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捕鯨と保鯨

 この話題を聞くと、最近はどうもシカの食害被害を思い出す。増えすぎたシカが農作物の被害だけでなく、木の皮も食べ山を荒廃させている。陸上にいるシカでさえ保護と捕獲による適正管理について、明確な基準がまだない。まして、大海にいる鯨、頭数がどうなのか… 誰しも認めるシロナガスクジラの個体数の減少もあるか、全体としてどうなのか、食料連鎖の頂点にある鯨だけ保護して、バランスは大丈夫なのか・・・専門家でないのでいろいろ思う。きちんと調査して、捕獲すべきは捕獲したらいいと思う。だいたい、他の魚類はほとんど取るに任せていて、素人目にもバランスある議論に感じられない。

 弱肉強食をルールとするアメリカが、鯨が氷に閉じこめられたので砕氷船を派遣したというニュースが過去にあったが、ここまでいけば、文化の問題と思う。いまはアメリカが経済力がつよいので世界文化の1つの基準となっている。
 これからインドが躍進して、その文化が世界基準となれば、ウシを食べるのは御法度となるだろう。イスラム社会が台頭すれば、ブタを食べる人間は、神をもおそれない野蛮人となるだろう。モンゴルでは魚を食べないと聞く。どうも「固有の文化」というバイアスがかかっているようで釈然としない。世界的には、イヌイットには、固有の文化として捕鯨が認められている。単に油をとるために鯨を乱獲した欧米と違い、日本には鯨を食材にも日用品にも生かしてきた文化がある。
 アレルギー問題を通じて、食の問題をいろいろ考えさせられた。きちんとした食を考えると、他の生命を奪うことで、人間の生はなりたっているにあらためて気づく。「可哀想」というのは、生と食の関係が切り離されているのではないかと、思ってします。そんな危うさを感じる。ウシは可哀想ではないのか。また、牛肉を確保するために、アマゾンの森林が伐採されていることを、どう判断するのか。飼料をつくるために、アメリカのオガララ帯水層の異常な水位低下が起こっていることは、どう判断するのか・・・ 
 どうもあらゆる場面で、「攻撃性」を感じる。「万人とのたたかい」という競争社会の圧力の中では、スケープゴートをつくることで、社会を安定させていると(いじめ問題、公務員や生活保護者などのバッシング)と何かで読んだことがある。そういう構造さえも感じてします。
 しかし、生きるということは、他の生命体の命を奪うことでなりたっているということを、あらためて考えさせられる。

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