
■「がんばったら幸せになれる」という幻想の崩壊 ~ 親子の対立
・いじめ・不登校など厳しい受験競争がもたらした生きづらさ
     ところが親の世代は「競争が正しい」との価値観、受験競争をめぐる幻想 「いい学校、いい人生」
           経済が労働のあり方が変わっても受験体制は変わらず、激しさを増している
・「不登校その後」と『氷河期』
不登校~ひきこもり、フリーター~ 企業福祉からの排除/不登校が「地獄の入り口」となる、その恐怖
   → 「不登校もできない」という精神的な地獄
「アフリカの貧しい子は、行きたくても学校にいけない。なぜ学校にいけない」という圧迫
   「お前の言ってることは贅沢だ」と、子ども自身が苦しさを言語化することを封印する圧力
   「こんな贅沢な悩みを持っている自分はいけない人間だ」と自分を責める回路に入る
       ~ それによって、日本の社会構造に根ざす「生きづらさ」を見えなくさせる作用がある
 背景に、生産拠点の海外移転、サービス業の増加、そして「勤務形態の多様・複線化」/雇用の不安定化

・ニートやフリーターと親子対立
  「定職につかず遊んでいる無責任なやつ」という世間、親の目~社会的に人間として否定される
    親「がんばって支えてきた」「だらしないからダメ」/子、親の責めを否定できず、自己否定へ
       ~ 精神的な病む、反発とか、親子関係の深刻化
     → 資本と労働者の対立が、家族間の対立にすりかえられる。/社会構造的背景がわからないから…
・その中で「平和で豊かな日本で何をしている。自分が悪い」という 「自分からの排除」へ

■ 免責共同体~ 「他人事」にする仕掛け
・04年 小泉内閣 イラクの拉致事件の時に「つかまったのは自己責任」という言葉から転換した。
  罪の意識~ 自衛隊を戦場に送ってしまった。それに抗議もできず容認したという罪障感
     「拉致の責任の一端は自分にもある」と突き刺さっていたものが「自己責任」論で解放された
~ それで一気に広がった。「普通の人ではない」「得たいが知れない」とスケープゴートにされ、
  社会の仮想敵に対する言説によって「普通の人」がどこからつくられ、免責共同体としての
  攻撃的な「世論」がつくられた。

・ホームレス、ネットカフェ問題でも…  同様の「免責共同体」
   当事者の「自己責任」にしてしまえば、自分は「心を痛める必要はない」、
何もしない自分を「正当化できる」~ 「便利」な言葉  
  → それは不満の「解消」のため「弱者を攻撃できる立場」に自分を立たせる「根拠」を与えてくれる「便利」な言葉でもある

* 不満、不安定感を「攻撃」によって「解消」する。
 原因がわからない、得たいの知れない不満、不安のうっ積 ⇒仮想的をつくり「団結」させる(小泉手法)
・70年代受験競争 →80S 校内暴力 → 管理主義(力での対策)~ いじめ
   フラストレーションの溜まった集団の中で、攻撃を相手を一人、選ぶことで安定、管理しやすくなる

・郵便局員を仮想的にした「郵政選挙」~ 小泉の仕掛けに乗った
自分よりいい生活の人を引きずりおろしたい ~ その結果、自分が悪化した

・その結果、⇒ そのストレスを主犯格(政府)に向かって跳ね返すのではなく、より弱い立場の者の攻撃する方向で噴出させ、相互の不信感を増幅させる。
   ~  正規と非正規、若者と高齢者、主婦と働く女性

3.新自由主義政策を正当化する自己責任イデオロギー ~社会と個人の関係の倒錯
■ 新自由主義とは「市場がすべてを決める」「市場が正しい」という考え方
   そこから、個人も「私的所有者」として以外は、人間を見ない枠組み 
     不器用も貧乏も責任能力も「私的に所有」していると見る ~ 社会関係から切り離す。
      ~「全部自分で処理しないとダメだ」「がんばらないとダメ」は、市場における人間関係のモデル化

・人間存在そのものが「交換材料」にされている~ 人格が無視されモノとして扱われる
    (一般の「商品」と同じ。その機能、価格だけが問題、作られた過程などは関係ない)

■「競争に勝てば自由が広がる」論~ 自由は競争の勝利が前提~ 勝ち抜けない自分の責任となる
    市場の原理 価値の実現には「命がけの飛躍」~買われなくてはならない/いい「商品」であること
 競争が強まることで「自己責任」論が強まる関係(社会のしくみが見えないと・・・)。
       ~ 椅子取りゲーム ~いくら頑張っても、必ず座れない人がいる

