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県議会 教育の困難拡大する予算の削減求める

 昨日、県議会が閉会。日本共産党と緑心会は、学力調査の結果を4年間で「全国平均」にするとした「教育改革」関連予算を削減する修正案を提案した。めざすべき学力とは何か、教師の多忙化と子どもの貧困の拡大の解決など本質論を抜きにして、学テの結果だけを追う「改革」が困難の拡大をもたらすことがはっきりしているからである。(下記に提案理由全文)
 以前に紹介したが、沖縄タイムスの「学力って何?」シリーズが「取材を終えて」とまとめの記事を配信している。
その中で「日本の文部科学省はフィンランドの教育をすべて研究し尽くした上で、わざと逆の政策を取っているのではないだろうか。平等な社会が実現しないように―。現地で取材を重ねる中、そんな思いが頭をよぎった。」と書いている。的を射ていると思う。


トップエリートの育成、一方で「格差と貧困」対策として「愛国心」「道徳」教育をつよめ、社会統合をめざす。これは財界の労働政策と軌を一にするものだ。
 日経連は、1995年に「新時代の日本的経営」を発表した。労働者を3つのグループ、「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分け、第2、第3グループは、昇給なしの有期雇用契約、特に第3は派遣労働など時給制度で、いわば使い捨てにする、というものだ。
  こうした目先の利益を追う労働政策について「労働経済白書」などが意欲や生産性の低下、経済の持続的を弱める結果になったと破綻を認めている。
 
「取材を終えて」は、「イギリスの取材では、競争主義の限界を感じた。一握りの勝者と大多数の敗者が生まれる制度。スタートラインは横一線ではなく、勝敗は出身階層によって最初から決まっている。社会に不満を持つ人間の増加は、治安の悪化も意味する。 」「日本はイギリスの後追いをしている。」と指摘している。
 破綻した労働政策とリンクした教育政策もまた転換が必要だ。

 フィンランド国家教育委員会のレイヨ・ラウッカネン参事官は「私たちのような小国は、全員の力を必要としている。人材が生命線であり、一人の人間も無駄にできない」と語っているが、資源がなく「人材」がすべての日本も同様のことが言えるのではないか。

