My Photo

« August 2006 | Main | October 2006 »

県立大改革 「すべて保障する」

 県立大改革問題で、29日、県議会予算委員会で吉良議員が、短大の果たしてきた役割について、社会人教育、生涯教育など「まなびたい人が学べ、その人が次へ進む段階を築く」とし、団塊の世代の退職、若者のフリーターや「ニート」問題の受け皿としてもポテンシャルが高いとのべ、県の改革案では、その機能が失われる危険があることを質しました。
 それに対し、知事は気色ばんで、短大卒の準学士の資格を与えられない以外は「(短大が果たしている)学ぶ権利はすべて保障する」と答弁しました。カリキュラムや細部がはっきりしませんが、とにかく、この答弁は重要です。また企画部長は、「地域づくりに対する役割は、大学全体として果たす」という主旨の答弁も、あわせ、学習権の保障と住民力の高める専門機関としての役割をどう担保していくかがとわれています。
 法務総合学部の単独整備もあわせると65億円からなる事業です。教育を単純なコスト論で話す気はありませんが、まだまだ議論し、つめていくべき中味があります。

小手先でなく「政党助成金廃止」こそ

 安倍首相が、給与の30%をうちだしたが「隗より始めよ」というなら、政党に国民の税金を注入する「政党助成金」の見直しこそ着手すべきである。317億円もの税金が、日本共産党をのぞく各党にばらまかれている。「官から民へ」とか言いながら自民党は、経常経費の70・6%、政治活動費の58・5%、民主党は、経常経費の98%、政治活動費の83・8%を税金に依存している「国営政党」である。しかしこのことをマスコミは取り上げない。なぜなら、総選挙のあった05年。宣伝費に使われた額は、自民党は28億4千万円、民主党は38億を8300万円。この多くがテレビや新聞の広告費に消えている。つまりマスコミ業界に環流しているわけだ。
 一方、政党助成金には政治家個人には隠れ「給与」としてわたっている。安倍氏が支部長を務める「自民党山口県第四選挙区支部」の昨年の政党助成金使途等報告書によれば、500万円が安倍氏個人にわたっている。企業献金もある。しかも、外資系企業の献金も可能にしようとしている。給与の3割カットなど、なんとでもなる人たちである。国民にさらなる痛みをおしつけるために、肝心なところから視点をずらす、「ミス・ディレクション」という手品の手法と同じ。手品は楽しいが、こっちはまったくいただけない。
 また、山本有二氏が大臣に就任した。財務副大臣の時に、地方交付税に大なたをふるい、地方を疲弊させることに貢献した人物であり、一連の「高レベル放射性廃棄物処分場」の誘致の黒幕と見られている。「札束で頬を叩く」方法の張本人の一人であり、誘致の動きが加速しかねない危険がある。

新堀川の4車線化 「検討」と知事

26日、県議会で、先日の市議会の質問に続いて、新堀川とまちづくりで質問。知事は、はりまや町一宮線の工事について追手筋までの4車線化は進めるとしながらも、交通量調査は平成2年のもの、ワークショップも含め自然保護の努力をしてきたことにふれながら、一方、歴史、地元の資源を生かしたまちづくりという視点の必要性を言及。階段護岸については、「引き続きよりよい保存の方法を関係者と相談していきたい」とし、かるぽーとに至る工事については、最新の交通量調査の結果をまって「これらの調査や実際の車の流れだけでなく、水辺や堀割という歴史的な資産を生かしたまちづくりの視点から広く県民や高知市の意向を聞き、今後の方向性を検討してはどうかと考えている」と大幅に工事を変更する可能性を答弁しました。
 ひとつ議論が前に進んだのは確かです。地域の資源に地道に光を当て続けた市民の粘り強い運動の力です。今後、市民のまちづくりに対する意識と運動がさらに問われることになります。
 高架遊歩道の凍結、高知城掘跡保存の方針に続き、まちづくりに対する流れの変化が生まれはじめています。