・勝ち組・消費できない人は、生きていなくてよいというメッセージが貧困層に突き刺さる
    堀江貴文 彼への批判、違和感は、ひがみ、「負け組」の象徴のように扱われた
  ~メディアが作り出した競争こそすべて、金を稼ぐことが幸せ、『勝ち組、負け組』の二項対立
   という現実の中で、対抗する言葉(社会構造が悪い、政治が悪いなど)を持ち得ない故にはまりこんだ。その結果として『自己責任』論

■コストがかからない人間を強制するイデオロギー
能力がない ~ 社会にコストをかけてしまう存在、という扱い
    アメリカ 病気にかかるリスクの高い労働者 ~ 会社に損害を与えるので解雇されやすい
    “貧困な人は、社会にコストをかける存在、そういう状態でいる個人の問題”として、社会と個人の関係が、倒錯し変化してしまう。
    → 本来なら、他人の支援、社会へ要求する能力が必要だし、かつ責任の果たし方なのに逆転する

・「わたしがいるだけで社会に迷惑をかけてます」という感覚が人々に浸透
  だから、貧困のカバー、勉強ができないことのカバーの社会の働きかけが、本人からすると「ますます自分はコストをかける存在だということを常に自覚させる行為」となり、「もう、ほっといてくれ」との反応に。
せめて「何も要らない」と言わないと、自己の存在を保てない。 → 「自分からの排除」に追い込む

*日本人の集団主義・世間主義との関係~ 周囲、世間の風潮にあわせる傾向
   『世間に顔向けできない』と世間主義が、競争により人間関係が切断された個にのしかかってくる。
       ⇒ 「自分を責めていく」ことの根っこに世間主義がある。/自己責任論の屈折した表現
    * 日本人の規範意識 ~ 他人の目 / 大勢順応主義 

4 「自己責任論」の克服にむけて
■運動論として
① 「ほかに方法がない」という経緯が見えることを「貧困が見える」
   → 経過が見えないと「結果」からのみ判断する ~ その現実は
  「40歳にもなって、ネットカフェでその日暮らし」「働きさがりが路上でゴロゴロしている」
→「何やってんだよ」との舌打ちとともに「自己責任論が発動」する

②「ほかに方法がなかった」実態を知らせる ~ 運動に何が必要か
 ・そのヒント) 奥谷礼子発言「会社を休めたはず。過労死も自己責任」(07.1)に対する世間の反応
   ~ 典型的な自己責任論。大きな批判。「自己責任論」が蔓延しているのに何故か
→ 「実態がわかっていない」と批判した。「休むに休めない」実態ある
~「ほかに方法がなかった」ことをみんなが知っていたから
・政策的課題とするためにも「ほかに方法がなかった」実態を広く伝えていくことが必要
     ~ NHK「ワーキングプア」など一連の報道 

③「救済に値する人」「値しない人」というデッドロック
・NHKスペシャルが典型 ~ 最大限がんばってるのに貧困から抜け出せない姿を放映し共感を集める
  → これは、その裏に「救済に値しない人は仕方がない」という論理が潜んでいる
   ~ 「値する人」だけ救済するというのは、もはや「人権」ではない! 「恩恵」である!
~ 生活保護が、権利として根付かない日本社会の現状を反映している。

・運動は、このデッドロックをどう乗り越えるか
実態を、赤裸々にぶつけていくことに尽きる ~ 貧困状態にあえぐ人は24時間、かんばれない。
 「がんばった人だけ救済」という「自立支援イデオロギー」を批判し乗り越えないがきり、
貧困当事者は声を上げられず、実態は明らかにされず、新自由主義イデオロギーに回収されてしまう。

 → 論文で「自立支援イデオロギー」を批判するのは簡単だが、当事者自身の分断も含めた実践的な障壁はそれだけでは取り除けない。(運動する側の「内面化された自己責任論」の克服!~ 「生きさせろ」「無条件の生の肯定」の持つ深い意味 )~ それが運動の課題、宿題

* 新自由主義の雇用政策
・知識・情報社会化が「労働と技術の陳腐化」を進行
   (学歴社会から学習資本社会へ 学力と階層 苅谷剛彦(朝日新聞出版))
 「学歴社会」が通用しなくなった。能力のある人、がんばれる人をどう資本が活用するか
 同時に、「労働市場から排除される」人々の不満をどう抑えるか

