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“強欲”から“ルール”ある資本主義へ

 サンプロの司会などをしている田原氏が、志位さんのいう「ルールある資本主義」に賛同するし、「今こそ、労働とは何か、企業とは何か、働くとは何かということについて納得できる論理を打ち出す必要がある」とコラムに書いてある。
田原総一朗の政財界「ここだけの話」暴走した自由主義の反動? 今、「資本論」が読まれる理由 12/18

 少し注釈すれば・・・
 「『いきなり共産主義・社会主義でなくルールある経済社会を』に共産党が変わった」という田原氏の主張は誤解。 61年の綱領確定以来、さらに言えば戦前も国民主権と侵略戦争反対、男女同権など民主主義的要求をかかげていて、「いきなり」の路線ではなかった。

 また、「ソ連が崩壊をもって共産主義の終焉」というのは事実と違う。ソ連崩壊は、対外的には覇権主義、国内では人民抑圧の社会という社会主義・共産主義とは無縁な社会に変質した結果であり、だから、共産党は「歴史の巨悪の崩壊、諸手をあげて歓迎する」と声明をだした。
 最近「強欲資本主義」という言葉がはやっているが、資本の魂は、利潤の追求、資本の増殖であり、それは社会的規制がないと「強欲さ」をむき出しにする。そうした「強欲さ」を抑制する運動、そして「利潤の追求」を原動力としない経済社会をきずくことが、社会主義・共産主義と理解している。
 私たちの運動、最近では南米の左翼政権のいくつかが「社会主義」を口にしているように、現に存在している。 
 
 しかし、いずれにしろ、こうした議論が出てくるところに、時代の大変動がはじまりを感じる。 
 

田原総一朗の政財界「ここだけの話」
暴走した自由主義の反動? 今、「資本論」が読まれる理由
2008年12月18日
 今、ドイツをはじめヨーロッパでマルクスが再評価され、「資本論」がベストセラーとなっている。
 日本でも小林多喜二の「蟹工船」がベストセラーになっている。「資本論」を読んでいる人も増えていて、よく売れている。
 共産党の志位和夫委員長に聞くところによると、共産党への入党者がここへきて増えていて、この1年間で約1万4000人増えているそうだ。共産党がクローズアップされている。
 これは一体なんだろう。

今、「資本論」が読まれている理由とは?
 一つには究極の資本主義と言われたアメリカの経済が破綻して、資本主義に問題があるのではないかという疑問を多くの人、特に若い世代が持ち始めた。
 それでもう一度、マルクスの「資本論」に関心が集まっているのではないだろうか。
 第2次世界大戦が終わって平和な時代になるはずだったのが、アメリカを中心とする西側の資本主義と、ソ連を中心とする東側の共産主義の対立が起き、長い冷戦時代となった。
 私の自己批判をこめていうと、日本は冷戦の中でアメリカの子分になる道を選んだ。ソ連の子分、中国の子分にならなくてよかったし、アメリカの子分となることで、日本にはメリットもたくさんあった。
 ただ、自由主義経済をアメリカにお任せで、資本主義とは何か、自由主義経済とは何かということを真剣に考えないまま来てしまった。そのために、アメリカが破綻した今、少々狼狽(ろうばい)している。これは僕だけではなく、日本中が狼狽している。
 例えば、この大不況である。今、大不況は既に始まってはいるが、これからもっと本格的な不況がやってくると考えている人は多い。
 ソニー、トヨタなどの様々な大企業が大量の首切りを始めた。特に派遣労働者の首切りをやっている。厚生労働省は約3万人と言ったけれど、おそらく10万人以上の失業者が出ると思う。
 このことを日本人の多くは当然のように考えているふしがあるが、本当にこれでいいのだろうか。

派遣労働者は「モノ」なのか?
 企業の経営者は、ここで大量のリストラをしないと企業が危なくなり、維持できなくなる、だからリストラをするんだと言う。だが、リストラをされた側の人間からすると、生きるか死ぬかの問題だ。
 本当に企業を守るためという理屈で、首切りをしていいのか。首切りされる労働者のほとんどが派遣労働者だ。派遣労働者とは一体なんなのか、ということを少なからぬ人間が考えざるを得なくなってきた。
 企業を維持するために首を切るということは、首を切られる側を人間ではなく、モノとして扱っていることになる。
 企業には、「人、モノ、金」の3つの要素がある。モノとは商品であり、設備である。今、人間を設備、いわばモノの一種として扱っているのではないだろうか。そのことに対する割り切れなさがどうしても出てくる。
 アメリカで、ビッグスリーの救済法案が上院で否決された。否決された最大の原因は、ビッグスリーの労働組合の幹部が、リストラなしでビッグスリーを援助しろと言ったことにある。これにアメリカの国民が怒った。
 さらにビッグスリーの経営者たちが、公的支援を求める公聴会に自家用ジェットで乗りつけたことにも批判が集まった。
 リストラを許さないというビッグスリーの労働組合。日本は労働組合に入っていない派遣労働者の首を大量に切っている。
 企業とはなんなのか、働くとはなんなのかということを、真剣に考えざるを得なくなった。それで、もう一度資本主義を考え直してみようということで、「資本論」が読まれているのだと思う。