報道されなかった教基法守れの声

今日から国会。教育基本法改悪を最優先の課題とする安倍内閣。教育基本法守れの運動も各地で広がっている。24日、教育基本法改悪反対の集会が、RKCホールで開催され、570人が参加した。その数日前には、県下の退職校長168人が改悪反対のアピールを出した。ところが地元紙が集会は一切無視、アピールもごく小さな扱い。6月議会での知事、教育長の“変える必要はない、理念の実現に努力したい”との発言も報じてない。政府側の話は垂れ流されるが、こうした運動の多くは黙殺される、そういうマスコミの現状がある。
 教育の問題では、基本法改悪より、30人学級の実現がなにより求められる。土佐の教育改革10年の調査でも、また、文科省の出している「生徒指導上の諸問題」でも、学力低下、校内暴力行為など中学の30人学級が急がれる。9月市議会でも、高知市の教育長は、モデル校として実施している学校での大きな変化、効果を示し、その実施を強く県に要望していると答弁している。ところが国は、その責任を一切放棄。自治体まかせにしている。さらに子どもの減少を上回る教職員の削減を「地方行革」として押しつけている。こんな政府に「改定」を言う資格はない。忙しいとは「心が亡ぶ」と書くが、次々と求められる報告書づくりなどゆとりのない教師は、子どもとじっくり向き合う時間、心のゆとりを奪われている。子どもは物ではない。一人ひとりが多様な個性と発達段階を持ち、内部にある成長しようとする力に寄り添うことがもとめられる。なんとしても中学の30人学級を実現したいと思う。

 

長寿庵

 23,24日と、妻のリフレッシュ休暇で、旧東津野にある民宿「長寿庵」に行ってきました。いわゆる農村民宿の部類。築250年の家、いろりを囲み、ただゆっくりと流れる時間の中で、この夏、ほとんど休まずにきた心身を癒してきました。
 Irori
 正式オープンの前ですが、すぐ近くに天狗高原があり、近くの川で魚釣りもできる、五右衛門風呂でヨモギ風呂にも入れる、というところ。
 おかみは、医療生協で長く頑張ってきた、友人の本川仁美さん。はた愛市議のお母さんです。
興味のある方は、電話0889-62-3031

「国旗国歌」強要に違憲判決!

卒業式や入学式などで、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう義務付けた東京都教委の通達は違憲・違法だと東京地裁は、原告全面勝訴の判決を言い渡した。裁判長は「通達は不当な強制に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵し、教育基本法にも違反する」「(日の丸、君が代は)第二次大戦までの間、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と指摘。
 思想・良心の自由の重要性を正面からうたいあげた判決で、わが国の憲法訴訟上、画期的、と弁護団は評価している。
 それに対し、小泉首相は「法律以前の問題ではないか」と判決に疑問を呈したと報じられている。まあ、この人は、「靖国参拝は合憲の判決がでている」というとんでもないウソを平気で語った人である。そもそも政府も「国旗・国歌法」の審議で「子どもたちの内心にまで立ち入って強制しようという趣旨のものではなく」(99年7月28日、参院本会議、小渕恵三首相)と答弁している。皮肉なことに、04年の園遊会の席上、天皇は、東京都教育委員を務める 米長氏が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と語った際に、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べている。
 教育基本法改悪が臨時国会の焦点となっている。国家による教育の統制、という現基本法を180度変質させてしまう改悪である。昨日、高知では元校長先生168人が「改悪反対」のアピールを発表した。たたかいの輪が広がっている。

交通量予測。合理的根拠しめせず

 20日、高知市議会で、友人の岡田やすし議員が、新堀川の暗渠化について質問。最近の交通量調査や県の人口70万時代の政策研究もひきながら、「今以上、交通量の増える合理的根拠をしめせ」と質しました。(質問前文は、高知市政110番のブログで見てください)。それに対して、市は、平成2年の調査で22年の交通量を予測したものが、根拠であることを正直に答え、それ以外の根拠のないことを明らかにしました。
 文化・歴史を大事にしたまちづくりは、誰も否定しない。それを上回る価値、必要性、合理的根拠を示せなかったことに行政論としては、大きな意味があります。わたしたちの質問に、はっきりしたいい答弁はかえらないことは織り込み済み。それだけに意味ある答弁でした。また、市長は、「一旦、凍結して、様子を見ては?」と質問したのに対し凍結問題には言及せず「中止しない」と答弁した。高架遊歩道も公式には「中止はしてない」。いろいろと今後に含むを残す論戦となった。
 ある意味関連する話として、高知城掘跡の用地買収に対して、「無駄使い」と言って、横やりをいれようとする不穏な動きもあります。なぜか? 「○○党の成果にはさせない」という県民・市民不在の思惑からです。誰が言ったかは、問題ではない、と思うのだが・・・

