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教育改革やめよ 教師の連携を 財界系研究所員

県議団が6月県議会の教育関連予算を削除する修正提案をする。
理由は ①教育の計画を県民と議論し創るといいながら、トップダウンで方針を打ち出した②4年間で、全国学力調査の点数を全国平均にするという、教育全体を学テ対策に引き込むもの。③具体的内容が、教員の多忙化を解消し、授業づくりの力を高めるものは皆無で、共通単元テスト、元校長らの指導チームなど政策の新たな負担と管理を押し付けるもの。ということが基本となっている。
 それに対して、与党会派が力を入れて現予算に「賛成」討論するそうだ。しかし、財界系の研究機関からも、「教育改革をすべてやめよ」「教師の指導の質を改善するため、教員同士の連携を」との声がでている。教育の営みとはなにか。本質的な議論と体躯が必要だ。

 「教育改革」をすべてやめよ/亀田徹(PHP総合研究所主任研究員)「教育の中身の改善とは、それぞれの学校で日々行なわれる指導の質を改善することにほかならない。子供の状況に応じた的確な指導を行なうため、まずは個々の子供の現状を把握すべきだ。それはクラス担任の教員1人でできるものではない。教員同士が連携し、さまざまな場面で垣間見える子供の様子を集約することが重要である。」
 こうした状況をつくるには「時間と手間がかかる」、だから、人的資源は限られているので、「教育改革のための仕事はすべてやめてしま」ってどうか、と言っている。
 それならもう一歩、そのためにも教員の多忙化の解消が必要だ。と言うべきだろう。

 これは教師の自立性と同僚性を高め、授業をつくる力を育んできた浜之郷小学校の例があてはまる。
 04年2月県議会で、吉良さんが「茅ヶ崎小学校(神奈川県)の実践」と質問している。

さて第二期の土佐の教育改革においてですね、もっとも求められる校長を含めての教職員の能力というのは、やはり私は授業を作る力ではないかと、いうことをさきほどのべました。そこでですね、今回は、1998年平成10年ですけれども、今からですから6年前になりますか。6年になるんですけれど、4月に開校した神奈川県の茅ヶ崎市立浜之郷小学校の学校づくりを、ぜひご紹介をしてみたいと思っております。
 末期がんと宣告された後もずっと教壇に立ちとおしですね、命の授業を行ってきた校長の大瀬敏明さんがこの一月にお亡くなりになりました。マスコミなどでも大きく取り上げられ、NHKのテレビ番組でも都合3回ほど再放送されたと思うんです。それだけ大きな反響がね、あったものなんですけれども、ご存じだと思います。開校直後ですね、この学校は10名近くいた不登校児が、そして20をこえる各教室には何人ものね、何人も机につけない子ども情緒不安定な子どもが存在していたそうですけれども、その開校5ヶ月後の2学期の始業式には、不登校児は一人残らず通学するようになり、授業に集中できない子どもの数も全校で数人まで激減したといわれています。で、開校2年目からはどの教室でも一人残らず真摯に学びに参加する状況が生まれて、以後、どの教室でも学びに参加できない子どもはいない、と書かれています。で、これがその東大の佐藤学さんとその大瀬さんが、お書きになった本なんですけど。学校づくりとは何かという問いにですね、徹底した授業づくりを中心とした学校づくりを行おうというのですから私たちの思いと同じなんですね、そのためには、教職員と子どもたちがともに学びあう学びの場を作ることであると子どもと教師と親が育ちあう「学びの共同体」づくりに取り組んできたと、書いています。ですから校内研修を学校経営の中核として、それを成り立たすために徹底した個の自律と当事者意識を重視しているんです。で、研究テーマなども持たずに研究方法も個々の設定にして、一人一人の想像力や判断力を育てることに重点が置かれていると。そして、それら強い個としての教師が同僚性を発揮して、授業を公開し批評しあい創造していく。で、いまお亡くなりになった校長先生は、大瀬さんはこういうふうに述べているんです。
 本校では全体の研究テーマはない、教師は一人一人の個性に根ざした教育観のもと、それぞれの教科、領域、方法で授業公開を通した実践的研究を行っている。また一人一人の教師が、学識経験者や指導主事、他校の教師を私の指導者として依頼し、校外との交流を図る試みも、個人のテーマや必要性にそって行われている。つまり従来の形やシステム先にありきに、個々の教員を当てはめるのではなく、教師が自分で考え主体的に行動を選択していくことが大事であるという考えである。なによりも一人一人の教師が、どうなるかが、最大の課題なのであり、そのためには孤立化してはいけないが、孤独には耐えなくてはならないのである。また、全体のテーマがないのであるから、全体としての成果は求めない、そういう研究でありたい、それに研究の内容・方法についても客観性再現性を求めないということを徹底させようとしている。一人一人の教師が顔を持ち、個性的な研究から発する教室づくりをすすめるとともに、その多様性をそれぞれが尊重するという精神をもっと大事にしたいのである。形や型やシステム先にありき、では教師の想像力や判断力を必要としない、リーダーたるもの、判断力を育てるためには失敗しても怒らない根気が必要であり、チャレンジする自由を奪っていては思考力や想像力も生まれない。それが自律をうながすための自由であり、その対極には責任がある、責任ある判断を尊重することで自律した教師が育つのである。従って本校では指導内容、授業時間の使い方など最大限教師の一人一人の裁量に任せている。校長は、子どもと保護者に説明がつくことであったら何をしてもよい、ということ。常々話しているところである。
 いつ授業参観に行っても自由なんですね。で、毎年三千四千人の教師がここへ学習しに行くと、いうようなことになっているわけです。今、子どもたちが、そして保護者が求めている校長、教員の能力、力量とは何かを改めて認識しなおすためにも、ここで個の確立を図るために、同僚性と自律性という教職員の能力を重視して育てながら、学びあう学びを求めるこの実践は、第2期の土佐の教育改革にとって、ずいぶんと参考にすべき点があると思いますが、教育長。所見をちょっとお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。

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