  【中根議員の教育関連補正予算修正案についての提案説明  2007.7.22】

 日本共産党と緑心会を代表して、ただいま議題となっています、議発第3号「平成20年度高知県一般会計補正予算に対する修正案」について提案理由を説明させていただきます。
 これは、議案第1号平成20年度高知県一般会計予算の「学力向上・いじめ問題等対策計画」にかかわる予算のうち、図書館活動費をのぞく1億5591万7千円を減額修正するものです。
 提案理由の第一は、「学力向上・いじめ問題等対策計画」が学校や地域に及ぼす影響が大きいにもかかわらず、又、年度途中にもかかわらず、現場や県民の合意を抜きに、トップダウンのやり方で進められようとしていることです。知事は、土佐の教育改革について自ら点検・検討すると言ってきましたが、その内容も、県民には説明がされていません。どんなよいものであっても、合意抜きに事をスタートさせれば様々なひずみが生じてきます。今回のプランは、パブリックコメントを求めたといわれていますが、現場の教職員ですら議論した様子はありません。県民にとっても意見の反映の場は保障されないままでした。知事部局先行型で、教育委員会の決定も知事の記者発表後となる異例の事態でした。教育現場に必要なのは、スピード感のある強引さよりも、県民の知恵と力を集め、教育を巡る困難を打開する姿勢を築くことです。関係者の知恵と力を寄せ合うプロセスを一番大切にしなければならないのです。高知の子どもをどう育てるのか、教育条件をどう整備するのか、県民レベルでの議論をぬきに、地域に根ざした質の高い教育をつくることはできません。今回急ごうとする背景には、4年間で学力水準を全国平均までひきあげる最大目標設定があります。が、これすらも合意形成された物ではなくトップダウンです。県民の知恵と力を結集し、教育をめぐる困難を打開する姿勢ではありません。
 第2に、4年間で、全国学力調査によって示される点数を全国平均にするという目標自身に、大きな問題があると考えます。また、いじめ・不登校の問題を数値で全国平均なみにするという設定事態、教育の在り方とは違ったものです。
 身につける「学力とは何か」を明確にしないまま、文科省も「学力の一部」でしかないとしている「学力調査」の結果にふり回されることは、子どもと教育のあり方をゆがめる結果にしかなりません。
 1960年代、文部省が全国的に実施した全国一斉学力テストで、全国1、2位を争っていた香川、愛媛などで教育をゆがめる大問題が発生しました。この時の文部省調査では、平均点の底上げのために連日模擬テストや朝夕の補習など、テスト準備の教育が加熱し、成績の悪い子どもを休ませたり、「障害児学級」に入れるなどという恐るべき実態でした。これらの事実が知れ渡り、とうとう数年後には学力テストは中止になりました。香川県教委編集の「香川県教育史」には、「各都道府県では成績を競い合うようになって進学競争に拍車をかけただけでなく、学力調査に向けた準備教育が過熱化して本来の教育活動の阻害要因となっている状況が報告された」と書かれています。
 それからおよそ40年、昨年実施されたテスト結果が公表されたとたんに、高知県でも今年4月の学力調査にそなえて、過去問題の練習をする学校や、「数字がすべて」「何よりも確かなもの」と、民間業者と提携してデータを自由に取り寄せ、プリント学習をくり返す地域などがうまれているのです。
 昨年12月に、大阪大学の清水宏吉教授の学力テスト結果公表についての記事が、日本経済新聞に載せられています。ここでは、全国の都道府県別の格差は40年前に比べると、驚くほど縮小していること、地域間格差よりも、ある「一定の地域内格差」の時代になっている。この格差を見てみると、就学援助率と学力の間にかなりの相関関係があり、現代の「階層間格差」がくっきりみえること、1990年代のイギリスで全国一斉学力テストに振り回され、教育現場が混乱して、今では方向転換をしたことを上げながら、全国一斉学力テストは、点数を競い、順番を付けるのではなく、問題点を把握するために使うべき。これらのテストを見ると、全員対象のテストや事細かな調査を毎年しても意味はなく、せいぜい5年に1度、サンプリング調査で十分であること、学力調査にかかる70億円もの莫大な経費は、教師の増員など、他の学力の向上の手立てに用いるべきだと述べています。
 約40年ぶりの学力テストは、こうした歴史と問題点を持っています。教師と子どもの人間的営みの中で実践していく教育の本質を離れ、期日を切って点数で子どもと教育現場を追い込む目標設定を、県がすることを、そのまま認めるわけにはいきません。
 第3に、基礎学力をつけることは、教育の基本です。一人一人の子どもに力を付けることは、しっかりと取り組まなければなりません。そのために、やるべきことをまずやって、新しい施策を入れていくことが必要です。今回の「対策計画」では、子どもと向きあう時間がとれない、授業の準備の時間がとれない、過労死ラインまで残業をし、生活指導も含めて身も心も疲れ切っているという教師の多忙化を解消し、教員が能力を高め、発揮するための環境をつくるために抜本的な対策を講じるという視点は皆無です。
 学びの意欲を引き出す授業をつくるためにも、子どもとしっかり向き合うためにも、教師にはゆとりと、取り組みの自由度が必要です。30人学級などの少人数教育、山のようにある報告事項の簡素化を願う現場の声は、たくさんあるではないですか。それらの声に、まず対策をとることが求められています。
 今回導入する単元テストなどは、すでに現場で実施し、子どもと向きあって工夫をこらしている教師の授業のポイント部分です。そこに統一された単元テストを取り入れ、点数を報告させ、県教委で分析し、現場に返すという全国学力テストのミニ版となっています。新たに業者の作った単元テストを持ち込むよりも、現場を励まし、子どもと向き合う時間を保証することが先決ではありませんか。
 また、学校支援地域本部、教育サポーターや元学校長などからなる指導力向上チームとの対応、調整など、心身ともに多忙化に拍車をかけることも必至です。
 今回の計画は、基礎学力をつけるために現場が望む教育の姿とは、ほど遠いものになっています。
 第4に、この計画は「学力向上といじめ問題等の対策計画」と言いながら、その内容をよく見ると、国策に従う人間づくりをすすめるため、教育への国家統制をつよめるという誤った方針を高知県に持ちこむものになっています。
 教育を統制するためのPDCAサイクル、PTAの機能を弱め、学校への政治介入の場として弊害が指摘されている学校支援地域本部は、教育の統制の文脈の中で出てきた国の方針です。十分な議論もなく、これがそのままプランに盛り込まれています。
 また、「認定子ども園」は、公的保育の解体の方針の中で出されてきたものであり、親の収入に関わらず利用料が一定であるとか、障害児などの手のかかる子どもは敬遠されるなど、公的サービスの受け皿としては根本的な欠陥をもっています。学力向上という口実で「認定子ども園」を推進することは、この制度の根本的欠陥を覆い隠すものです。
 また、高知の教育は、定員内も含め多くの非常勤教員が、不安定な雇用、生活状況の中で苦労しながら支えているのが現状です。さらなる非常勤や無資格のボランティアにたよるしくみづくりではなく、臨時教員から正採用を増やし、30人学級を拡大し、現場の多忙化を解消する。人事考課制度をなくし、教員の同僚性と自立性を高め、学びの場を大事にする授業と学校をつくることに力を注ぐことが今最も求められている改革だと確信します。
 以上のように、『学力向上・いじめ問題等対策計画』の一連の施策は、県民議論という手続きの点でも、目標設定のあり方、また、その方策でも、教育現場にいっそうの混乱と疲労をもたらすとともに、教育への国家統制、保育など公的サービスの解体という国の悪政を高知県に持ちこむ内容となっており、容認できるものではありません。
 よって一旦白紙に戻し、子ども、教員、保護者を軸にあらためて県民議論を徹底して行うことで、人格の完成を目指す豊かな教育計画を築くことを求め、提案理由とします。

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