帯屋街商店街に複合施設? 

 校外型大型店舗の出店を野放しにした「まちづくり三法」のひどさが問題となり、一定の「改定」された、しかし、要の商業調整は今回も入らなかった。このことでは、政府は、WTOに抵触するとウソの説明をしてきた。(ミニマムアクセス米を輸入しなくてはならない、というウソの説明と同じ。アメリカの圧力、財界の要求を無理強いするための仕掛け。これらは国会論戦でその後、根拠のないことがはっきりしている)。それは別にして、今回のまちづくり三法では、中心市街地活性化法にもどづく計画を「選択と集中」し、絞り込んで税金を投入するというものにしている。それにのったのか、高知市の商店街、ダイエー跡か、新京極プラザかわからないが「公共施設、公有地の高度利活用」という話が正式に出てきて、市も対応する機構を立ち上げる構えである。図書館、高知大の一部、ホテルを合わせた複合施設の話は以前からてでいる。要は、既存の施設を移転した複合ビルを建てて、人を確保しようという、私には安易、どこにそんな金があるのかと言いたい話である。注視が必要である。
 そんな金があるなら、沖縄物産公社「わしたショップ」のような土佐の魅力が詰まった情報発信の場でもあるスペースの設置(県下のこだわり生産者のネットワーク化)、駐車場の一定時間の無料化など、ソフト面での対応に力をいれるべきである。中心部の固定資産税を減免して、出店を促進する手法をとっているところもある。駅前も、市民の森としたほうが、後世への価値は高いと思うが・・・
  ハコ物、道路をつくる・・・ 以前としてその発想から抜け出てない。都市間競争という企業から選ばれる街づくりをする、というような高知に似合わない発想から抜け出なくてはならない。

権力者のよく似た言葉

 「イラクを解放する」「自国の死活的利益に関わる」「世界をより安全にする」・・・イラク戦争(戦争でもなく、圧倒的な軍事力を背景にした、一方できな虐殺と、私は思っている)でブッシュが言ったこと。その「戦争」の口実となった大量破壊兵器の存在も、アルカイダとのつながりも、米国自身の調査で否定された。それなにの、いまだに「あのときの判断は合理的だった」と、次期首長が当確な安部氏が言っている。ある意味、論理は一貫している。「アジア解放」「自存自衛」「東洋平和」というスローガンは、あまりにも似ている。「その時の判断は合理的だった」というのも、そのまま通用する。イラク「戦争」を反省したら、その論理はそのまま、先の侵略戦争に向く。過去を直視できないから、現在にも目をつむる。まことに一貫していると思う。
 レジスタンスの詩人、ルイ・アラゴンは「戦争は平和を唱えてやってくる」と批判した。評論家の加藤周一氏は、「かつて自衛のためでない軍隊は存在しなかった」と述べている(細部は、記憶で書いているので、不正確かも?)、竹下元首相は、さきの戦争を侵略戦争と認めない思考回路からも、ヒトラーの起こした戦争も、侵略戦争かどうかわからない、という態度をとった。実に一貫している。「過去に目をつぶる者は未来にも盲目になる」とは、けだし名言と思う。
 憲法前文を詫び状といい、歴史の反省を「自虐史観」と否定し、改憲と教育の国家統制を主張する安部氏。“
東京湾に大量破壊兵器をつんだ船がてきても、憲法9条があるから、手出しができない”という驚くべき無知、または国民を平気であざむく(海上保安庁が排除できる。憲法とは無関係な話)という、まったく美しくない虚言を弄する人物が、首相なろうとしている。来夏の国政選挙はもちろん、臨時国会にむけたとりくみのなかで、しっかり審判をくだしたい。
 