“ハケン”自由化の経緯
 日本の共産党が大きく変わってきている。いきなり共産主義とは言わず、ヨーロッパの社会民主主義を目指すべきだと、志位さんは強調している。
 社会民主主義とは何かというと、例えば派遣労働者の首を切らない、あるいはそもそも派遣労働者という存在はおかしいとすることだ。
 派遣労働者が認められるようになったのには3段階あって、1999年までは通訳や専門的業務に限られていた。それが1999年に原則自由化され、さらに2004年、小泉元首相のときに製造業にも派遣が認められるようになった。
 製造業にも派遣労働者を認めるようになったのは、緊急事態としては私は認める。
 当時日本はバブルがはじけたあとの不況で、「3つの過剰」と言われていた。設備、雇用、債務の過剰である。この3つの過剰をなくさなければ、企業は再生できないという意見が強く、政府の中でも意見が2つに割れた。
 1つは、リストラをしないで、積極財政に踏み切れという考えだ。これはリチャード・クーさん(野村総合研究所 チーフエコノミスト)や、堺屋太一さんなどの主張だ。具体的にいえば、100兆円の赤字国債を発行して景気をよくしろと言った。
 これに対して、竹中平蔵さんをはじめ小泉さんは、そんなことをすればモラルハザード(倫理の欠如)が起きるとして、リストラをして「3つの過剰」をなくすことを押し進めた。こうして製造業にまで派遣労働者が認められた。
 このときは緊急事態だったからやむを得なかったと思うが、経営者が、正社員と派遣労働者がいるのが当たり前と思うのは、私は理念が間違っていると思う。基本的には同一労働同一賃金であるべきだ。同じ仕事をしているなら、同一賃金、あるいは同一待遇になるべきだ。
 大不況のときの緊急対策としては、派遣労働者が必要だ。しかし、派遣労働者が常態化するのは問題であると思う。
 共産党の志位さんいわく、社会民主主義はやはり同一労働同一賃金にすべきだ。極端に言えば、正社員の給料を減らしてでも同一賃金にすべきである。
 ヨーロッパ、特にオランダでは「ワークシェアリング」という言葉が普通になっている。人間が過剰になったときに、人間を切るのではなくて、例えば1週間のうち、Aさんが3日働いて、Bさんが3日働くという働き方だ。こういう平等へのシフトがヨーロッパでは行われている。

ルールある資本主義への移行を 
一方、日本とアメリカでは、“平等”に対して“自由”ということが強調される。
 平等を主張していたソ連や東欧などの共産主義が崩壊したあと、資本主義が独走して、自由が最大の価値観となった。その自由の行き過ぎがアメリカの経済の大破綻であることをみな認識している。
 共産党の志位さんですら、共産主義の復活とは言わず、社会民主主義を導入してはどうかと言っている。
 例えば、やむを得ずリストラを行うときには、派遣労働者だけではなく、派遣労働者と正社員の両方を行うべきである。またそれに対する失業保険やセイフティゾーンをもっと厚くすべきである。もっと極端に言うと、給料は下げても首は切るな、その代わり政府が企業に資金を注入する。
 改めて、企業とは何か、労働とは何かということを考える必要がある。
 日本はアメリカの子分で、アメリカ流の経営が世界のスタンダードだと考えてきた。アメリカ流の経営は、ソ連や東欧、中国などの共産主義が健全なときは、共産主義に勝つためにある意味健全だった。
 ところが共産主義が崩壊してからは、アメリカ流の資本主義の独走状態になった。今から思うと、独走状態になったこの頃から「グローバリゼーション」という言葉が高らかにうたわれるようになった。
 日本的経営は時代遅れである、日本は株主を冷遇しすぎている、もっと株主の配当を高くして発言権を高めろ、終身雇用や年功序列は古い、リストラももっとやれ。
 これをグローバリゼーションと言ったのだが、これは実はアメリカ流儀の押し付けであった。特に共産主義が崩壊してからはアメリカ流儀の押し付けが強まってきた。
 共産主義が崩壊するまでは、アメリカの経営者たちも企業の社会的責任ということをさかんに言っていた。企業は社会を健全に発展させるために存在するのだと、どの経営者も言っていた。
 ところが、共産主義が崩壊してからは、企業は儲けるためにあるのだと露骨になった。その金儲け中心主義がサブプライムローンの破綻を導きだした。
 私はここで共産主義が復活するなどとはまったく思わない。資本主義の中で、より健全な資本主義とは何だろうか。
 志位さんは、今の日本の資本主義を「ルールなき資本主義」と言った。私も「ルールある資本主義」が必要だと思う。
 ちなみに、オバマ次期大統領の言う「チェンジ」も「ルールある資本主義」だと思う。

「労働とは何か」「企業とは何か」を考えるとき 
働く人間とは何か、働く人間のやる気をより引き出すにはどうすればいいのか。
 私は以前、当時・松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助さんにインタビューをしたことがある。彼にリーダーとは何かとたずねたところ、「会社の全従業員にやる気を起こさせること。モチベーションを高めることだ」と言った。
 派遣労働者やパートタイマーではモチベーションは高まらない。全従業員にモチベーションを高めさせるためには、できる限り派遣労働者やパートタイマーを少なくしたほうがいい。
 今までは安全保障というと外敵に対する安全保障だったが、これからは社会に対する安全保障が意味を持つ。例えば失業者の問題や再教育が非常に重要になってきた。
 さもないと、今、危機状況に突っ込む可能性がある。失業者が10万人も出れば、労働争議が起きる可能性がある。さらに、そこにすぐれたリーダーやアジテーターが出れば、大規模なデモ、大争議や、暴動までもが起きるかもしれない。
 だから今こそ、「ルールある資本主義」にすべきであろう。
 今までは、あまり「労働とは何か」「企業とは何か」は考えなくて良かった。これまでアメリカのまねをしていればよかったからだ。
 今こそ、労働とは何か、企業とは何か、働くとは何かということについて納得できる論理を打ち出す必要がある。
 本来ならこういうことは、政府が役割を果たさなければならないのだが、残念ながら政府は今そういう能力に欠いている。そのことに私は非常に危機感を抱いている。

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