再生会議の愚かないじめ提言
ユネスコから二度も是正勧告された「過度に競争的な」システム、先進国で常識となってる少人数学級の不採用・・・いじめの温床というなら、すくくともここにメスをいれないといけない。提言は、問題をおこす子への懲戒も含む毅然とした対処という、見て見ぬふりをするのも加害者という、力でねじ伏せる愚かな対応の仕方である。現場を知れば、こんな意見はてでこない。いじめとからかいの境はどこにあるのか、無視はいじめの一種だがその境は、その傍観者とはどこまでか。問題を起こすことを他の子どもが無視した場合、だれが加害者か--まったく非現実的、非教育的として言いようがない。
自分が大事にされた、大事な存在であるという実感がないかぎり、他人への思いやりは育たないことは、発達心理学や教育学の専門家から数々指摘されている。それができる教育条件の整備こそ重要。
しかし、「傍観者も加害者だから指導する」としいうのは、ブッシュのテロの側に立つか、アメリカの側にたつか、という破綻した白黒二分法を思い出す。これでは教育は再生すまい。
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安部・教育再生会議の「傍観者も加害者だから指導する」というのはブッシュの論理だとの『土佐のまつりごと』氏の指摘、「部落民以外は差別者」だとする解放同盟の一部にあった極論もこの手のものだと思う。
人権は銭金の問題ではなく、妥協は間違いの分野。同和行政を物とり補助金行政に流し込んで戦う組織を腐らせた意味では、行政の罪は大きい。
今また差別が温存され、増長している。
九条の最大の出城である教育基本法、せめぎ合いはどれだけ自らの論理をもてるかだと思う。
Posted by: 下司孝之 | November 30, 2006 08:47 PM