コンブライアンス、リスク管理の危うさ

 近頃、行政の現場でよく聴く言葉。コンブライアンス(法令順守)とリスク管理。不正・不公正な行政の執行をなくそう。1つ1つの施策の法的根拠を明確にし、訴訟やクレームに対して毅然と対処できる、特定市民などの介入を許さない・・・ しかし、もともと企業経営の中で生まれだ概念を自治体に導入するとき、ここには自治体のあり方について重大な問題が潜んでいる。もともと地方自治とは、憲法の人権保障の諸内容を、より生活に近い場で、それぞれの地域に合った形で、住民参加のもとで実現することにある。かつての公害闘争のように、規制する国段階の法律がなくても、憲法の13条、25条などを根拠に、企業活動を規制する条例などの制定、裁判闘争などを通じ、国段階の法律、規範を確立していったことを考えると問題点がよくわかる。コンブライアンス、リスク管理は、使い方によって、国の法律、具体的には通達の範囲で行政運営していれば、「まちがいない」という非常に消極的な行政、地方自治の精神を失った行政を生み出すことになる。行政の現場で、そのような萎縮が進んでいるように感じる。たとえば、国保料の滞納による保険証のとりあげも、国の法令遵守なら当然の行為だが、憲法の諸規定からみれば生存権の侵害にあたる。まちづくりでも何重にもある行政手続きを踏んできた計画を時代の変化にあわせ変えることにはリスクが伴う。その時に、行政の様々な部署で、どちらの原則を重視するか、ということに首長の姿勢が極めて重要な要素となる。また、その首長の姿勢を支持する住民の力の反映でもある。福祉にしても、まちづくりにしても、国のやり方を「遵守」するのでなく、住民の暮らしの実態、生活の現場の声を、憲法の原則にのっとって前進させる取り組みが必要と、強く思うこの頃である。

現場主義へのこだわり

 議会対策で行政を相手にしていると、 陥りやすいのが「財政がない」「国の法律が・・」という行政の論に、いつしかまきこまれることである。これは、よく勉強し、力が付いてくるほどに、陥りやすい落とし穴。日々、自戒するとともに、だからこそ現場主義にこだわっている。個々の問題で対応する職員は、政策的判断、政治的決断をする立場にない。行政論の範囲で、精一杯の対応をしている職員も少なくない。しかし、首長は違う。政治家であり、判断し、税金の使い方の優先順位の決定、また、今の法律では無理でもメッセージは発することができる。だから、まっすぐ声を届けることが重要と思っている。
 たとえば、6月の高知市議会では、アンケートの声、障害者施設の調査、学校訪問などの生の声を伝える努力をした。市が、今回、障害者自立支援法にかかわり独自減免に踏み切ったのも、現場の声、生活の声の力が大きかったと感じている。行政論をわかったうえで、それにとらわれない、という努力が必要。
 まちづくりではどうか。さまざまな草の根のまちづくりのとりくみ、努力。これを行政がどう評価するのか。市が決めた計画に対する雑音と受け止めるのか、結論はどうあれ、大切なとりくみ、力として真摯に向き合うのか、そのこともぜひ質してみたいと思っている。
 

東洋町、おまえもか!

