八百長騒動とスポンサーの責任
ボクシングの亀田選手の「勝利」が「八百長ではないか」「国辱だ」と大きな話題となっている。試合を見てないので、それ自体はコメントできないが、以前から、あの言動は苦々しく思っていた。スポーツはケンカではない、ともに同じスポーツを愛する仲間、努力してきた仲間としての敬意がなくてはならない、というのは自明の話。その傍若無人なふるまいを、おもしろおかしく報道したのはメディアであり、それを「是」としたのはスポンサーの一流企業である。
その前には、淫行事件で極楽なんとかの山本が捕まったが、彼の無軌道ぶりを、視聴率がとれると「是」としたのと同じ構造である。子どもにもっとも影響力があるというテレビで、「こんなことが許される」「こんなことが格好いいんだ」というメッセージを垂れ流しておいて、一方で、メディアや財界は、若者の無軌道ぶりを嘆く。ふざけるなといいたい。「偽装請負」という犯罪を行っていたキャノンの御手洗氏は、経団連会長就任で、こう語っていた・・・思いやりや公徳心を、私は「愛国心」と呼びたいと考えております。この愛国心があればこそ、他人の気持ちや痛みも理解することができ、他国を尊重する態度も生まれます。私は、真の愛国心は、偏狭な排外主義や軍国主義とは全く無縁なものであり、社会人、国際人の精神的よりどころとして、幼いときから育むべき重要なこころであると確信しております。
と、この言葉自体はまちがいではない。だったら、経団連参加の企業は、人の欠点をあげつらい、弱い立場の者を笑い者にするような低俗なテレビ番組のスポンサーを降りるべきである。
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