・安部政権「再チャレンジ」  雇用獲得能力を高める新自由主義的職業訓練政策
「国民一人一人がその能力や持ち味を十分発揮し、努力が報われる公正な社会を実現していくため、『勝ち組、負け組』を固定させない、人生の各段階で多様な選択肢が用意されている仕組みを構築すべく、以下をはじめとする、『再チャレンジ可能な仕組みの構築』に盛り込まれた施策を推進する。あわせて、『人財立国』に向けた取組を進める。」(骨太2006)
「『再チャレンジ』というのは,セーフティネットではない」「『再チャレンジ』の狙いは,弱者を保護するということではなく,人材を眠らせない,人材を活用していく,ということです」(『安倍晋三の経済政策』
 ・「雇用獲得能力」を高め、自立した生活を、という思想~「生活の自己責任論」と共通

④自分自身を肯定できないと怒れない
  ・自分が肯定できて、自分への仕打ちが不当だと思える
  ・「肯定できるきっかけとは・・・」 
     運動とはなにか・・・国家や企業は「いきづらさ」の背景を説明しない。運動は、個人の置かれた状態の背景に何があるのかを見えるようにしてくれる言葉のやりとりの場
      ~ 苦しさの原因を知る。原因がわからないことが一番苦しい。
      → 自分の立場を理論的に、相手に反論できる言葉の確かさでしっかり学んでつかんむこと。

■憲法論  無条件に生存を肯定する運動
① そもそも「コストをかけないは、フィクション」
  ~人間は、生まれてから、存在し、そこで普通に生きているとコストをかけるというのは、人が社会的存在であり、相互に依存しあう存在である以上、当たり前の話
      ~ ここから出発しないと生存権の問題は見えてこない

② 憲法は25条をはじめ「無条件の生存」しかも「健康で文化的な生活」を保障している。
・「条件つきの生存」の蔓延する状況への、根本的な問題提起
  条件をつける・つけられる関係は権力的関係。どちらかが支配する関係/新自由主義で蔓延
      ~ 無条件の生存の肯定… 権力的な人間関係をなくす思想に結びつく。

・贈与の原理を ~ 文化・思想的側面
資本主義の交換の原理の中で、取り落とされたものは、自分が必要とする以上に持っていたら「あげる」という贈与の関係 ~今の社会。「条件つき」の生存が肯定される。条件とは「交換の道具」をもっているか
    → それに対し「目の前に死にそうな人がいたら助ける」という人間の基本の行動原理

・人権の歴史  権利と義務について
  一定以上の納税者だけに選挙権があった時代から、国民主権に発展
  責任能力がないとして権利を否定されていた障害者、子どもの権利の発見 など・・・
      無条件に「権利の主体者」として捉える方向で前進してきた。
      ~ この立場を、生存権においても徹底するということ。

・憲法のナショナル・ミニマム保障の原則         
*1.無条件の保障  2.万人妥当性、普遍性
*労働、教育、所得、社会サービス、住宅・環境など多方面の分野
*保障の方法
1 現金給付による所得保障  ~ 資本主義では、貨幣所得の最低限保障が必要
   児童手当、生活扶助、各種年金、失業手当、最低賃金
2.現物給付による社会サービス保障
保育、教育、介護、看護、医療、保健等のサービスが公的に保障される体制
     → 単に、現物給付する人、施設が存在しているだけでない。
 現物給付の体制(原則)とは、公的責任のもとで供給・給付する仕組み、方法のことを指す
3.生存、教育、労働権を保障するための公的規制、ルール・基準の設定
     耐震偽装、産地偽装、偽装請負などの事例を見れば明らか。

おわり
「あなたのせいじゃない」と言える~ 学習、体験を通じ、内面化された「自己責任」論の克服を
  展望の共有 ~ ①原因を知り、解決の方法を学ぶ。② 共に運動する仲間の存在 

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Comments

だからこそこんな時代、憲法25条が大きく光って見えますね。
コイズミが郵便局員を仮想敵にして選挙を大勝したというのはそのとおりですね。同じ手がまたつかわれるかもしれません。「正社員が恵まれすぎている」という正社員・非正社員対立論、ロスジェネを強調しすぎることによる世代対立論、公務員が税金を無駄づかいしてよい生活をしているから庶民が苦しいという公務員バッシング。仮想的候補はまだまだいます。
そんなしかけにのらないようにすることが必要ですね。あの官僚バッシングの渡辺某(格差礼賛政治家の息子)がそれなりに人気を得ているのをみると、また、あのしかけにのせられるのではないかというあやうさも感じます。
なお、努力、能力とひとくくりにする議論もありますが、両者はぜんぜん違う。能力の有無は金持ちの家に生まれるか否かと同様、個人の意思のあずからないところで決まるものです。そこをみおとすと、能力が低いから仕方ない、能力の結果の格差なら甘受するしかないという結論につながっていくように思うのです。

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