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県と高知市議会の教基法論議から思うこと

28日の県議会。教育基本法をめぐるつかじ県議の「改定ではなく、現基本法の理念の実現に努力すべき」との質問に対し、橋本知事は、「教育基本法が示してきた理念に異論はありませんので、引き続き、その実現に努力していきたいと考えています」、大崎教育長も、「高い理想をかかげる立派な法律」であると答弁した。まっとうな見識、権力におもねない勇気ある発言と思う。教育基本法の理念は、世界で証明されている。世界トップの学力と経済の競争力を築いたフィンランドは、徹底した平等と参加の教育を追及してきた。自分で課題を見つける力、物事を解決する力、自己表現する力など、日本でいう、狭い「学力」とは質が違うの学力であるが、その教育改革の手本は、日本の教育基本法だった。
 「競争すれば教育水準があがる」というのは、まったくの俗論。教育の機会均等は、活力があり、安定した社会をつくる要と思う。ビル・トッテン氏のコラムによれば「米国でどの程度貧富の格差が固定しているかを、アメリカン大学のエコノミスト、トム・ハーツが調査した結果がある。米国の世代間においてどのような流動性があるかを調べたもので、そこには予想通りの固定された社会像が映し出されている。低所得層の家庭で生まれた子供が、米国における所得上位5%の階層へ行ける確率はわずか1%であるのに対し、上位5%の階層に生まれた子供がそのまま成人してもその階層に属することができる確率は22%であるという。これは低所得層に生まれた子供と比べて、富裕層に生まれた子供が富裕層になる確率は20倍も高いということだ。 デンマークの場合、同じような富裕層に生まれた子供が富裕層になる確率はわずか2%であり、ヨーロッパの中で米国並みに世代間の流動率が最低な国はイギリスであった。」そして「この調査を行ったエコノミストが、米国で富が固定される大きな理由の一つとしてあげているのは教育である。」としている。日本の進む方向として、アメリカ型の格差・不安社会をつくるのか、国、企業の社会的責任に重きを置いた社会をつくるのか、岐路に立っていると思う。その時に、岡崎・高知市長のように「制定から60年たった。社会・経済構造も大きく変化した。見直しはあってよい」という一般論で改定を語るやり方は、今、何が問われているかの判断から逃げ、一般論で改定の土俵づくりに組みする、ある意味極めて政治的発言と言える。「なんとなく古くなったから変えたらいい」というような情緒的な判断と決別しないといけない。権力は情緒にあおり「分断して統治せよ」を手段としている。よって、権力は真実を伝える表現の自由を敵視する。公務員が、一市民としての休日に自宅でビラ配布する行動に、東京地裁が有罪の不当判決を下した。すべては階層社会の形成とそれを維持する治安国家へと連なって進んでいる。

日銀総裁だけでない辞任すべき人

「官から民」の本質が明らかになる事件が続いている。
 ゼロ金利で国民のふところから304兆円の利子をうばいながら、当の日銀総裁が、村上ファンド(MAC投資事業組合)と「アクティビスト投資事業組合」に各1000万円出資し、1500万円もの利益をあげていた。「元日銀副総裁」の肩書で、投資について助言する「アドバイザリーボード(経営諮問委員会)」のメンバーにもなっていた。「たいした額ではない」という発言が、国民の怒りを逆なでしている。共同通信社の世論調査では、49・2%が「辞任した方がよい」と回答し、「辞任しなくてもよい」としたのは13・0%。そっこく辞任すべきである。
 しかし、一方の辞任してもらわなくてならない人は他にもいる。今回の 村上ファンドのような投資先企業の価値や事業の公益性を無視し、利益だけを追及する「私募ファンド」を可能にしたのは1998年の投資信託における規制緩和ですが、それを提言したのが規制緩和委員会の委員長・宮内義彦オリックス会長であり、村上ファンドはそのオリックスの出資を受けて設立された。オリックスの運用委託額は200億円にのぼっている。いったいいくら利益をあげたのか。 金融派生商品の購入を中小業者への融資と「だきあわせ」で強要し、業務停止命令をうけた三井住友銀行の当時の頭取である西川善文氏(日本郵政社長)。極端なノルマ押しつけで架空契約などを生み営業停止になった損保ジャパンの当時の副社長、村瀬氏が社会保険庁長官。
 直接の利害関係者、しかも、ルールを無視して責任者が、「官から民」の流れの中心にすわっている。政府の「国家公務員宿舎の移転・跡地利用に関する有識者会議」には、森ビル・アカデミーヒルズ会長を座長に、三井不動産や三菱地所の部長らが委員が参加・・・ 国民の財産を食い物がしているのが、一連の事件の本質である。
 「雇用の流動化」の名の下に、非正規雇用がひろがり、若者を中心に、年収200万円以下の層が拡大している。汗して働く国民を見下し、カネや土地を転がしでボロ儲けする拝金主義者をのさばる社会を「規制緩和」の名のもとにつくってきた自民、公明、民主の責任は重い。こんな勢力に「愛国心」を語る資格はない。

主要6銀行 最高益で法人税ゼロ

 昨日、社会保障費の削減を目的にした医療制度改定法案が、参院の委員会で自民、公明の賛成で可決しました。療養型の病床を大幅に削減する内容を含んでいますが、高知県にある八千のベッドが千以下なる計算です。
資金のあるところは改造して、一階は外来、二階、三階は、老人ホーム、グループホームにすることが計画されています。この二階、三階に往診すると往診料が入る。この分野は診療報酬が厚くされている。すでに、夏からの診療報酬の改定で、医療型の療養病床は、診療報酬が大きく削減され(特に軽度の患者ほど)、患者の追い出しや、病棟の閉鎖などもはじまっています。透析の診療報酬の削減、リハビリの原則六ヶ月での打ち切りと、患者負担ともに病院が経営をやっていけない仕組みがつくられています。今後、倒産する病院が続出するのではないかと危惧されています。
 その一方で、バブルの主犯となり、公的資金を投入され、すでに十兆円がかえらなくなってる金融業界。手数料の引き上げ、超低金利(300兆円が国民のふところから奪い取られた)などにより、今期、最高の利益をあげている銀行。ところが、主要六銀行は、法人税ゼロ・・・  佐々木衆院議員の追及に、政府も認めました。あまりにも国民をバカにした話ではないですか?!

戦後世代の戦争責任・・・だまされない責任

 侵略戦争の反省から、平和と人権を根底においた憲法、教育基本法を変えようとする報道が溢れている。様々な改定の理由が述べられているが、そんな時だから私には強くよみがえる言葉がある。戦争のあと、多くの人が「だまされていた」「知らなかった」といいました。そうだったら、それをどう教訓にしているかが、今、問われていると思います。私は侵略戦争に直接は関係ない世代です。しかし、戦後世代の戦争責任の第一は何かを考えると、二度とだまされない責任と思っています。映画人・伊丹万作氏の戦争直後遺した言葉は、今も、否、今だから新鮮です。氏は「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、『だまされるということ自体がすでに一つの悪である』ことを主張したいのである。」「いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。」「我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。」「『だまされていた』」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。」 ―
 教育基本法の改悪・・さまざま「理由」はいわれているが、国会の論戦を通じ、不登校、いじめは教育基本法のせいではない(文科大臣)、愛国心を評価するのは難しい(小泉首相)評価すべきことではない(文科大臣)、少人数学級の方向がいい(小泉首相)・・・改定の理由は、まったくない。「だまされない責任」が問われていると思う。

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