戦後世代の戦争責任・・・だまされない責任
侵略戦争の反省から、平和と人権を根底においた憲法、教育基本法を変えようとする報道が溢れている。様々な改定の理由が述べられているが、そんな時だから私には強くよみがえる言葉がある。戦争のあと、多くの人が「だまされていた」「知らなかった」といいました。そうだったら、それをどう教訓にしているかが、今、問われていると思います。私は侵略戦争に直接は関係ない世代です。しかし、戦後世代の戦争責任の第一は何かを考えると、二度とだまされない責任と思っています。映画人・伊丹万作氏の戦争直後遺した言葉は、今も、否、今だから新鮮です。氏は「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、『だまされるということ自体がすでに一つの悪である』ことを主張したいのである。」「いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。」「我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。」「『だまされていた』」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。」 ―
教育基本法の改悪・・さまざま「理由」はいわれているが、国会の論戦を通じ、不登校、いじめは教育基本法のせいではない(文科大臣)、愛国心を評価するのは難しい(小泉首相)評価すべきことではない(文科大臣)、少人数学級の方向がいい(小泉首相)・・・改定の理由は、まったくない。「だまされない責任」が問われていると思う。
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先の大戦はまず現在の地点での評価では確かに侵略戦争であり、帝国主義の戦争だったでしょう。
しかし江戸から明治以降の世界の歴史を見れば欧州列強は帝国主義を貫き、アフリカ・アジア・南米などを植民地化して自国経済を発展させていた訳です。
アジアではタイと日本だけが戦前は独立国だったのです。
東アジアでは、北にロシア(ソ連)という大国があり侵略しても南下する機会を伺い。
清(中華民国・中国共産党)は、欧米ソの干渉を受け国のていを成しておらず。
朝鮮半島は、独立国でもない清のいち属国に過ぎず、文化・経済・政治の遅れた存在でした。
日本に併合されなくても、清やロシアの植民地になるしか道はなかったのです。
日本は欧米列強に負けない、植民地とならない国を目指していく中、戦争へ突き進んだわけです。
確かに戦争をしていく中で意味のない殺戮をした事も事実です。
また、満州には植民地的野心もあったでしょう。
そのように考えることも、戦後の【米国による】【左翼勢力】による『戦前の日本は全て悪かった』『国にだまされた』という全否定から脱するために必要だと思います。
だまされないためには、画一的情報にばかりふれず、いろいろな考えも触れたり、議論した方がいいですよ。
Posted by: TADA | June 14, 2006 10:38 PM