スポーツ界の暴力事件
駒大苫小牧高校野球部長の暴力事件・・・まず、選手は被害者なので、優勝旗返還は論外である。問われるのは、指導者の暴力体質である。
私が、ずっと敬意をはらっているプレイヤー、指導者に、神戸製鋼ラグビーの黄金期をつくり、「楽しんで勝つ」というスポーツ界の価値観の転換をつくった(私はそう思っている)平尾誠二氏がいる。彼は、特に集団のプレーで、世界に通用するには、早く正確な判断し、その意図を周りも素早く判断できる力がもっとも問われている主張しています。その力は、強制、まして暴力などでは養えない。プレイヤーが遊び心、うきうきした気持ちでプレーに臨み、自己の判断で失敗をおそれず挑戦する中でしか養えないと。効率よく勝つために、勝つための鉄則をたたき込むことが早道だが・・、所詮、それでは世界に通用しない。想定外の場面に出くわした時に、自ら判断して挑戦する、その意図をまわりも同じレベルで判断できる・・・ 質の高いチームぼとサインプレーは少なくなり、質の高いプレイヤーが集まると、初顔でも、違和感なくプレーできると・・・ 彼は、中学、高校、大学など、小さなうちから細かく全国一を争うシステムをやめるようにも言っていた。本来、その年代でつけるべき力を軽視して、無理して勝つための能力をつけることが、長い目でプレイヤーをだめにしていると。日本の集団スポーツは、高校くらいまでは、世界トップレベルなのに、その後、通用しなくなる。サッカーで言えば、カズやヒデという強烈な個性がでてきて変わってきているが・・・ 。安直に勝とうというのは、選手のため、教育でなく、監督や学校の名誉のためであり、それ故の暴力で、「効率よく勝つ」ための型の押しつけと思う。その根本がとわれるべきと思う。・・・何か、短期的利益に固執する今の財界と同じ発想と、書いてて気がつきました。
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» どうなる駒大苫小牧の処分 [けんちゃんの双方向どこでもコミュニティ]
高野連も困っているようですね。報告の遅れた駒大苫小牧高校の暴力事件。部長が野球部委員への暴力事件。生徒同士の暴行ではないけれども、「教育」の名前を借りた暴力事件だけに事態は明徳義塾高校より深刻。
しかも明徳同様に、事件を隠匿しようとした学校側の態度はおかしいといわざるを得ない。でも生徒まで一連託生に懲罰を受け、対外試合禁止処分になれば可哀想な気がします。
優勝旗の返還、対外試合禁止という厳罰処分になるのだろうか?
たかが高校のクラブ活動ですが、社会的な問題になりました。... [Read More]
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