カタカナと「気合いだ!」
知事の提案説明を聞いて・・・ 情緒的感想。印象は、カタカナと「気合いだ」。
NHK子どもニュースを担当していた池上彰氏が著書「伝える力」の中で、カタカナ使用について、専門分野の専門用語も同様として、「具体性を欠き、便利な反面、ごまかしの利く言葉」だと言っている。
確かに、ごまかしのパターンとして、専門用語(カタカナ語)を多用する他、相手の発言を遮るように「大声」で発言をかぶせたりするパターンがあることをしばしば耳にする。
対話と実行を言いながら、どうして、意味の不明確なカタカナを多用するのか。高齢者や高校生も含め、普通の県民の言葉で話たらどうか、と思う。
例をあげると「マーケットイン、eコマース、テストマーケティング、セールス機能、販売促進ツール、ポータルサイト、コーディネートする仕組、ロットの確保、ターゲット、本県観光のビッグバン、ライブ感あふれるテーマ館、コンシェルジュ機能、移住コンシェルジュ制度、クラインガルテン、コンテンツビジネス、ワーキンググループ、学力向上スーパーバイザー、フォーマルなサービス、インフォーマルなサービス・・・」
もう一つは、教育のところで「子どもが可哀想」と「復習をしない中学生」の率が県、特に高知で高いことを声を張り上げた。
力一杯やってるというメッセージなんだろう。それはわかる。
でも一生懸命やっていることと、理にあった政策だということは違う。
年末の予算要望の席で、子どもの無保険について、知事は「資格証でも、医者にかかれないわけではない」という、まったく浮世離れした話をしていたが、おそらく貧困の実態も教育の現場も知らないのだろう。
知らなければ、謙虚に学んだらいいのに、何かにつけて「国はこんなに重視して施策をしている。それなのに県は・・・」という机上のプランを熱く推進するので、歩調があわない。
提案説明の最後を「なせばなる。なさねばならぬ・・・」と締めくくった。
帝国陸軍の精神主義、アニマル浜口の「気合いだ!」が脳裏をかすめた。
ここまで、地方を疲弊させ、弱者を追いつめたのは、財務省が主導した「構造改革」路線ではないか。
知事自身は、思いは違っていたのかも知れないが、財務官僚として活躍していたわけで、その謝罪、反省から入らず、「わかってない」「努力してない」という目線で接近していたら、県民は、そう遠くない時期に、愛想をつかすだろう。
「ムダに熱い」と知事の若い頃を知る人が評しているようだが、上から、「なせばなる」と大声をあげて、管理点検で追い立てるのでなく、もっと現場に降りて、現場を応援する施策を一県民の目線で、考えたらどうですか。と言いたくなる。
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