 東洋町でも高レベル放射性廃棄物処分場を誘致する動き。東洋町の公式ホームページは「室戸阿南海岸国定公園のちょうど真中に位置し、輝く海に面した…自然豊かな町。白砂青松の美しい砂浜…四国屈指の遠浅のビーチで四季を通じ、訪れる人々の心を穏やかにしてくれる。全国屈指のサーフポイント。美しい海…自然の楽園で日本の四季を肌で感じられる東洋のまち」と紹介しているが、「日本のエネルギーを支えるため、あえて核のゴミ捨て場を誘致した勇気あるまち。その潔さが訪れる人々の心を穏やかにしてくれる」に書き変わらないことを願う。
 高知県の自然と地元資源をいかしたまちづくりは水泡に帰す。むろん海洋深層水産業も壊滅するであろう。
 根本原因は、財界の「地方分権改革」による地方自治の切り捨てにあるのだが、21世紀が環境、食料・水が重要なテーマとなる世紀であれば、腰をおちつけ、まちづくりに力をつくすしかない。多国籍企業から選ばれる都市づくり・都市間競争というレースに参加する必要はない。自然、歴史・文化など一度壊したら回復が不可能に近いものの価値を大事にし、物づくりにこだわることである。日本全体は人口も減る。無駄な道路建設や再開発事業はごめんにしたい。
 本山のさくら市が好調との記事。従来の直販店から売り上げ3倍となった。「本当に成功するか」「品揃えができるか」と設立までにはかなりすったもんだがあった経過を知っているだけに、まずは素直に嬉しい。
 さて、高知市の問題では新堀川の暗渠化の問題。市議会、県議会でも取り上げる準備をしていますが、先日、県内の中核を担う建設関係の会社の責任者から手紙を頂いた。「4車線化を阻止してほしい」「ガソリンは1リットル200円時代に突入する。そうすると道路はガラガラになる」と…。計画を考えた10数年前は、ちょうどリオ会議で「持続可能な発展」が世界の合意となったターニングポイントの頃である。「都市間競争」という古い流れに固執するか、あたらしい価値を見据えて進むか、その典型事例の1つである。
 

今月臨時国会。9.11を前に

9・11同時テロから5周年の直前である。アメリカは、改めて対テロ戦争の続行と、それが「長期のたたかい」になることを強調している。しかし、「テロ支援国家」「テロリスト・武装グループ」と一方的に決めつけて武力攻撃する方法で、多数の民間の犠牲をともない、さらにテロの温床は拡大した。イラクはアメリカ自身も内戦の様相になっていることを認めている。開戦前から指摘されていたことだ。喜んだのは軍事関連の巨大企業だけだ。
 そもそも、アメリカのご都合主義が世界を混迷させている。アメリカ政府はレバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラがイラン、シリアからの軍事支援を受けていると非難しているが、アメリカ自身は、イスラエルへの膨大な軍事支援を行っている。アメリカの民間研究機関「世界政策研究所」は、ブッシュ政権下の2001年から05年までの5年間で、168億ドル、約2兆円もの直接、間接の軍事支援をしていたことを明らかにした。今回のレバノン侵攻で投下されたクラスター爆弾も米国製だ。359カ所に投下(その9割が紛争停止前の三日間に集中)され、レバノン南部などで10万発以上の不発子爆弾がばらまかれ、毎日一人が死亡し、三人が負傷している。一方的な虐殺とも言えるイスラエルの数々の国連決議違反を擁護し支援しているのはアメリカ自身である。核問題も同じ。そもそも核兵器の保有を認める国と認めない国があるというNPT体制がおかしいが、アメリカは、イスラエルに敵対的なイランには強圧的で、一方、インドの核保有は認め、援助することまで約束した。
 アメリカは「長い戦争」に勝利するためには、同盟国の協力が必要と強調している。そのアメリカが日本の「憲法を変えよ」と迫っている。9.11から5周年。アメリカの「対テロ戦争」を総括すれば、これにつきしたがう道に未来はない。今月から臨時国会が始まり、改憲の手続き法案、教育の国家統制のための基本法改悪が狙われている。明治憲法を愛し、改憲DNAを持つ人物が首相になりそうであるが、たたかいどころである。

伊方と津野 核燃料サイクル事業

またまた3区内で核のゴミ捨て場を誘致する動き。平成17 年4月21 日に行った県選出の国会議員との意見交換会の報告が県の「庁議の概要」で発表されているが「高知県が困っているのであれば、普通のやり方では無理であり、核燃料廃棄物の処理施設、沖縄米軍基地の誘致、自衛隊のヘリコプター基地、刑務所といった、住民や県民から迷惑施設といわれるものでも持ってきて、地域を活性化しなければいけないという意見があった。」と紹介されている。三位一体改革で地方を疲弊させ、危険物を押し付けようという魂胆をあけすけに語ったものとして以前にも紹介した。

