抵抗感あり! 「国と地方」という表現
選挙本番が近づくとマスコミのアンケートがいろいろ来る。知事選に関し、Y社からのものに意見を求められた。そのテーマの一つが「国と地方の関係」。
この題自体に私は抵抗がある。憲法の精神は、国(国民主権)は、中央政府と地方政府の重層構造によって、その人権保障を担保する仕組みになっており、国と中央政府を同一視することは間違いである。と言っても、通常は、話がこむつかしくなるので、「国と地方」という言い方をしかたくな使っているが・・・。そこで本質論ですが、なぜ、人権保障のために二層構造になっているか・・・。全国一律の基準だけでは、地域性やまた個々人の状況にあわせ、より豊かに人権を保障する、幸福を追求することに限界があるからで、そこにより生活に近い場で、個別具体的に、幸福の実現、主権者としての自己実現をはかるために地方政府が存在する。それが憲法の精神と理解している。
このことは、政府、財界がいう、国と地方の役割分担とは180度違う。彼らは、国(中央政府)は、外交、軍事、通貨政策を担当し、地方政府が社会保障など生活面を担当する、として、中央政府による福祉など生存権の保障を放棄するために「役割分担」論を展開している。また、米軍基地の設置とか、非核港湾条例など外交、防衛には、地方政府は口を出すなという仕組みにしている。これは、平和的生存権、基本的人権を侵害するスキームである。例えば、1人ひとりの平和的生存権を担保するためには、中央政府に対してだけでなく、より身近な地方政府を通じて米軍基地の増強反対といえることが重要なのである。地方政府を通じて、すべての人権保障についてモノが言える。これを近接性の原理とか、全権限性の原理とかいう。政府、財界の役割分担論は、憲法の95条…1地方にだけ適用する法律は、その地域の住民投票で決し無ければならない、と規定しているように、中央政府と地方政府の上下関係を排して、同格に扱い、2つのルートを通じて、人権保障をするという憲法精神に反する中味である。
高知県政が、中央政府に対し、国勢条項撤廃とか、非核港湾条例の制定とか、減反押しつけ反対とか、「三位一体改革は改革でもなんでもない」とか発言してきたのは、憲法論から言えば、まっとうな対応であり、マスコミも含め「対立」とかで表現するのは、いかがなものかと思っている。
繰り返しになるが、国とは、国民であり、その主権の適切な行使のために、中央政府と地方政府という枠組みがある。「国と地方」という表現は使いたくない、というのが正直な思いだ。
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