この核廃棄物処分場は、伊方原発らのプルサーマル計画と一体のものである。
施設の安全性もさることながら、再処理計画そのものが破綻している。高レベル放射能廃棄物とは、再処理で原発の使用済み燃料を溶解し、プルトニウムを取り出す際に発生する廃棄物をガラス固化体したものですが、そもそも取り出したプルトニウムを消費にめどがたってない。新型転換炉「ふげん」も高速増殖炉「もんじゅ」も挫折。唯一の道が、伊方原発などで進められようとしてるプルサーマル計画であるが、それでしゃにむに強行しようとしているが、これも行く先不明である。
高レベル放射能廃棄物処分場をつくるということは、それだけ、再処理をしてプルトニウムを取り出すことを宣言しているようなもので、核兵器の原料となるプルトニウムを巨大な量で蓄積することになる。軍事的緊張を招かないために余剰プルトニウムを持たないという国際公約の前にプルトニウム利用計画、再処理計画はすでに破綻している。プルサーマルも核廃棄物処分場もいらない。

◆講演会のお知らせ 「四万十川源流と高レベル放射性核廃棄物」
・9月16日(土)午後7時~
・里楽ホール(津野町姫野々・総合保健福祉センター内)
・講師 小出裕章氏(京都大学原子力実験所)
・主催は講演会実行委員会。0889-56-3286

東京出張・・地方分権を考える

3日間、東京に出張してきました。そこで全国都道府県政の状況の交流をしましたが、小泉「改革」の都市再生、選択と集中によって、いまだに馬鹿げた開発が大都市で続いている告発が次々。東京は、オリンピックを口実とした開発で、幹線道路や会場施設など投資総額は七兆円を大きく超える。一方、この間のスポーツ予算は4割も減。本社機能が集中し、福岡は、人工島事業などの大型開発をすすめ、その破たん救済に税金投入し、日本一の借金が二兆七千億円。そこから先に道のない橋やトンネルの建設などがある。その上に、オリンピックでふ頭建設や会場建設で数千億円の投資計画。名古屋は、トヨタのための愛知万博のためにつくった道路とモノレールが今やガラガラの状況・・・。神戸空港も利用計画の半分で、いずれ莫大な負債が市民を襲う、など・・ 高知で考えれば隔世の感のある状況でした。
 東京の友人と夜、交流したのですが、東京では「三位一体改革」とか都民の意識にない、全国から吸い上げたバブル期を上回る税収が巨大開発で浪費されているが、それでも中学までの医療費の無料化や18歳までの児童手当、有料になったとはいえシルバーパスがある。一方での地方の疲弊。都道府県の枠をこえ、国のあり方全体を問わないと、となった。
 国が進めている地方分権=国と地方の役割分担の名で、国の責任を後退させ、地域受益者負担主義が進み、富める地域は富み、貧乏な地域は貧乏なりの生活を、という攻撃がすすんでいる。08年から始まる後期高齢者医療制度も都道府県単位での運営、介護保険と同じように、サービスが多くなれば、保険料が高くなり・・・保険料を抑えようとすれば、サービスを切り下げるという構造を保ちこむ。昨年、10月に発表された厚生労働省の医療制度改革の試案では、政官健保も含め、すべての都道府県単位での運営が構想されている。竹中総務大臣の私的諮問機関は、福祉や教育の国基準をなくし、地方の裁量で、という方向を語っている。その内容が、自民党改憲案の第8章・地方自治の章に盛り込まれている。これがいますすんでいる「地方分権」の本質である。都市と地方の共同・循環があってこそ持続的な社会をきずくことができる、憲法の諸規定をもっとも身近な、主権者が参加できる地方政府のもとで実現していく、という観点の抜けおちた「分権論」・・・最近は、「地方分権」の言葉を肯定的な場面で使うことにも、違和感、抵抗感がある。

« August 2006 | Main | October 2006 »

September 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